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2008年06月06日(金曜日)

白はしゃれこうべの白

東京カフェマニア主宰 川口葉子

080606kawag.jpgいつも白川静の『常用字解』をなんとなく机の上に置いて、ふとした時間にめくっています。漢字のなりたちを解説した辞典ですが、適当にページを開いて目についた漢字の項を読むと、その字がどのようにして生まれたかが書かれていて、思いがけない発見があるのです。

たとえば、「白」という象形文字はこんなふうに解説されています。

白: 象形。白骨化した頭蓋骨の形。風雨にさらされて肉が落ち、白骨になったされこうべの形であるから、「しろ、しろい」の意味となる。偉大な指導者や討ち取った敵の首長の首は白骨化した髑髏として保存した。すぐれた首長の首には、すぐれた呪霊(霊の力)があると信じられていたからである。

これを読むと、白という文字が、もう頭蓋骨の形以外のなにものでもないように見えてきます。

言葉や衣食住に関する文字は、ほとんどが神、または超自然的な力との関係によって生まれてきたこともよくわかります。

「口」という象形文字は、顔についている口そのままの形かと思いきや、じつは神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形なのだそうです。口という形を含まれる漢字はみな、この意味を持つのですって。

「光」という象形文字は、人が頭上に火の光を載せている形。そしてさっき、「音」という会意文字のなりたちを読んで静かな感動をおぼえたのですが、長くなるのでこれくらいで。

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2008年05月24日(土曜日)

走る音楽

東京カフェマニア主宰 川口葉子

080523kawag1.jpgお昼の番組でタモリ氏が、ドライブしているときに音楽と風景がぴたりとはまったときの新鮮な感動に触れ、「夜の首都高にはワーグナーが合うんですよね」と述べていました。これには共感する人が多いのではないでしょうか。

しかし、もうひとつタモリ氏が挙げた例は、私にはわかりにくいものでした。
「夏に軽井沢のほうを車で走るとき、鬼押出しに向かっていくあたりは、意外なことにクリスマスソングが合うんです。真夏に、古いクリスマスソングっていうのがね」

これは実際に走って体験してみないとぴんとこないようです。
映画のBGMには古典的な“真逆の法則”というものがあり、恐ろしい光景に無邪気で単純な童謡をもってくるといっそう不気味な効果を上げたり、恋人どうしが幸福そうに街角を歩いていく光景に哀感を帯びたメロディーを合わせると、その幸福のはかない美しさが際だったりすることがありますので、「真夏の高原とクリスマスソング」もその組み合わせなのかもしれませんね。

余談ですが、ワーグナーが戦闘音楽としても危険な魅力をはらんでいることは周知の通り。フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』の名物シーンといえば、ワルキューレを大音量で流しながらヘリコプター部隊が空爆を繰り返す光景。人間の感情を高揚させる音楽は、どこかデモーニッシュな要素を含んでいるようです。

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2008年05月09日(金曜日)

タイトル= カフェ発、2cm角の豆宇宙

東京カフェマニア主宰 川口葉子

080509kawag1.jpg「和」をテーマに、あたらしいカフェの本を執筆しています。取材で訪れたお店の中に、篆刻(てんこく)のアーティストが営むカフェがありました。
篆刻とは、書道家が署名の下にぽんと押すはんこを思い浮かべていただければいいでしょう。石や木の素材に姓名や雅号などを彫ったものです。

カフェで見せていただいた作品はいずれも、伝統的な篆刻の枠にとらわれず、お客さまの名前とイメージをもとに、篆刻アーティストのヒロサダさんが自由でしなやかな発想を展開して刻みこんだもの。わずか2~3cm四方のはんこの中にひとつひとつ異なる小宇宙…というより“豆宇宙”が創造されていて、そのデザインの楽しさ、線のこまやかさに目をみはりました。

