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2007年07月04日(水曜日)

“日傘の女性”からみるモネの妻への想い

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今週の月曜日まで国立新美術館にて展示されていた“大回顧展 モネ”に最終日に行ってきました。「行きたいっ!」と思いながら、なかなか足を運べなかったのですが、やはり行ってきてよかった…。

ずいぶん前の日記にも書きましたが、美術館は画家がテーマの展覧会が面白い。画家の一生を通しての絵の変化が感じることができるので非常に魅力的なのです。特にクロード・モネ(1840-1926)は、当時としては長寿の86歳の最期まで描き続け、作品も多く残っています。

私は20代後半から30代のモネの絵も好き。
かささぎ”(1868‐69)28歳~29歳頃の作品で、雪の白の表現が素晴らしかった。今回の展覧会の作品の中でもひときわ輝いていたように思います。

27歳のころ長男ジャンが生まれ、29歳でジャンの母でもある最初の妻カミーユと結婚。温かな家庭を築き幸せな時間を過ごされていたのでしょう。カミーユや息子ジャンを描く時の柔らかなタッチや鮮やかな色彩など、絵から愛情が溢れ出ています。

その後…支援者であるオシュデが破産し借金に苦しんでいた39歳で、妻カミーユを32歳という若さで亡くしてしまうという不幸もありました…。

モネの“日傘の女性”の代附・iとしては3点あります。(デッサン除く)

1点目は1875年(当時35歳)に描いた、息子ジャンとカミーユを描いた作品。
ベールをまとっているもののカミーユの撫薰熾`かれ、当時5歳だった息子のジャンも描かれています。

その9年後、1886年(当時46歳)に2点描いた“日傘の女性”(右向きバージョン、左向きバージョン)があります。モデルは義理の娘であるシュザンヌ・オシュデですが、撫薰ヘぼんやりと抽象的に描かれています。この頃すでに再婚したモネですが、きっと亡くなったカミーユのことを思い出して描いたのではないかと想像しジーンとしてしまいます。
(今回展示されたのは中央の絵)

こんなこと書いておいて、既に展覧会が終わっていてごめんなさい…。
国立新美術館で次に楽しみなのはフェルメールかな。

ちなみにモネの代名詞とも言われる「睡蓮」は、1899年(当時59歳)から1926年の亡くなるまでの間に全部で200点以上制作されています。この頃すでにモネは印象派の大家。当時から評判の高い“睡蓮”は描けば描くだけ絵は売れたことでしょう。うがった見方かもしれませんが…だから睡蓮の作品が多いのかなー。(モネのファンに怒られそう…)

最期の作品として有名なのがオランジュリーに展示された、壁一面に睡蓮を描いた“睡蓮大装飾画”。当時の首相クレマンメ[の依頼で描き始めたものです。睡蓮の大画面に囲まれ、水の中にいるような不思議な感覚に陥るような大作です。
こちらのサイトでバーチャル体験できますよ♪絵をクリックしてみてくださいね。

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2007年07月02日(月曜日)

未来都市上海

070625_staff_kasa.jpg最近、仕事で上海に立ち寄る機会が多いです。昔は上海はあまり好きではなったのですが、今は訪れるたびに少しずつ好きになっています。

初めて上海を訪れたのは1993年でした。その頃、中国は市場経済化の道を踏み出してから10数年足らずで、上海は大都市とはいえまだまだ発展途上でした。

上海があまり好きではなかったのは、一見発展しているようで、実は蓋を開けてみると他の地方都市と変わらない理不尽な不便さがそこかしこに見られ、かといって地方の人々に見られるような気さくさや朴訥とした雰囲気は当時の上海の人々の中にはすでになく、なんだか慌ててとってつけたような都会さがひどく不自然に思われたからです。昔何かのマンガで見たことがある「未来都市」に出てくるような不思議な形をしたビルが古い民家の上に広がる光化学スモッグの空にそびえたち、その組み合わせが私の目には奇妙に映ったのです。

あれから10数年がたち、上海は文字通り大都市となっています。若い女性の服装は日本女性と大差なく、ショッピングモールには海外のショッピングモールでもおなじみの外資系ブランドショップが乱立し、昔はタクシーに乗って目的地へ行くのにも一苦労だったのに今はリニアモーターカーまで通っていて、いろいろな面で便利にやりすごすことができます。

