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2007年07月28日(土曜日)

人のいる動物園

東京カフェマニア主宰 川口葉子

070727kawag2.jpg北海道旅行の途中で旭山動物園に立ち寄りました。たびたび大きく報道されてきたので、現代的ですべてが美しく整備された園内を想像していたのですが、行ってみれば手作りの素朴なぬくもりでいっぱいの、でこぼこした動物園。逆にそれが魅力になっているのですね。

暑さをものともせず水の中をすいすいと泳ぎ回る園内の二大スターは、もちろんシロクマとゴマフアザラシ。すでに彼らの姿をご覧になった方も少なくないかもしれませんね。

どうしてシロクマもアザラシも笑っているように見えるのでしょう? 群がる人間たちの姿がおかしくて、ついにやりとしているようにも思えます。くねるおしりも軽やかに、自由自在に動き回っているのはシロクマやアザラシのほう。混雑で身動きがとれないのは人間のほうです。

この日も、シロクマのごはんタイムには見物客の長い行列ができていました。巨大なシロクマがまじかで小魚をとらえるさまは壮観。おまけに、シロクマの足の裏までじっくりと観察することができました。
シロクマの足の裏がこんなに可愛いなんて! もし人間を襲う気になったら私たちなどひとたまりもないにもかかわらず、その足の裏は、まんまるな黒いパンケーキそっくりなのです。
「足の裏がチャームポイントの動物……」
私のシロクマ観が大きく変わった一瞬です。

070727kawag1.jpgしかし何よりも心に残ったのは、ここに動物たちの世話をし、試行錯誤を重ねながら動物園をけんめいに作り上げている人々がいるという「人の気配」でした。実際にその人々の姿を見かけることはなかったのですが、園内のいたるところに立っている手書きの看板から、彼らがいきいきと働き、そして考える姿が強く伝わってきました。

動物が病気になったとき、動物のお医者さんはどんなふうに治療するか。
クモザル3匹がどうしてべつべつの檻に入っているのか。

手書きの看板には、そういったことがやさしい言葉でいきいきと綴られているのです。この動物たちの魅力をわかってほしい、思いきり楽しんでほしい、そして自分たちのしていることを知ってほしい……作り手の人々のそんな真剣な思い、息づかいがこれほどまでに身近に感じられるのは驚きでした。

人のいる動物園。
旭山動物園の風景を思いだすとき、そんな言葉が浮かんできます。

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2007年07月21日(土曜日)

夏の小さな音

東京カフェマニア主宰 川口葉子

070721kawag1.jpg川崎大師ののんびりした風鈴市にでかけました。日が暮れて、境内には浴衣を着た盆踊りの踊り手たちや、はしゃぐ子どもたち、そぞろ歩きの大人たちが勢ぞろい。みんながちょっとほぐれた撫薰オている場所はいいものです。

ずらりと並ぶ屋台の電球に照らされているのは、全国から集められた2万個以上の風鈴たち。昔ながらの江戸風鈴から、京都の竹風鈴、瀬戸焼の風鈴、荻焼の風鈴、長野県諏訪でつくられているエミール・ガレ風の流麗な風鈴、デザイナーによる小さな現代彫刻のようなかたちの風鈴まで、いつのまにこんなに進化したのだろうと目をみはりました。

070721kawag2.jpgときおり微風が吹くと、いっせいに短冊がそよいで音色を響かせます。手吹きガラスの風鈴の澄んだやさしい音、銅の風鈴のかろやかな音、南部鉄の余韻豊かな音。

同じかたちの風鈴でもひとつひとつ微妙に音色が違うので、買おうとする人々はみな、何度も手で鳴らして耳をかたむけ、こっちのほうがいい?などと言い交わしながら音色を選んでいます。売り子たちも心得たもので、なんとなく買いそうな雰囲気を漂わせた人々が歩いてくると、すかさず総出でうちわを使って音色を響かせるのでした。

目を閉じて風鈴の音だけに耳を澄ませていると、昭和も明治も江戸も、その小さな響きのなかで幾重にも層になり、微細にふるえながらつつましい余韻を残しているように思えます。その後、焼き鳥とビールで至福のしめくくりに入ったときも、風鈴の音がずっと耳の底で小さく響いているようで消えませんでした。

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2007年07月14日(土曜日)

小山薫堂のパン屋さんの「百年カレーパイ」

東京カフェマニア主宰 川口葉子

070713kawag1.jpgたいへん好きなクラシックホテルのひとつ、日光金谷ホテルのシェフと小山薫堂のオフィス「ORANGE」のコラボレーションにより、神谷町にパン屋さん「オレンジのバイテン」がオープンしました。

用事ついでに立ち寄ったところ、それほど目立つ店高ヲにはしていない、こじんまりしたお店にもかかわらず、次々に女性のお客さまがひとりで訪れては1個、2個とパンを買っていきました。それもそのはず、このシンプルで楽しげなお店は「山椒は小粒でぴりりと辛い」という感じのオーラを放っているのです。