店内には篆刻用の小さな石がたくさん並んでいます。篆刻を注文するお客さまはその中から好きな石を選ぶだけ。デザインはすべてヒロサダさんのセンスにおまかせし、できあがりを楽しみに待つことになります。

作品があまりにも素敵だったので、私も自分用にひとつ注文せずにはいられませんでした。お願いしたのは「葉子」という名前と、コーヒーを添えてくださいということ。

約1ヶ月を経て送られてきた郵便物の中には、小さな小さな「葉子」の宇宙が入っていました。「葉」の草かんむりを左に長く伸ばしてソーサーに見立て、その上にコーヒーカップをひとつ。「子」の上の部分は、よく見るとコーヒー豆になっています! 豆の部分は実物大で2mmほど。

私には「子」の文字が人の姿に見え、まるで藤棚を眺めて藤の花に手をさしのべている人のようだと思ったのですが、ヒロサダさんは「子」の文字を1本の花のつもりで彫ったのだそうです。コーヒー豆が咲く花として。そうであれば、「葉」の文字の下の部分は、その花に誘われて飛んできた蝶の姿なのかもしれません。080509kawag2.jpg


「ゆったりと落ち着いた時間の流れている雰囲気の方だったので、ごてごて飾らずに、できるだけシンプルに仕上げました」とヒロサダさん。
はんこを注文したお客さまはみな小さな平面からたくさんの風景を自由に読みとり、この部分は○○に見えます、この文字は○○に見えますと、楽しげな手紙を書き送ったりなさるそうです。

これからは旅先で友人にあてて書く絵はがきの最後に、この印を押すつもりです。

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2008年05月04日(日曜日)

下落合2丁目、カフェと、馬をつないだ大ケヤキ

東京カフェマニア主宰 川口葉子

080504kawag1.jpg下落合2丁目。大正時代に建てられた日本家屋を使ってカフェが開かれています。そのカフェで過ごした帰り道、高級住宅街の一角に不思議な光景をみつけました。

道路のまんなかにそびえるケヤキの樹。あきらかに交通のじゃまをしています。走ってきた車は下の写真のように、このケヤキをよけて通過しなければなりません。ちょっと愉快な光景です。

ふつうなら車が優先されて、樹は切り倒されてしまいそうなものですが、いったいどうしてこんな光景が生まれたのでしょうか? しばし見とれていたら、ケヤキの胴体にしめ縄が巻かれていることに気づきました。ご神木?

うまい具合にすぐ近くに交番をみつけたので、扉を開けてみましたが誰もいません。奥に声をかけてみると、はいはい、とのんびりした声で返事をしながらおじさんが現れました。(おまわりさんと呼びたいところですが、制服姿ではなかったので判断できなかったのです)

「あの樹はどうして道のまんなかに立っているのですか?」
「…ああ、あれね、ケヤキ。昔は2本あったんだけど1本は落雷で焼けちゃってね。あの樹のおかげで車がスピード落とすから、安全でいいんだよね」

080504kawag2.jpgおじさんの話によれば、かつてこの一帯は近衛文麿の一族が広大な屋敷を高ヲており、戦前までは「近衛町」と呼ばれていたとか。ケヤキの樹はその当時からのものだそうです。
「近衛一族があのケヤキに馬をつないでいたんだって」
「はあ……」

偉い人の一族ゆかりの樹であることはわかりましたが、馬をつないだという理由で、こんなに大切に保存されるものでしょうか? 重ねておじさんに訊ねても、はかばかしい回答は得られませんでした。

後日、インターネットでざっと調べてみたら、この界隈には怪談らしきものがあるような、ないような。まあ、古くから続く集落やお屋敷の跡地には怪談はつきものですよね。

なんにせよ、百年前からその土地に根を張り、時代の移り変わりを眺めてきた生きものに街角でばったり遭遇できたことで、自分が知っている東京の姿は歴史のあまりにも薄い表面なのだということを、あらためて思ったのでした。

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2008年04月26日(土曜日)