そんな大都会上海は上海っ子にとって誇りです。タクシーの運転手さんは私が日本人とわかるやいなや、3人に1人は「東京とどっちが発展している?」と質問してきます。

先日も上海を訪れた際、浦東新区に向かう際に乗り合わせたタクシーの運転手さんが「上海と新宿はどちらが発展している?」と質問してきました。別にタクシー代を負けてもらおうなんて下心があったわけではないのですが「上海の方が発展しているね。」なんて、リップサービスをしてしまいました。「そうだろう!」といたく満足気な運転手さんを尻目に、私は相変わらずひどい光化学スモッグの中ににょきにょき生えている「未来都市風ビル」を見上げ、そのすぐ眼下に広がる古びた民家を見下ろし、この奇妙な組み合わせはどんなにこの国が発展しても変わらないのだなぁ、とぼんやり思いました。
発展途上だから奇妙な組み合わせだったのではなく、この奇妙な組み合わせはこの国独特のもで、この先どんなに発展しようともその組み合わせは変わらないのだと思います。

上海の街角を無作為に切り取った時、そのどんな風景も後にも先にも二度とありえないようなそういう組み合わせが上海の街にはちらばっています。それらのバラバラに切り取った風景を並べてみると、何かの映画のコマ送りのように、案外と一つの統一された世界ができあがったりして、それがまた中国らしいな、と思うのです。
昔はそのちぐはぐな組み合わせを不快に思うことすらあったのですが、今は少しずつ楽しめるようになっています。

追伸:こんにちは。今日からほんわか茶のみ日誌のメンバーになりました。チンシャンスタッフとして拙い文章力を駆使しつつ、がんばって執筆いたします。
10数年前、中国に留学した経験があり、今も仕事柄中国に行く機会が多いです。中国情報なども紹介しながら、楽しいブログにしたいと思います。

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2007年07月01日(日曜日)

人生の24時間

数年にわたって愛用している「ほぼ日手帳」には、各ページのすみに、印象に残る言葉が小さく印刷されています。この手帳を使う楽しみのひとつは、なにげなくスケジュールを書きこんだページの上でおもしろい文章にぶつかることなのですが、ある日、ちょっと衝撃的な文章に出会いました。<読者メールより>と添えられた、こんな内容です。

 中学校を卒業するにあたって…(中略)
 ある先生が言った言葉です
 「自分の歳を3で割ると、それが人生の時間だ」
 私達は15歳÷3=5時
 午前5時の夜明け前、今人生の夜明け前にいるのだと教えてくださいました。
 あなたの人生は今何時ですか?

070630kawag.jpg計算してみて愕然としました。私の人生は、もはや午後なのです。

人生の時間を1日24時間に換算したこの考えは、とりあえず24時間目の72歳でいったん人生の幕が下りる計算ですが、だいたい20歳くらいで目がさめて朝食の時間、30歳で午前10時のおやつの時間を迎えることになります。36歳で正午のランチタイム、45歳で午後3時のおやつ……そして54歳から57歳くらいのあいだに、夕暮れどき、日没の時間になるのです。

この計算で何より驚いたのは、夜の長さ。昼さがりの時間はあっというまに過ぎて夕方へと進んでいくのに、日が暮れて暗くなってからはとても長いように思えます。

ちょっとため息をつきかけたところで、ふと、私が1日のうちでもっとも時間を楽しんでいるのは夜間であることに気がつきました。低血圧の怠け者ですから、午前中はぼーっとねぼけて過ごし、まともにものが考えられるようになるのはお昼ごろ。夕方にむかって少しずつ調子があがっていき、日没は元気いっぱいのシャンパンもしくはビールタイムが始まります。

そんないつもの日々を人生24時間説に換算すれば、私は60歳くらいで人生最大のお楽しみ、ディナータイムを迎えることになり、66歳からは甘いデザートタイム。70歳前後で本を読んだり映画を観たり、だらだらしながらも充実した時間を過ごすことになるではありませんか。このことに気づいてから、60代、70代がけっこう楽しげなものに思えたりしています。

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