
2007年07月01日(日曜日)
人生の24時間
東京カフェマニア主宰 川口葉子
数年にわたって愛用している「ほぼ日手帳」には、各ページのすみに、印象に残る言葉が小さく印刷されています。この手帳を使う楽しみのひとつは、なにげなくスケジュールを書きこんだページの上でおもしろい文章にぶつかることなのですが、ある日、ちょっと衝撃的な文章に出会いました。<読者メールより>と添えられた、こんな内容です。
中学校を卒業するにあたって…(中略)
ある先生が言った言葉です
「自分の歳を3で割ると、それが人生の時間だ」
私達は15歳÷3=5時
午前5時の夜明け前、今人生の夜明け前にいるのだと教えてくださいました。
あなたの人生は今何時ですか?
計算してみて愕然としました。私の人生は、もはや午後なのです。
人生の時間を1日24時間に換算したこの考えは、とりあえず24時間目の72歳でいったん人生の幕が下りる計算ですが、だいたい20歳くらいで目がさめて朝食の時間、30歳で午前10時のおやつの時間を迎えることになります。36歳で正午のランチタイム、45歳で午後3時のおやつ……そして54歳から57歳くらいのあいだに、夕暮れどき、日没の時間になるのです。
この計算で何より驚いたのは、夜の長さ。昼さがりの時間はあっというまに過ぎて夕方へと進んでいくのに、日が暮れて暗くなってからはとても長いように思えます。
ちょっとため息をつきかけたところで、ふと、私が1日のうちでもっとも時間を楽しんでいるのは夜間であることに気がつきました。低血圧の怠け者ですから、午前中はぼーっとねぼけて過ごし、まともにものが考えられるようになるのはお昼ごろ。夕方にむかって少しずつ調子があがっていき、日没は元気いっぱいのシャンパンもしくはビールタイムが始まります。
そんないつもの日々を人生24時間説に換算すれば、私は60歳くらいで人生最大のお楽しみ、ディナータイムを迎えることになり、66歳からは甘いデザートタイム。70歳前後で本を読んだり映画を観たり、だらだらしながらも充実した時間を過ごすことになるではありませんか。このことに気づいてから、60代、70代がけっこう楽しげなものに思えたりしています。

2007年06月24日(日曜日)
忍者の蕎麦屋、枢機卿のコーヒー
東京カフェマニア主宰 川口葉子
カフェや和食店を経営するTさんのお誘いで、コーヒー道楽をきわめるH氏のお宅におじゃましてまいりました。
私の周囲にはコーヒーのプロ、コーヒーのコレクター、それから私のように単純にコーヒーを飲むのが好きなひとなど多数のコーヒー党がいますが、「コーヒー道楽」となると、スケールの大きさといい完全主義といい、H氏の右に出る者はいないかもしれません。
なにしろH氏ときたら、私費○億円を投じて設計の天才や鋳物の職人を集め、限定200台の小さな自宅用手まわし焙煎器を開発してしまったのです。H氏が開発者に課した厳しい条件は、
「子どもからおばあちゃんまでかんたんに焙煎できること」
「世界にひとつしかない、すばらしいクオリティ」
「300年は使用できること」。
H氏は駐アフリカ大使としてアフリカ各国を歴任し、現在は大手商社の顧問としてたまに会社にでかけるほかは、奥様と二人で悠々自適の生活を送っていらっしゃるそう。そんな「お殿さま」に小さな手まわし焙煎器の設計を依頼されたのは、大手自動車会社で名車を設計したひと。製造にあたったのは、東京オリンピックの聖火台を作った職人。
お殿さまがかぐや姫のようにくり出す大小の無理難題をクリアして、半年後にようやく完成した焙煎器は、なんと本漆塗り仕上げ!(そんな焙煎器、ありますか?!) 桐の箱におさめられてお殿さまに献上されたそうです。
古来から、世の中には少数の腕のたつ職人と少数のお殿さまもしくは良い旦那がいて、両者の信頼関係が文化を洗練させ磨き上げてきたのだなと思わずにはいられませんでした。現代では「みんなのための、品質もお値段もほどよい大量生産品」はたくさん出回っていますが、「お金と時間に糸目をつけずに、最高の技術と品質を求めた、唯一のもの」にはめったにお目にかかれないようです。
そしてH氏のお話をうかがっていると、日本には看板を出さず、どんなメディアの取材にも決して応じない、まるで忍者の隠れ里のようなおいしい名店がいくつも存在していて、お殿さまと旦那衆のあいだでだけひっそりと愛されていることがうかがい知れました。
そういうお店はお殿さまたちに愛されていれば充分すぎるほどやっていけますし、お殿さまたちは自分の肥えた舌を満足させるために、つねにわがままなリクエストや改善案を言い出しますから、「みんなのため」ではなく「少数の選ばれたひとを完璧に満足させるため」に精進しているわけですね。
この日、H氏のお宅には、Tさんと私のほかにもうひとりのお客さまがいました。この男性はH氏のお弟子さんとも言える存在で、コーヒーの焙煎と蕎麦打ちがご趣味。H氏が「彼の打つ蕎麦は○○名人の蕎麦よりうまいですよ」と太鼓判を押すので、たちまち興味をそそられてしまったTさんは、茶室を借りてこの男性の蕎麦を食する会を開催することを提案。自分の経営する和食店の板前さんたちを連れてきて天ぷらを揚げさせます!と、その場ですばらしいプランが発浮ウれました。
さて、奄フ小さな手まわし焙煎器で焙煎されたコーヒーは、焙煎直後の豆はまだガスが抜けていなくておいしくないからと、1日おいた豆を何種類も味見させていただいたのですが、えぐみ、渋みなどのまったくない、すばらしくきれいな透明感のあるコーヒーでした。
私はこの焙煎器が欲しくてたまらなくなってしまったのですが、欲しがったのは私だけではなく、バチカン市国の方々も、日本企業の方々も同じだったよう。バチカンでは修道院クッキーのように、枢機卿コーヒーのようなものを作りたかったらしいのです。
しかしH氏は結局この焙煎器をだれにも売らないことに決めてしまったそうです。その理由をおうかがいして、うーん、と思いましたが、お殿さまにはお殿さまの男気(?)というものがあるのですね。