大坊珈琲店の宵

東京カフェマニア主宰 川口葉子

その日、大坊珈琲店の厚い一枚板のカウンターのはじっこに座り、私はいつものコースを楽しんでいました。モカをゆっくりと2杯。手持ちの文庫本を何ページか。大坊マスターが「お元気ですか」と声をかけてくださったので、近況報告をすこしだけ。

ちょうど街の人々が夕食のことを考えはじめる時刻で、店内は久しぶりにしんとした静けさに満ちていました。お客さまは私と、すぐあとから入ってきた常連客らしいひとだけ。素敵な女性でした。声から判断すると30歳くらいでしょうか。カウンターに座ると、やはり大坊マスターとふたことみこと近況を告げる会話をおだやかに交わし、あとは珈琲のおいしさにそっと集中している様子。

080424kawag1.jpg私が1杯目のモカを飲み終えて2杯目のモカを注文したときのこと。第三の客が登場して、店内の空気がいっきに変わりました。なにしろむやみに声の大きなひとだったのです。

「こういう店に来るのは初めてなんですけど!」

スーツ姿の青年はぎくしゃくとカウンター席に腰かけ、大音量で述べました。店内はなんだか元気でとんちんかんな新入社員が入ってきた……という雰囲気になり、女性客も私も、今にも吹きだしそうになるのをこらえる感じに。

青年が大坊マスターに向かって大声で語るには、とても素敵なひとが、行きつけの店だと言って彼に大坊珈琲店を教えてくれたのだそうです。かつてこのような専門店には来たことがない、と彼は申告しました。

「うちは、ふつうの珈琲屋です」
大坊マスターはいつもとすこしも変わらない礼儀正しさで答えました。
「そうですか?!」
「吹けば飛ぶような店ですよ(笑)」
マスターの声のあたたかさは、青年の緊張をいくぶんほぐしたようでした。彼はメニューに悩みつつ「コーヒー」と注文しました。

大坊珈琲店ではブレンドコーヒーを濃さによって1番から4番まで分けており、単にコーヒーとだけ注文すると標準的な濃さの3番が出てきます。番号が小さくなるにしたがってコーヒーが濃厚になっていくのですが、ここのコーヒーのが真価が味わえるのは2番からだと私は思っています。好みの問題と言ってしまえばそれまでですが。

080424kawag2.jpg青年は3番のコーヒーを飲みながら、「開店したのは何年前ですか」とか「あそこの器はなんですか」とか、不器用なトーンで質問を投げかけていきます。

女性客と私はそれぞれの流儀でもって、この青年に優しい歓迎の意を示していました。女性客は青年の言葉に小さな笑い声で相槌を打つようにし、私は声を出さずにチェシャ猫のようなビッグスマイルを浮かべながら読書を続けて。(やりとりを聞いていると、どうしてもそんな顔になってしまうのです)

そんな会話が一段落したころに、大坊マスターがおっしゃったのでした。
「張りのある、いい声をしていらっしゃる」
青年は驚きと嬉しさとが半々の様子で、そうでしょうかと答えました。

「でも、もう、最初にここに入ったきた時とは声の調子が違っていますね」
と、マスターは続けました。
「あなたは声の調子がちゃんと変えられるんですね」

そこで青年は初めて気がついたのです。
「ぼく、最初は声がずいぶん大きかったですか。すみません」

大坊マスターはただ、笑っていらっしゃいました。さすが、としか言いようがありません。お客さまに恥をかかせない言葉で、注意をうながすべきポイントはちゃんと教えてさしあげているのです。青年は次に大坊珈琲店を訪れるときには、きっと深い珈琲の香りと低く抑えたジャズの音色にふさわしい声のボリュームで言葉を発するに違いありません。

珈琲店デビューの舞台が大坊珈琲店だったことを、彼はあとになってから、感謝の念とともに思い出すことでしょう。

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2008年04月19日(土曜日)

