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2008年08月15日(金曜日)

プレーヤー的な、解説者的な

080815kawag.gifスポーツ競技を観戦するときは、どちらかといえばプレーヤーに感情移入するタイプの人と、解説者・評論家に変身するタイプの2通りに分かれますね。

私は徹底的にプレーヤーになりきってしまうたちです。オリンピックという短い一瞬の舞台に、4年間かけて最高のコンディションにもってくるための計画などを想像していると、ものすごく疲れます。そして、たとえば競泳の女子の試合がスタートするとき、飛び込み台に立った選手の足が、がくがく震えているのがTV画面に映し出されたりすると、たちまち自分も緊張してしまうのでした。

この選手、昨晩はきっと早く寝つかなくてはとあせりながら、気持ちが高ぶってあまり眠れなかったんだろうなとか、ベッドから暗い天井を見上げて、どんなおまじないの言葉を自分に言い聞かせ続けたんだろうとか、イメージトレーニングの方法とか、母国で応援している家族の顔を思い出すと、あたたかいような苦しいような気持ちになるのかしらとか、とにかく山のように想像して自分も追体験して苦しくなってしまいますから、そんな選手が試合後、持てる力を出し切ったという表情を浮かべたりすると、今度はこちらも嬉し泣きしてしまいます。ああ、なんて忙しい。

ところが、うちには私とは正反対の、声の大きな解説者・評論家がひとりいて、画面を見ながら選手にうるさくアドバイスをするのです。聞いている私のほうは、まるで自分が指導を受けているような気分に。

プレーヤー気質(?)の人間の傾向として、評論家=自分は全然痛くもかゆくもないところでものを言う卑怯者、ととらえがちですから、夫の解説を聞いているうちにだんだん腹が立ってきてつい叫びました。
「そんなに言うなら、自分があそこに行って勝負してくれば?!」

夫はなぜ私がぷんすかしているのか、理解しかねているようでした。ごもっとも。

本番の合図の音が鳴り響いたら、たとえ両膝の震えがとまらなくても、頭の中が真っ白になっていても、自分を信じて足を踏み出さなくてはなりません。舞台にひとりで立つプレーヤーは孤独なもの。そのとき、逃げ出しそうになる自分を支えてくれるのは、応援でも意志の力でもなくて、日々ひたすら積み重ねてきた練習だけのような気がします。

でも、どんなに想像をたくましくしても、道をきわめた人間にしか見ることのできない風景、知ることのできない真実があるのですよね。
私も、スポーツ競技とは無縁ですが、この日々を生きるプレーヤーのひとりとして、ささやかですが、自分にしか見えない風景、人まねではなく自分の手で触れる真実をめざしたい……連日の熱戦を見ながら、そんなことを思ったのでした。


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