2007年06月15日(金曜日)
世界の果て書店
東京カフェマニア主宰 川口葉子
青山一丁目駅のすぐそばに、「BOOK246」という旅をテーマにした小さな本屋さんがあります。おとなりはカフェ。その本屋さんの書架で、詩人・平出隆のエッセイ集をみつけました。もくじを眺めて、ぱっと目を奪われたのは『世界の果て書店』というタイトル。画家ドナルド・エヴァンズについての短いエッセイでした。
エッセイによれば、ドナルド・エヴァンズは切手の絵だけを4千枚も描き続けたアメリカの画家。その「切手」とは、画家の頭の中だけに存在した空想上の国々の、架空の切手。彼にだけ見えている幻の国々の風景や文化、そこに生きる植物たち、動物たちを思うとき、その緻密かつスケールの大きい想像力に共感を寄せずにはいられません。
ドナルド・エヴァンズはアムステルダムという都市に憧れて移り住みますが、アパートの火事によって31歳の若さで亡くなりました。アムステルダムを訪れた平出隆は、その街のなにもかも人工的に造り上げられた風景に接し、想像上の国に住んだ画家にふさわしい場所だと書いています。
そのアムステルダムの運河のほとりで、平出隆は「世界の果て書店」という名の小さな本屋さんに出会ったのでした。1階は「世界の果て書店」、地階は「世界の果てミュージック」というCD・レコードショップ。なんて心を惹きつける名前でしょう! 書店もレコードショップも、第三世界や辺境の作品ばかりを扱っていて、そこで平出隆はドナルド・エヴァンズの好きだったエジプトの女性歌手のカセットテープを買った、とエッセイを結んでいました。
平出隆は『葉書でドナルド・エヴァンズに』と題した本も上梓しており、画家の「死後の友人」として、平出隆がドナルド・エヴァンズに宛てて葉書を綴るかたちで架空の国々を旅しています。こちらも美しい想念のこめられた本で、私の愛読書の一冊になりました。