小豆島の醤油のはなし

東京カフェマニア主宰 川口葉子

080419kawag1.jpg古くは醤油づくり、最近ではオリーブ栽培でも知られる小豆島。
島で唯一の酒蔵である森國酒造を訪ねて、かつては佃煮屋さんだったという建物を改装した美しいカフェを取材させていただいたあと、代々、家族で伝統的な醤油づくりをおこなってきたヤマロク醤油さんに案内していただきました。

古い建物に足を踏み入れたとたんに、たちこめる醤油の香りに包まれました。明治時代初期に造られ、100年以上を経て今なお使われつづけているヤマロク醤油のもろみ蔵は、国の登録有形文化財にも指定されているものです。

薄暗い土壁の蔵にひっそりと並んでいる、巨大プールのような杉の大樽。それはまるで深い森の奥で、樹齢何百年ともしれない巨樹に出会ったような光景でした。

ただ圧倒されるばかりの大樽。なにしろ、その木肌には麹菌がびっしりと繁殖して、苔むしたよう。水分を含んで柔らかくなり、今にももろもろと崩れ落ちるのではないかと思うような樽なのです。まさに時代を超えて生きつづける巨樹の肌。

木製の樽は、古くから賢くリサイクルされてきたのですって。
「最初に酒蔵で50年くらい使われたあと、アルコール分が抜けてしまうようになったら、醤油樽として使われるんです。これは100年以上もちます。最後には木の表面を削って、漬け物屋で使われます」
ヤマロク醤油の5代目、山本さんがそう説明してくださいました。

080419lawag2.jpg階段をのぼって熟成中の樽の上に立つと、樽の中のもろみたちはうごめき、ささやきかわしているよう。それが生きものであることが実感できます。醤油づくりは生きものを育てることなのですね。まどろむ土壁、深い呼吸を続ける杉樽、その中でふくらみ成長していくもろみ。

自分が見た光景があまりにも説得力があったので、思わずその場で自宅用に醤油を4本買いもとめましたが、5代目が笑いながらおっしゃることには、ヤマロク醤油は東京でも紀伊国屋やDEAN&DELUCAで購入可狽ネのですって。TV番組「どっちの料理ショー」のなかでは、究極のお醤油として紹介されたそう。

左上の写真は週末限定で登場する「しょうゆプリン」。
「醤油と乳製品はよく合うんですよ」
という5代目の言葉通り、ひかえめなプリンの甘さに、ほのかな醤油の香りがふんわりと混じり、あとをひくおいしさです。

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2008年04月12日(土曜日)

口コミで伝わらないカフェの話

東京カフェマニア主宰 川口葉子

080412kawag1.jpg蒲田といえば、チェーン系以外にカフェなどあるのかしら、というイメージの強い“居酒屋の町”ですが、駅のすぐ近くのマンションの2階に、驚くほど優秀なカフェがひっそりと身を潜めています。

障子を模したほのかに白く光る窓が、雑然とした外界の風景を完全に遮断し、漆喰と杉材の壁に囲まれたカフェの内部にやわらかなあかりをもたらしています。
デザインを手がけたのは、建築家であり、このカフェのオーナー八代まゆみさんのご主人でもある八代国彦さん。店内に並んでいる端正でありながらあたたかみを感じるフォルムの椅子たちは、木曽アルテック社にオーダーしたオリジナルです。

静かな愉しみの気配に満ちたこのカフェでお菓子教室を主宰する八代まゆみさんの信条は、お菓子づくりの各プロセスの中に、ほんのわずかでもおいしさのクオリティを増すポイントがあれば、すべて省略せずに実行すること。「おいしさへの努力は最大限におこなう」--そうして作られた名物のひとつが、写真の「蒲田モダンロール」(500円)です。

080412kawag2.jpg中央の手作りこしあんの風味との相性を考えて、生クリームは乳脂肪分の低いものを選び、すっきりした優しい味わいとなめらかな口あたりに。
それらをしっとり包み込む抹茶の生地は、ふわふわ感ともちもち感を両方とも楽しめるようにと、手間のかかるスフレ生地で作っています。

