捨てるベカラズな無駄
数ヶ月ぶりに会う友人が、次の休日のお昼どき、うちにやってくるかもってことになっていました。
彼女は、私が2年弱前に引っ越して以後、ずっと新居には遊びに来そびれていて、ずーっと「ひろえちゃんち見たい見たい!」と云っていました。休日前夜、「それじゃ話してたとおり、明日は○○駅(我が家最寄駅)に行くね♪」という旨のかなり楽しみそうなメールが届き。わたくし、疲労も夜も深まった帰宅途中の電車内にて拝受。
「場合によってはどっかで待ち合わせての外ランチにしてもらうかも~」と云っておいたはずだが…。これは、カンペキに、忘れてる…。
もうすっかり来る気だ~どうしよう~!!8割方「明日は家には呼ばぬ」で心が決まっていた私は、しばし返信に迷いました。そう、多忙時の常で、年末年始に片付いたはずの私の部屋はまた荒れまくっており、相方も多忙だったので、リビングも同様。“帰ってから明日昼までに大掃除はキツいなあ…。”“時間が空けばやっちゃいたい仕事もあるしなあ…。”
がたんごとん…。がたんごとん…。
ぼんやり…。
暗闇を貫ける電車の窓から外を眺めていたら、街が与える灯りを映して光る、大きな川が現れました。広い水面がてらてら、揺れていました。なかなか、大きな風景なのでした。
「会いたい人も招き入れられない生活になんか、するつもりなかったな…」
頭が、みるみるすう~っとしてきて。
打った返信文面は、
「うお~!掃除せねば!でも楽しみにしているよ~!!○時に駅に迎えに行く!」
彼女が来てくれなかったら荒れっぱなしだったはずの空間は、ゆるりとお茶できるくらいに回復。おこたで、彼女のお土産お菓子と共にお茶をくぴくぴ飲みながら、たわいもない話を長々としました。
昼を過ぎたやわらかい日ざしが気持ちよく入ってきて、ああ、私が本当にいとおしいと思うのは、“無駄なもの”ばかりだなあ、と思いました。
この日ざし、このお菓子、このお茶のおいしさを味わうこと、寝る間を惜しんでもやってしまう制作、大事な人を大事にするためだけの時間。シリアスな効率や実益・実用性とはどうも相性が悪そうな、だけど心の芯を温め、守るものたち。
お茶の時間って、そんな「捨てるベカラズな無駄」の代賦iです。








