フランス人、クロワッサンを希望
「漂流の末に発見されたフランス人、クロワッサンを希望」という見出しのついた記事を読んで、なるほどフランス人!と思った人は多いことでしょう。
ボートのエンジン故障によってカリブ海を20日間漂流したフランス人漁師が、救助されたときに真っ先に頼んだのはクロワッサンだったのだそうです。漁師は「雨水とデッキに着地したわずかなトビウオによって生き延びた」ようですが、オランダの小型快速船のクルーに救助されて、最初に口にした言葉は、
「パン・オ・ショコラ(チョコレートクロワッサン)とミルクはありますか?」
だったそうです。こんなときすぐに、自分なら何を食べたがるかしらと考えるのは、根がひまなせいでしょうか。まろやかな自然塩だけで握って海苔を巻いた、ほんのりと温度のあるおにぎり。玉ネギ、じゃがいも、若布を入れたお味噌汁を少し。きっとそんなものを切望することでしょう。
今年の早春、ふだん山歩きをしたこともないのにどうしても熊野古道をひとりで歩いてみたくて、周囲のみんなに厳重な防寒具の準備と事前のトレーニングをアドバイスされていたとき、すばらしいお料理の才狽ノ恵まれた友人が作って私に持たせてくれたのは、チョコレートのあらゆる魅力をぎゅうっと濃縮して詰め込んだ究極のブラウニーでした。
初めて歩く熊野の山々。冷たい空気は澄みきって張りつめ、何百年も昔から無数の人々が歩いてきた古道は、私のほかには人影もありませんでした。何日分もたまった筋肉痛や心ぼそさと闘いながら苔むした石畳をのぼっていくとき、背中のリュックに入れたブラウニーは頼もしいお守りになってくれました。
その日の予定ウ事に歩き終えて、山のふもとで食べるブラウニーの感動的なおいしさ。クーベルチュールをたっぷり使った、ずっしり濃厚な舌ざわり。甘さの中に、カカオの高貴なほろ苦さと、オレンジの爽やかなほろ苦さが混じり合い、ひとくちかじるごとに、疲れた身体の頭のてっぺんから爪先まで大きな喜びが駆けめぐりました。
遭難ブラウニー。私はひそかに彼女のブラウニーをそう呼んでいます。「遭難しても1個で1週間は生きられるくらいおいしいブラウニー」の略です。本当においしいものには、輝くような生命力が宿っていますものね。








