忍者の蕎麦屋、枢機卿のコーヒー
カフェや和食店を経営するTさんのお誘いで、コーヒー道楽をきわめるH氏のお宅におじゃましてまいりました。
私の周囲にはコーヒーのプロ、コーヒーのコレクター、それから私のように単純にコーヒーを飲むのが好きなひとなど多数のコーヒー党がいますが、「コーヒー道楽」となると、スケールの大きさといい完全主義といい、H氏の右に出る者はいないかもしれません。
なにしろH氏ときたら、私費○億円を投じて設計の天才や鋳物の職人を集め、限定200台の小さな自宅用手まわし焙煎器を開発してしまったのです。H氏が開発者に課した厳しい条件は、
「子どもからおばあちゃんまでかんたんに焙煎できること」
「世界にひとつしかない、すばらしいクオリティ」
「300年は使用できること」。
H氏は駐アフリカ大使としてアフリカ各国を歴任し、現在は大手商社の顧問としてたまに会社にでかけるほかは、奥様と二人で悠々自適の生活を送っていらっしゃるそう。そんな「お殿さま」に小さな手まわし焙煎器の設計を依頼されたのは、大手自動車会社で名車を設計したひと。製造にあたったのは、東京オリンピックの聖火台を作った職人。
お殿さまがかぐや姫のようにくり出す大小の無理難題をクリアして、半年後にようやく完成した焙煎器は、なんと本漆塗り仕上げ!(そんな焙煎器、ありますか?!) 桐の箱におさめられてお殿さまに献上されたそうです。
古来から、世の中には少数の腕のたつ職人と少数のお殿さまもしくは良い旦那がいて、両者の信頼関係が文化を洗練させ磨き上げてきたのだなと思わずにはいられませんでした。現代では「みんなのための、品質もお値段もほどよい大量生産品」はたくさん出回っていますが、「お金と時間に糸目をつけずに、最高の技術と品質を求めた、唯一のもの」にはめったにお目にかかれないようです。
そしてH氏のお話をうかがっていると、日本には看板を出さず、どんなメディアの取材にも決して応じない、まるで忍者の隠れ里のようなおいしい名店がいくつも存在していて、お殿さまと旦那衆のあいだでだけひっそりと愛されていることがうかがい知れました。
そういうお店はお殿さまたちに愛されていれば充分すぎるほどやっていけますし、お殿さまたちは自分の肥えた舌を満足させるために、つねにわがままなリクエストや改善案を言い出しますから、「みんなのため」ではなく「少数の選ばれたひとを完璧に満足させるため」に精進しているわけですね。
この日、H氏のお宅には、Tさんと私のほかにもうひとりのお客さまがいました。この男性はH氏のお弟子さんとも言える存在で、コーヒーの焙煎と蕎麦打ちがご趣味。H氏が「彼の打つ蕎麦は○○名人の蕎麦よりうまいですよ」と太鼓判を押すので、たちまち興味をそそられてしまったTさんは、茶室を借りてこの男性の蕎麦を食する会を開催することを提案。自分の経営する和食店の板前さんたちを連れてきて天ぷらを揚げさせます!と、その場ですばらしいプランが発浮ウれました。
さて、奄フ小さな手まわし焙煎器で焙煎されたコーヒーは、焙煎直後の豆はまだガスが抜けていなくておいしくないからと、1日おいた豆を何種類も味見させていただいたのですが、えぐみ、渋みなどのまったくない、すばらしくきれいな透明感のあるコーヒーでした。
私はこの焙煎器が欲しくてたまらなくなってしまったのですが、欲しがったのは私だけではなく、バチカン市国の方々も、日本企業の方々も同じだったよう。バチカンでは修道院クッキーのように、枢機卿コーヒーのようなものを作りたかったらしいのです。
しかしH氏は結局この焙煎器をだれにも売らないことに決めてしまったそうです。その理由をおうかがいして、うーん、と思いましたが、お殿さまにはお殿さまの男気(?)というものがあるのですね。








