こととことの間

先週ほど、人に助けられたことはなかったように思う。
ある仕事で、漆喰風の3*6(90センチ×180センチ)の天板と、朽ちた感じの木の長板を用意しなければならなかった。あるデザイン事務所からいただいた仕事なのだが、質感や色味、板のサイズ、細かいニュアンスまで、その要求は細部にまで渡る。先方のイメージが明確にあることは、大変仕事がやりやすいが、反面、ズバリのものを用意しなくてはならないプレッシャーがあった。
やっとの思いで見つけた都内の古材屋さん。「そのサイズの古材は難しいなあ」と悩みつつ、おじさんが頭をひねってくれた。左官屋さんが使っている渡し板がいい、と提案してくれた。早速、おじさんと、の左官屋へ、板探索。サイズの良い板を見つけたが、色が悪い。おじさんは、その板をぬってやると、言ってくれた。夜、閉店後のお店の中で、おじさんと2人、板塗りが始まった。私の「こんな色がいい」との要求に、おじさんが頭をひねり、オイルステインを塗る。乾くまでの小一時間、おじさんが煎れるコーヒーを飲みながら、おじさんの身の上話しを聞く。本業はテーラーだとか、古材の魅力に取り付かれ、全国を廻って収集していたが、最近はブローカーなるものがいて、良い板は全部持っていかれ、骨董品屋などで高値で売られているのだとか…。一時間経った頃、板の色味を確認する。もう少し濃い色がいい、と要求すると、おじさんは頭をひねり、色を塗り重ねる。そしてまた、小一時間、おじさんと談話。次は、濃い粉茶(お寿司屋で出てくるような)を煎れてくれる。若かりし頃、ロッククライミングが趣味だったとか、娘を2人亡くし、人生観が変わって、ヨットをするようになった、とか…。一時間経った頃、板の色味を確認する。そんなことの繰り返しが、夜遅くまで続いた。一体、何杯のコーヒーやお茶をいただいただろうか。
恵比寿のとあるアンティーク屋さんのベランダに、板が沢山たてかけてあるのを思い出した。センスの光るオーナーの目利きで拾われてきた板達である。あそこに行けば、何か見つかるかも、と期待を寄せてお店を訪ねる。案の定、いいサイズの板がある。おそるおそる、板は売り物か聞いてみる。オーナーは気前よく、あげるよ、と言ってくれた。調子にのって、「もうちょっとこんな色がいいのですが…」と要求してみると、「魔法の薬があるんだ」と得意げに薬瓶を取り出した。粉状の薬品に水を加えると、真っ赤な色の液体が出来る。それを刷毛で板に塗る。まるで、赤ワインを机にこぼしてしまったように、みるみる液体が木に浸透していく。私はやや心配になって、板の様子をうかがっていると、オーナーがチャイをおごってくださった。甘いけれど、スパイスの聞いたチャイを飲みながら、少しの間、板探しに張りつめた緊張をゆるめることが出来た。
その間、自宅では、補修の仕事をしている友人が、3*6の板を塗装してくれている。私が、見様見真似で下地を塗り、見様見真似で色を重ねた天板が気に入らず、その友人に助けを求めたのだ。友人いわく、「塗装は下地が一番大切。下地さえきれいにやれば、色はきれいに塗れる」と。まず、下地を整えるための、ヤスリかけから始まった。3*6の天板の全面に、手でヤスリをかける。かなりの力と、途方もない精神力が必要である。ヤスリかけに数時間、その後、もう一度下地を塗って、2時間の休憩。その間、お茶とお菓子と談話。せっかちな私にとって、この時間は気が気でならない。2時間後、ようやく着色。その時間は、ほんの数分、そしてまた、2時間の休憩。これを数回繰り返し、夜、きれいな平面ができあがった。
「じっくり時間を置かないと、板と塗料が定着しない。ドライヤーなんかで乾かしたって、楓ハが乾いただけだから、重ねて塗っても、うまく発色しない。」という友人の言葉を思い出す。人と人の関係も同じような気をする。何かに常に焦りを感じ、じっくりと人と向き合うことを無意識に避けてきた自分に気が付く。板と塗料がなじむ間、古材屋のおじさんと、アンティーク屋のオーナーと、友人と…、ちょっとは向き合うことが出来たのかな、と思う。そして、そんな時間にはやっぱり、お茶があるのだな、と感じる。