070713kawag2.jpg話題の中心は、なんといっても「金谷ホテルの百年カレーパイ」(320円、写真の左側)。シェフと小山薫堂が試行錯誤を重ね、金谷ホテルのスパイシーなのに甘さたっぷりで濃厚な「百年カレー」を、さっくりふんわりしたパイ生地で包んだもの。深みのある甘さの正体は、やわらかな干し白ぶどうでしょうか。上品だけれどしっかり効かせたスパイスも効果的です。

ガラスケースにはこのほか、「昔ながらの手作りパン」として、ほんのり甘いバタークリームにみかんを並べた、チャーミングな「みかんパン」(160円/写真の右側)、揚げパンにきなこをまぶした「黄金パン」(140円)、こっぺぱん各種(150円~160円/ピーナツバター、あんバター、ジャムバター)、メロンパン(160円)、コロッケパン(250円)、やきそばドッグ(240円)など、ちょっとなつかしいパンが並んでいました。

070713kawag3.jpgどのパンも素朴で魅力的に見えるうえに、カウンターの中にいた感じのよい女性スタッフが、質問すればなんでも的確に答えてくださるので、ついつい、2種類のチーズを入れた「ちーずぱん」(160円)と、ふだんなら決して選ばないジャムバターの「こっぺぱん」までついでに購入し、さらに、可愛いオレンジ色の洗面器に涼しげな氷といっしょに浮かんでいたオレンジジュースも購入。
この100%オレンジジュースは和歌山産で6種類。糖度12度以上の甘いみかんをしぼった「味一しぼり」(350円)、あまずっぱい温州みかんをしぼった「きよみ手しぼり」(250円)、さわやかな「はっさく手しぼり」(250円)など。のどがかわいていたので、ジュースだけ店内でいただきました。

ただひとつの後悔は、1つだけあったスープメニューに気づかずに注文しなかったことです。カウンターのはしに白いル・クルーゼのお鍋が飾られていたので、もしかしたらお総菜もあるのかしら、とは思ったのですが。次回は「冷たいポテトポタージュスープ」(420円)も忘れずにいただくつもりです。

オレンジのバイテン
東京都港区麻布台1-11-10
TEL 03-3560-3725
OPEN 11:00~18:00、土日祝おやすみ
オレンジのバイテンのブログ

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2007年07月08日(日曜日)

エクウス

東京カフェマニア主宰 川口葉子

070707kawag.jpg劇団四季からご招待いただいて、『エクウス』の初日を観てまいりました。写真は劇場の1階に併設されているカジュアルなカフェ。店内には開演前におなかをいい具合にしておこうとする人々の、小さな期待に満ちた活気が行き交っています。

『エクウス』は戯曲&映画『アマデウス』の脚本でも知られる名手ピーター・シェーファーの作品。6頭の生きた馬の眼を突き刺すという事件を起こした少年と、少年の心の奥深くの謎に踏み込もうとする精神科医との緊迫したやりとりが舞台上で展開されていきます。

『エクウス』がブロードウェイで初演されたのは30年以上も前のこと。以来、緊張感に満ちた脚本の素晴らしさと、やや衝撃的な内容から、世界中でくりかえし上演されてきました。私は80年代に映画版を観ており、スクリーンではリチャード・バートンが精神科医の苦悩を演じたのですが、もしかしてこの医師は少年によこしまな恋愛感情を抱いてしまっているのでは…と、よけいなことまで考えさせる名演(?)でしたっけ。

今年、ダニエル・ラドクリフがロンドンの劇場で『エクウス』の少年役を演じたのも話題になりましたね。映画ハリー・ポッターのファンにとっては少なからずショッキングな事件だったことでしょう。内容もさることながら、後半では全裸になって演技するシーンがあるのです。舞台は濃い闇に包まれ、完璧に計算されたスポットライトの効果のおかげで、見えてはいけないものは見えないようになっているのですけれど。

今回の劇団四季の舞台では精神科医を日下武史が演じており、長年にわたってストレートプレイを積み上げてきた彼の一種の凄みのようなものを堪能ることができました。『エクウス』という舞台は、テレビで活躍する若手の俳優さんたちが得意とするような演技の方法では歯が立たないのです。抑制の効いた、品格を感じさせる演技は、ひとつの”普遍”に到達していたようにも思えます。

あらためて、脚本の素晴らしさも再認識しました。少年の心の底へとどこまでも降りていくことによって、私たちをとりまく世界という不可解なものの謎に触れようとする試み。ラストシーンで少年はついにすべてを精神科医に打ち明け、「事件」の謎は解明されたかに見え、少年は「異常」な世界から「正常」な社会へと復帰できるだろうと告げられるのですが、世界が秘めているあまりにも深く巨大な闇の底には、決して人間の手が届くことはないのでしょう。

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2007年07月01日(日曜日)

人生の24時間

東京カフェマニア主宰 川口葉子

数年にわたって愛用している「ほぼ日手帳」には、各ページのすみに、印象に残る言葉が小さく印刷されています。この手帳を使う楽しみのひとつは、なにげなくスケジュールを書きこんだページの上でおもしろい文章にぶつかることなのですが、ある日、ちょっと衝撃的な文章に出会いました。<読者メールより>と添えられた、こんな内容です。

 中学校を卒業するにあたって…(中略)
 ある先生が言った言葉です
 「自分の歳を3で割ると、それが人生の時間だ」
 私達は15歳÷3=5時
 午前5時の夜明け前、今人生の夜明け前にいるのだと教えてくださいました。
 あなたの人生は今何時ですか?