2007年06月10日(日曜日)
妹が海で溺れるとき
東京カフェマニア主宰 川口葉子
小学生ときに「道徳の時間」に教科書で読んだ数々のお話。その大半はすっかり忘れてしまったのですが、ひとつだけ、どうしても飲み込めなかったがゆえに、今でも覚えている物語があります。
それは兄妹がふたりで海に遊びにいって、妹が溺れそうになるお話でした。妹は海の中でもがきながら、必死に砂浜にいる兄に助けを求めるのですけれど、兄は海に飛び込みません。その理由は、泳げなかったからなのか、もしくは自分も溺れてしまうと判断したせいなのか忘れてしまいましたけれども、とにかく兄は大急ぎでほかの人に助けを求めに行き、その結果、妹は無事に救出されます。
そこから先の最後の場面が、小学生の私には腑に落ちなかった部分。ほかの大人に助けられた妹は、兄が話しかけても返事をしないのです。
「妹はそれから何日間か、兄とは口をききませんでした」
……というような終わりかただったと思います。
え、どうして? お兄さんは理性的で正しい判断をしたじゃない、どうして怒っているの?と私は考え込んでしまいました。兄は妹の叫びにこたえて、すぐさま自分も海に飛び込むべきだったのでしょうか?
子ども心にはどうにも後味が悪かったこのお話から、どんな教訓をひきだせたら「正解」だったのかわからないのですが、この世界にはなんだかわりきれないできごとが起きるもので、正解がさっぱりわからないという気持ち悪さをかかえて、飲み込めないまま生きていくこともあるのだ、ということをぼんやり感じました。
その後の人生のなかで、それに似た体験は大なり小なりありましたっけ。そのつど、自分が妹の立場だったり、兄の立場だったりと、場面によって入れ替わりますが。子どもの頃の感想と違うのは、「まあ、そんなこともあるさ」で相手のことも自分のことも許せるようになっていることでしょうか。

2007年06月02日(土曜日)
大机願望症
東京カフェマニア主宰 川口葉子
ひさしぶりに寺山修司のエッセイを読み返していたら、「大机願望症」ということばにぶつかりました。机が大きければ大きいほど、いいものが書けると思いこむ作家の病気であると寺山修司は定義しています。
「重症になってくると、六畳一間分くらいの大机もあったりする、といわれる」
六畳ぶんの机! 寺山修司お得意の作り話の匂いがしますが、その机を置く部屋のほうも、巨大なドアがないと机が入りませんね。いったい六畳分の机にどんな使いみちがあるのかといえば……
「その上で、一晩中歩きまわっていい知恵でも思いうかべようとの魂胆かもしれないが、ともかく愉快なことではある」
ガリバー旅行記の作者スウィフトなどはいかにも大机愛好者だったような気がする、という寺山修司のことばに誘われて、机の大きそうな作家を考えてみました。
すぐに思いついたのが三島由紀夫。デコラティブな大机を愛しそうなイメージがあります。ウンベルト・エーコの机もなんとなく重厚で大きそうですね。ヘミングウェイも大机が好きそうに思えますが、彼は立ったまま、チェストの上かなんかにタイプライターを置いてキーを叩いていたというエピソードをどこかで読んだ記憶があります。
寺山修司自身は、机を持っていないと書いています。原稿用紙と鉛筆と読みかけの本を持って、アパートの周辺の喫茶店を転々と回り歩いていたと。有名作家であろうと、私のようなほそぼそとした文筆業であろうと、カフェのテーブルこそ最高の仕事場だという事情は変わらないようです。客席の静かなざわめきと、カウンターの中でカプチーノを抽出したり食器を並べたりする音が、ほどよいリラックス効果と刺激を同時にもたらしてくれて、原稿に集中しやすいのですよね。
またあるときは中華料理屋のカウンターで競馬のエッセイを書き、あるときは膝にのせた旅行鞄の上で短歌を書いた寺山修司は、エッセイの最後にこんな名言をしるします。
「人生いたるところに机あり」
まだそこまでの域に達していない私にとっては、「人生カフェあれば机あり」です。