「飾らないお菓子ほど、作るひとの心がけが出てしまうのです」と八代さん。そのおいしさに、オープン当初から熱心に通いつめる常連の方々が、男女を問わずに多いそう。しかしこのカフェ、口コミでは全然ひろがらないのですって。

「近くの会社で働いている女性のお客さまが、『大切な隠れ家だから絶対にひとには教えません!』と言って帰っていかれました(笑)」

大切に場所だと思ってもらえるのは嬉しいし、でも、もう少しほかの人々にも知ってほしいし…と、こういうカフェをいとなむオーナーの想いは複雑です。考えてみれば私も、初めておじゃましたのは1年近く前になるのに、なんだかもったいなくて、大きな声ではひとに教えていませんでした!

お昼どきにはおいしい昼食を楽しむ人々で賑やかになりますが、午後2時を回れば、心をこめて淹れられた紅茶と、とびきりのお菓子の数々と、喧噪にじゃまされない時間が待ち受けています。

お茶とお菓子 まやんち
東京都大田区蒲田5-43-7  ロイヤルハイツ蒲田207号室
TEL 03-6276-1667

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2008年04月04日(金曜日)

自転車に乗って、珈琲を飲みに

東京カフェマニア主宰 川口葉子

080404kawag1.jpg情熱的な食いしん坊の知人がいます。そのかたのお名前を、仮にX氏としておきましょう。
「福岡に良いカフェを見つけましたよ」
そんなメールをX氏からいただいてから1年あまりも経ったころでしょうか、ようやく教わったカフェを訪れることができました。

小さなカフェの男性店主は、やわらかな透明感と表現したらいいのか、繊細な優しさと表現したらいいのか、独特の不思議な空気を身にまとっていらっしゃるかたでした。
やりとりしたのはごく一般的な会話だったのですが、お話ししているうちに、そのひとの表情のなかに天使的な一点をみつけて注目していたから、不思議な印象が残ったのかもしれません。

その店主からうかがったX氏の話。
「はじめてX氏がお店に来てくださった日のことは忘れられません」

X氏は東京から福岡に向かう飛行機の中で、機内誌のページに紹介されていたそのカフェのことを知り、福岡空港に到着するなり「いま空港にいるんですが、お店に行くにはタクシーにどう言えばいいですか?」とカフェに電話をかけてきたそうです。そして空港からそのままタクシーに乗ってお店に直行したとか!

080404kawag2.jpg食いしん坊は、おいしいものへの直感がはたらくと、素晴らしい行動力を発揮するものですね。素敵そうな情報に接したとき、「いつか行ってみたいな」ではなくて、「今がそのチャンスだ、すぐに行こう」と思えることこそが、机上の食いしん坊と、真の食いしん坊との違いなのかもしれません。

いまやX氏は福岡を訪れるたびに、レンタサイクルに乗ってそのカフェにやってくるそうです。
「まるでこの街に住んでいるひとのように、いらしてくださるんですよ。自転車というイメージはないかたなのに」

たしかに高級外車のほうが似合うX氏ですが、福岡という街は自転車で移動するほうが気持ちいいサイズ。街の空気も含めて、おいしい珈琲を楽しんでいらっしゃるのでしょう。

※写真は珈琲をドリップする店主の後ろ姿です。心を癒す薬を調合している薬剤師にも、珈琲の実験をしている化学者にも見えます。

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2008年03月28日(金曜日)

困った時の豆頼み

東京カフェマニア主宰 川口葉子

新しいカフェの本を作るために、ひとりでカメラをかついで日本のあちこちに取材旅行にでかける日々が続いています。その町の有名店を訪れてみるのは興味深いものですが、地元の珈琲好きにしか知られていないような、ひっそりしたお店に出会うのは、より心に残る体験となります。

