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2006年09月03日(日曜日)

おだやかな臨終

060901kawag.jpg「だれかが死ぬときは、大事な家族のところに、必ず<お知らせ>が行くもんだよ」
義父はよく言います。彼の父親が亡くなる前には、家の玄関のドアがとつぜん、そばに誰もいないのにバーンというすさまじい轟音をとどろかせたそうです。

「お父さんが呼んでいる!」
そう直感した彼は全力疾走で父親の枕もとに駆けつけ、息をひきとる瞬間に間にあったといいます。たいへん長生きをした父親は、駆けつけた息子に手を握られてにっこりし、おだやかに旅立ったとか。

その不思議なできごとを大切に記憶している義父ですから、自分が亡くなるときも、息子に<お知らせ>をするかもしれません。それはすなわち、うちのマンションのドア? のんびりと島暮らしを営んできた長寿の家系なので、幸いにしてそんな日はずいぶん先なのだと思いますが。

死をどうとらえるかは家庭によって違うことでしょう。夫の育った家庭でも、私の育った家庭でも、肉親たちはおおむね健康で長生きをしたために、死は悲しいけれど自然で避けられないものとしておおらかに受け止められてきました。

先日出版した本『カフェの扉を開ける100の理由』のなかに、すこしだけ長野の亡き祖父のエピソードを書き、祖父がのこした冗談について綴ったのですけれども、そのページを父親に見せたら、さっそく「おじいちゃんはもっとおもしろい冗談ものこした」という感想が。私が期待していたのは、おじいちゃんも天国で喜んでいるだろうとか、懐かしいねとか、そのたぐいの言葉だったのですが…。

父によれば、祖父は病床で「自分が死ぬときは時代劇の中で息をひきとる人がよくやるように、なにか言いかけて、急にがくっと首をたれてみせる」と笑って宣言していたそうです。そうして亡くなるとき、本当に宣言の通りにして旅立ったのだとか。がくっと首をたれた祖父を見て、父は0.3秒くらいのあいだ、冗談か本気か判断がつきかねたそうです。

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