2007年05月27日(日曜日)
今年も多摩川べりのカフェで
東京カフェマニア主宰 川口葉子
二子玉川駅から歩いて5分。毎年、春から秋にかけての半年間だけ多摩川べりにオープンするカフェ「PEACE」が、今年もまばゆい水辺にテーブルを並べました。ただし、今年からは上流に移動。2006年までは釣り小屋を改装した簡素なつくりでしたが、多摩川の中洲「兵庫島公園」の中に建てた新しいカフェは、天井に白い天幕を張ってリゾートの雰囲気を醸し出しています。
お天気の良い休日とあって、正午前のカフェはすでに大半の席が上機嫌のお客さまたちで埋まっていました。それぞれのテーブルの上には、よく冷えたビールのグラスが置かれ、光を反射しています。あとで知ったのですが、今日は東京23区内でも最高気温30度を超えたところがあったのですね。ビールがすすむはずです。
キッチンではパスタがつくられているのでしょう、オリーブオイルの中でニンニクが色づいていくときのたまらない香りがたちこめています。さっそく私たちもスペインのきりっとした辛口のスパークリングワイン、カヴァのボトルを注文し、まずバルサミコ風味の小タマネギで昼食をスタートしたのでした。
川べりに降りそそぐ日射しはすでに夏。子どもたちは裸足になり、光の跳ねるせせらぎに両足を入れて歓声を上げていますが、PEACEのテラス席に座って涼しげなグラスをかたむけるおじさんたちも、そろって半ズボン。太陽の正しい楽しみ方ですね。
月曜日からは気温が10度も下がるそうですが、この週末だけは、夏の絡枢メを味わうことができたようです。今年の夏はどんなふうに過ごそうかな。金色の泡のたちのぼるカヴァと、トマトメ[スのパスタと、はちみつをかけた四種のチーズのピッツァを前に、夏の計画を立ててみました。

2007年05月19日(土曜日)
瞳のなかの知らないひと
東京カフェマニア主宰 川口葉子
はるかな時を超えて、幾たび生まれ変わっても、瞳だけは変わらないのだという話を聞いたことがあります。
たいしてロマンティストではない私は、え、じゃあもともと青い瞳を持っていた人間は、日本人に生まれても青い瞳のままなの?……などと考えてしまったのですが、きっと瞳が表現している本質が変わらないということなのでしょう。
だから、時代を超えて魂が強く結ばれている者どうしは、お互いの瞳をじっとのぞきこめば、その深いつながりを思い出せるのだと。
ためしにカフェでコーヒーを飲みながら夫の瞳を凝視していたら、何ひとつ思い出せないうちに「おなかでもすいたの?」と言われてしまったので(私が真剣に空腹を訴えているように見えたのでしょう)、深夜に鏡に向かって、自分の瞳を見つめてみることにしました。
なにが見えたと思いますか? ブラウンの虹彩と黒い瞳孔の中で、私は見たこともない他人と出会ってしまったのです。それは自分のからだの中に宇宙人が入っているのをみつけたような驚きでした。
何十年も自分とつきあっていると、自分に対する興味はどんどん薄れていくものです。また、若いひとが何かにつけ「私はこういう性質で…」と表現する様子をいかにも初々しいと微笑したりするものですが、まだ全然知らない自分が隠れているのだと知ることができたのは、ちょっとした収穫だったかもしれません。

2007年05月11日(金曜日)
教科書タイムトラベル
東京カフェマニア主宰 川口葉子
国語の授業はひどく退屈だった、教科書には何のおもしろみもなかったと語ることが、少なくとも私たちの年代ではお決まりになっているようですが、ほんとうにそうだったでしょうか? おしつけられたり採点されたりするのは苦痛でしたけれども、じつのところ私は小学生の頃から高校時代にいたるまで、教科書に載っていた作品を授業中にけっこう楽しんで読んでいたのです。
最近になって、痛烈にもう一度読み返したい気持ちになったのが川端康成の随筆。しかし困ったことに、どうしても題名を思い出すことができません。Amazonで川端康成の随筆集などを取り寄せてみたのですけれども、探しあてることができませんでした。
そういえば、母はらくがきだらけの私の教科書を大切に保管してくれていたはず。そう思いついて実家に電話をかけ、「中学生のときに使った教科書、まだうちにある?」とたずねてみたところ、つい最近、ゴミが有料化されるときに処分してしまったとか。
残念がる私にすまないと思ったのでしょうか、母はわざわざ市立図書館に電話して、国語の教科書があるかどうか問い合わせてくれました。
「平成元年からの教科書は揃えてありますが、残念ながらそれ以前のものはございません」
ああ、今もくっきりとガラスのコップの輝くイメージが心に残るあの美しい文章には、もう二度とお目にかかれないのでしょうか? その短い随筆では、ハワイのホテルの朝食の食堂で、ガラスのコップの群れが星のように日光にきらめくのを驚きをもって見たことが綴られ、「一期一会」という言葉でしめくくられたのでした。
あまりに多くの人々がたやすく座右の銘として語ったりするので、もはや香りの抜けきった出がらしになってしまった感のある「一期一会」という言葉。でもその随筆の中では、ひとやま300円で大安売りされているような一期一会ではなく、とるにたらないガラスのコップに映る光とのかけがえのない邂逅が「文学とは、また人生とは、このようなものではないでしょうか」と、思索を深めながら語られていたような気がするのです。
川端康成がその光を見たのがハワイのカハラ・ヒルトン・ホテルだったということまで覚えているのに、タイトルを覚えていないとは……と自分の記憶のバランスの悪さを嘆きながら、最後の手段で光村図書に問い合わせてみることにしました。
まずインターネットで光村図書のWebサイトを検索すると、ホームページに「教科書タイムトラベル」というコーナーがあるのを発見。昭和30年からの教科書に収録されていた作品の題名一覧が、年代ごとに並んでいます。ここでようやく、知りたかった題名が判明したのでした。『朝の光の中で』。
光村図書の対応は、すばらしいとしか言いようがありませんでした。「『朝の光の中で』をもう一度読みたいのですが」とお願いすると、コピーをとってFAXで送ってくれたのです。
最後のページには「学習のてびき」として「著者は、自分が発見したコップの美しさについて、どのような考えを述べているか、次のことに気をつけて、まとめてみよう。(1)コップの美しさと、『ハワイの美しさを象徴する著しいもの、よそにたぐいのないもの』との関係」などと、いささか難しいことが書かれていました。現在の私がこの課題をこなせるかどうか自信がないのですが、わずか3、4年しか教科書に掲載されなかったらしいこの掌編に出会うことができたことが、私の大切な「一期一会」のひとつです。