080328kawag1.jpgよく晴れた午後、初めて降り立つ町で扉を叩いた、1軒の魅力的な自家焙煎珈琲屋さん。古びた長屋の一室を使った店内には、1kgの小ぶりな焙煎釜と、燃える珈琲魂を持つ20代のご主人と、笑顔が春の青空を思わせる奥さまの3人が立っていました。

お店の入口の横に小さな黒板が出ていました。白いチョークで綴られた言葉は、
「困った時の豆頼み」。

これはご主人が3週間に1度くらいの頻度で思いついてはチョークを握る珈琲格言(?)なのだそうです。小さな町には、珈琲豆を買わず、この格言だけを楽しみにして読んでいく通行人もいるとの噂。

080328kawag2.jpg黒板にはこれまでに、
「渡る世間は豆ばかり」
「十人十豆」
…などの名作が書きつけられてきましたが、十人十豆と書いたときには、店名と間違われたそうです。店名にしても、なかなか素敵に響くではありませんか。

珈琲豆を深く愛し、安易にお客さまが増える方法は自分が納得できないからと切り捨て、「まったく儲かりませんね!」と明るく断言するご主人の若さと潔さに、まぶしいような心もちがしました。

棚の片隅に置いてあった植木鉢には、友人が作って贈ってくれたという2匹のカエルが踊っていました。珈琲挽きを回すカエルと、白いカップでコーヒーを飲むカエル。仲の良いご主人と奥さまの姿なのだそうです。

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2008年03月21日(金曜日)

「くらしと器 夏草」

東京カフェマニア主宰 川口葉子

080321kawag2.jpg今週は新しい本の取材のために、名古屋のカフェをあちこち訪ねて歩きました。そのうちのひとつ、「おうち菓子 madam an(マダムアン)」という築70年になる長屋を使ったカフェの奥で、四畳半のギャラリーに出会いました。

ギャラリーには、カフェの室内からいったん小さな庭に出て、飛び石を渡って入ります。

日本でいちばん小さい(?)畳敷きのギャラリー「くらしと器 夏草」の主は寺本秀子さん。すりガラスごしに木漏れ日と明るい緑いろが揺れ、窓際に並べられた器に表情を加えています。この窓には、塀の上を散歩する猫の影も映るそうです。

部屋に並んでいるのは、陶芸、漆、染織、ガラス、鍛金(たんきん)、木工など多分野にわたる作家たちの作品。いずれも寺本さんのまわりで活躍している身近な作家さんたち。寺本さんご自身がものづくりをする人であったことから、もっと気軽に作品に親しんでもらいたいと、作家と人々を結ぶ場所としてギャラリーを開設したそう。

棚の一角には、水野正美さんの手になる小さな美しい銅鍋が置かれていました。寺本さんも女性としては珍しく鋳物の道に進み、水野さんと同じように金槌を使って銅版をこまかく打ち出し、作品を作っていらしたといいます。

私には金属を扱うことの面白さがとっさに想像できませんでしたから、なぜ、その分野を選んだのですかと訊ねずにはいられませんでした。

080321kawag1.jpg「作っているうちに、金属のあたたかさを感じられるようになるのです」
と寺本さん。
金属を熱したり冷やしたりこまかく叩いたりする作業を繰り返していくうちに、ひとの手と金属とのあいだに不思議な親和性が生まれるのかもしれません。その「あたたかい」という実感は、日々金属に触れ、金属と心を通わせていた人間にしか得られないもの。なにかをきわめようとしたひとの言葉には、聞いている者にとっても発見があります。

夏草という名前の由来について、寺本さんに訊ねてみました。
「ギャラリーの名前が思い浮かばなくてどうしようかなと思っていたとき、むかし住んでいた札幌の家の風景がぱっとひろがったのす。家の前はいちめんの夏草でした」

旅先でカフェやギャラリーを訪れ、人々の作品や言葉に接する時間は、なにかしら心に種をまいてくれるようです。

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