2007年03月05日(月曜日)
春のある日
ちょうどそのときわたしは人生や生まれたことの意味、すべてのことに悩んでいました。
とあるカフェの店主はそんな悩んでいるわたしに言ったのです。
人間は愛の勉強をするために生まれてきたと。
家族との愛
友人との愛
恋人との愛
仕事への愛
物への愛
自然への愛
すべてのデキゴトやモノには出会う意味があり、愛・感謝を持って接すること。
そしてその愛は測ってしまうことにより、自分の愛の泉は枯渇してしまうそう。
う~ん。 なんて深く難しい・・・。(だから人生日々勉強なのですね)
店主の言葉はわたしの頭の中のからまっていた糸を少しずつほどいてゆくように響き
あるがままをすべてを受止めて、新しい自分になる気持ちになりました。
そうそう、新しい自分になるには身近なものを新しいものに変えるのが良いそうです。
古い服を感謝して(ココがポイント)捨てて、春らしい明るいものに。
お部屋のカーテンをさわやかな色に変えてみたり。
手作りのお料理を美味しく味わうために優しい色の食器に新調してみたり。
春は新しいことが始まる季節でもありますね。
これからの新しいデキゴトがもっと素敵になりますように。
2007年03月04日(日曜日)
不都合な真実に、ハチドリのひとしずく
映画と本『不都合な真実』からはアル・ゴアのきまじめと言ってもいいくらいの誠実さが伝わってきますね。いま起きている地球環境の破壊の原因は私たち人間にあるのだということを、さまざまな数値を正確に、淡々と並べていくことで証明していきます。
映画を通してなによりも強い印象を受けたのは、アメリカではまだ「地球温暖化は人間のせいではない」と強弁する政治家や政府・企業おかかえのメディアがしぶとく生き残っていて情報を操作し、一般の人々に混乱を与えていることでした。だからアル・ゴアはあんなふうに、信頼できる数値や統計をたくさん集めて、正確な情報を与えられていない人々にむかって、環境破壊は私たち自身のせいなのだと証明しなければならなかったのですね。
アル・ゴアのきまじめさに好感を抱きつつも、もしも同じ素材をマイケル・ムーアが映画に料理したらどのようになっただろうかと想像せずにはいられませんでした。
マイケル・ムーアは自分が疑問を抱いた社会問題に対して、ベースボールキャップをかぶった陽気なデブ(失礼!)という外見をフルに活用し--誰だって、そのユーモラスな外見にはつい油断してしまいます--大胆なアポイントメントなしの突撃インタビューを重ね、痛快なドキュメンタリー映画に仕立ててきました。
たとえば、アメリカの高校で実際に起きた銃乱射事件を糸口に、銃社会を痛烈に批判した『ボウリング・フォー・コロンバイン』。この問題にほとんど関心を抱いていなかった私にも、その実態と、銃を手放そうとしない人々の心理が、マイケル・ムーアの冗談かと思うほど単刀直入なインタビューを通してストレートに伝わってきます。”陽気なデブ”からシンプルな質問を受けて絶句する銃賛成論者たちの姿に、快哉を叫ばずにはいられません。
ただし、次の作品『華氏911』はブッシュ大統領を批判する映像が、あまりにも強引にマイケル・ムーアの都合のいいように編集されていて、さすがにこれはやりすぎだと感じずにはいられませんでしたが。とにかく、もしこの人が『不都合な真実』を撮ったらさぞかし見物だったことでしょう。
さて、「人間が引き起こしたことだから、人間の手で解決できる」というアル・ゴアの力強いメッセージに対して、私たちはどのようにこたえていけるでしょうか? 私は友人の家で食卓を囲んだときに小さなヒントをもらいました。用意されたお料理をつまみながら楽しく時を過ごしたあと、帰るときになってお皿洗いを申し出たら、こんな言葉がかえってきたのです。
「あ、いいの。お皿洗いは好きだし、お湯でさっと洗うだけだから。お湯だとよく落ちるのよ」
彼女は生活排水による汚染を少しでも減らそうと、台所で洗剤を使わないことにしていたのです。そういえば用意してくれたお料理もたくさんの野菜を炭火で焼いたり、銀杏をあぶったりしたもので、ほとんど油が使われていませんでした。それでもお皿にちょっとした油が残ることがあれば、洗う前に新聞紙でお皿をぬぐっておくことで、お湯だけで充分に落ちるのですよね。
彼女は声高に「地球を守れ」と叫ぶことはしません。ただ静かに、自分のできることを最大限に実践しているだけです。彼女の暮らし方は、環境問題にまつわる名作絵本『ハチドリのひとしずく』そのもののように思えました。