2007年04月29日(日曜日)
屋上ごはん
東京カフェマニア主宰 川口葉子

まばゆい太陽光線の中には
おいしさ倍増成分が含まれているようです。
青空のもとでごはんを食べると
いきいきした味と匂いが舌の上で踊ります。
お皿の上の料理やグラスの中の液体も
太陽光線を浴びて
気持ちよさそうに深呼吸していますから
その気持ちよさが、料理を食べたひとの
体内にも流れこむのでしょう。
駒沢公園に隣接する友人の家で
屋上ごはんをいただきました。
小さなテーブルの横には
アメリカ人のご主人が愛でている
鉢植えのもみじのやわらかでみずみずしい緑、
そのむこうには、公園のたっぷり豊かな緑。
階下のキッチンにたちこめていたのは
そらまめがほくほくと湯気をあげる匂い、
パルミジャーノ・レジャーノがこんがり焼ける匂い。
はちみつで作ったドレッシングに
明るい色のにんじんがひたされる匂い。
きりりと冷やしたスパークリングワインの栓を抜けば
この世界に足りないものはなにひとつない
--そんな屋上の一日。

2007年04月21日(土曜日)
自由が丘「とろそば屋」
東京カフェマニア主宰 川口葉子
4月に自由が丘にオープンしたばかりのラーメン屋さん「とろそば屋」をちょっとのぞいてまいりました。
店内はいたって気取らない雰囲気です。いただいたのはお店の看板メニュー、赤鶏の骨つき肉を気前よくのせた1日限定10食のみの「赤鶏もも塩そば」(950円)。麺の上にふっくらジューシーに煮込んだ鶏肉がぽん!とのっていて目を見はりました。お箸を入れると、お肉がほろりと柔らかくほぐれます。
スープのベースは赤鶏をまるごと、とろとろになるまで溶かしたもの。これにちなんで店名も「とろそば屋」に決めたのだそう。
メニューには塩系スープとしょうゆ系スープが並んでいますが、塩系スープには、鶏のベースに12種類の素材を使ったスープを加えて濃厚なコクを出しており、ちょうどお酒を飲んだあとのしめくくりに立ち寄るのにぴったりの塩加減。……カロリーのことがちらりと頭をかすめますが、スープにはコラーゲンが豊富に含まれていますし、茹でたホウレン草もたっぷりのっていますから、美肌が期待できるというもの。これで心がやすまりますね(?!)
とろそば屋のもうひとつの自慢は、猫舌にも嬉しい「のびない」麺。
これまで何店舗かラーメン店を経営してきた店主の山本さんは、小さな子ども連れの女性が、すっかりのびてしまったラーメンをすすっている光景にも心を痛めていたとか。そんなわけで、麺の楓ハに特殊なひと工夫を加え、ラーメンを食べ終えるまでのびない麺を独自に開発したのだそう。食べるのがゆっくりの女性にも嬉しいラーメンです。
【らあめん とろそば屋】
目黒区自由が丘2-13-3/TEL 03-5701-5702
11:00~24:00 無休