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2007年09月26日(水曜日)

栗駒山

070925-staff-kasa.JPG先週末、東北地方にある栗駒山を散策してきました。
若かりし頃(?)は毎年夏登山を愉しんだものでしたが、ここ5年は登山どころかたいした運動もせず、5年振りの登山は激しい筋肉痛とセットなのでした。

それでも久しぶりの登山は気分爽快で、変化に富んだ風景も美しく、改めて登山の愉しさに気づかされました。

標高1627.7mの栗駒山は岩手、宮城、秋田、山形の四県をまたいでいるコニーデ型の休火山で、休火山というと一寸の揺るぎすらない厳しい山を想像しますが、実際は自然の造形美に富んだ本当に美しい山でした。

早朝須川温泉からのぼり始め、道中可憐な高山植物や勇壮な渓谷を眺めながら、鬱蒼と生い茂るブナの原生林を抜けると、荒寥とした岩山の間から突如として広がるコバルトブルーのカルデラ湖。
天上に広がる空の青と眼下に広がる湖のコバルトブルー、その境目に横たわる紺青の峰々が水彩画のように溶け合い、しばらくの間、粛然と立ち尽くしてしまいました。

070926-staff-kasa.JPGやがて小一時間ほど尾根を登るとようやく山頂にたどり着きました。
山頂は風が心地よく吹いていて、汗ばんだ額をひんやりと風がなで、運動不足で悲鳴をあげている足腰を慰労するのでした。
晴天のおかげで、普段はめったに見られない「鳥海山」が広漠とひろがる雲海の中から神々しく顔をのぞかせ、その佇まいは我々人間に向かって有無を言わせぬ力がありました。

登山は山頂にたどり着いたときの爽快感が楽しみの一つですが、栗駒山については道中の自然美が本当に豊かで改めて登山の別の楽しみを教えてくれました。

中国に行くといつも思うのですが、日本の山々は厳しさの中にどこか懐の深さを感じさせます。
一方、中国の山々は本当に「厳しい」の一言です。それは一瞬の隙もなく、人間など決して寄せ付けてはくれない、立ち入らせまいとする居姿で、荒削りで孤高な感じがします。

また、日本語には草木や花など、自然についての名詞や形容詞がとても多いですが、中国語には花や草木に関する語彙があまり多くありません。中国人の友人に散歩の途中で見かけた草木の名前をたずねてもたいてい「わからない。」といわれますし、せっかく風雅に草花を鑑賞しているのに、その植物が食べられるか食べられないかをご丁寧に教えてくれたりします。
もちろん、中国にも古来から観賞用として牡丹や蓮の花などがありますが、それは一部の限られた人たちの趣味に留まっており、日本のように自然にありのままに咲いている花々を鑑賞するような習慣は恐らくないのではないかと思います。

それだけ日本人は自然と密接に生活をしていて、生活の中で自然の厳しさに畏敬の念を払い、また自然もそういう人間を受け入れる懐の深さがあり、そんな風に日本人と日本の自然はうまく共存してきたのだと思います。
都会ではこのように自然との密接さを感じることはないですが、東北地方などの田舎に行くと、家のつくりやちょっとした庭先に立てかけてある生活具などを見るにつけ、自然と密接に暮らしているのだな、という印象を受けます。

ちょうど今回訪れた頃は、一ノ関近辺の田んぼは黄金色の稲穂がずっしりと頭を地にもたげており、まさに刈り入れの季節でした。
10月中旬あたりに再び紅葉を観に栗駒山を訪れようと思います。
その頃は刈り入れも終わり、家々は冬支度を始めている頃かもしれません。



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