070630kawag.jpg計算してみて愕然としました。私の人生は、もはや午後なのです。

人生の時間を1日24時間に換算したこの考えは、とりあえず24時間目の72歳でいったん人生の幕が下りる計算ですが、だいたい20歳くらいで目がさめて朝食の時間、30歳で午前10時のおやつの時間を迎えることになります。36歳で正午のランチタイム、45歳で午後3時のおやつ……そして54歳から57歳くらいのあいだに、夕暮れどき、日没の時間になるのです。

この計算で何より驚いたのは、夜の長さ。昼さがりの時間はあっというまに過ぎて夕方へと進んでいくのに、日が暮れて暗くなってからはとても長いように思えます。

ちょっとため息をつきかけたところで、ふと、私が1日のうちでもっとも時間を楽しんでいるのは夜間であることに気がつきました。低血圧の怠け者ですから、午前中はぼーっとねぼけて過ごし、まともにものが考えられるようになるのはお昼ごろ。夕方にむかって少しずつ調子があがっていき、日没は元気いっぱいのシャンパンもしくはビールタイムが始まります。

そんないつもの日々を人生24時間説に換算すれば、私は60歳くらいで人生最大のお楽しみ、ディナータイムを迎えることになり、66歳からは甘いデザートタイム。70歳前後で本を読んだり映画を観たり、だらだらしながらも充実した時間を過ごすことになるではありませんか。このことに気づいてから、60代、70代がけっこう楽しげなものに思えたりしています。

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2007年06月24日(日曜日)

忍者の蕎麦屋、枢機卿のコーヒー

東京カフェマニア主宰 川口葉子

0622kawag1.jpgカフェや和食店を経営するTさんのお誘いで、コーヒー道楽をきわめるH氏のお宅におじゃましてまいりました。

私の周囲にはコーヒーのプロ、コーヒーのコレクター、それから私のように単純にコーヒーを飲むのが好きなひとなど多数のコーヒー党がいますが、「コーヒー道楽」となると、スケールの大きさといい完全主義といい、H氏の右に出る者はいないかもしれません。

なにしろH氏ときたら、私費○億円を投じて設計の天才や鋳物の職人を集め、限定200台の小さな自宅用手まわし焙煎器を開発してしまったのです。H氏が開発者に課した厳しい条件は、
「子どもからおばあちゃんまでかんたんに焙煎できること」
「世界にひとつしかない、すばらしいクオリティ」
「300年は使用できること」。

H氏は駐アフリカ大使としてアフリカ各国を歴任し、現在は大手商社の顧問としてたまに会社にでかけるほかは、奥様と二人で悠々自適の生活を送っていらっしゃるそう。そんな「お殿さま」に小さな手まわし焙煎器の設計を依頼されたのは、大手自動車会社で名車を設計したひと。製造にあたったのは、東京オリンピックの聖火台を作った職人。

お殿さまがかぐや姫のようにくり出す大小の無理難題をクリアして、半年後にようやく完成した焙煎器は、なんと本漆塗り仕上げ!(そんな焙煎器、ありますか?!) 桐の箱におさめられてお殿さまに献上されたそうです。 

古来から、世の中には少数の腕のたつ職人と少数のお殿さまもしくは良い旦那がいて、両者の信頼関係が文化を洗練させ磨き上げてきたのだなと思わずにはいられませんでした。現代では「みんなのための、品質もお値段もほどよい大量生産品」はたくさん出回っていますが、「お金と時間に糸目をつけずに、最高の技術と品質を求めた、唯一のもの」にはめったにお目にかかれないようです。

0622kawag2.jpgそしてH氏のお話をうかがっていると、日本には看板を出さず、どんなメディアの取材にも決して応じない、まるで忍者の隠れ里のようなおいしい名店がいくつも存在していて、お殿さまと旦那衆のあいだでだけひっそりと愛されていることがうかがい知れました。

そういうお店はお殿さまたちに愛されていれば充分すぎるほどやっていけますし、お殿さまたちは自分の肥えた舌を満足させるために、つねにわがままなリクエストや改善案を言い出しますから、「みんなのため」ではなく「少数の選ばれたひとを完璧に満足させるため」に精進しているわけですね。

この日、H氏のお宅には、Tさんと私のほかにもうひとりのお客さまがいました。この男性はH氏のお弟子さんとも言える存在で、コーヒーの焙煎と蕎麦打ちがご趣味。H氏が「彼の打つ蕎麦は○○名人の蕎麦よりうまいですよ」と太鼓判を押すので、たちまち興味をそそられてしまったTさんは、茶室を借りてこの男性の蕎麦を食する会を開催することを提案。自分の経営する和食店の板前さんたちを連れてきて天ぷらを揚げさせます!と、その場ですばらしいプランが発浮ウれました。

さて、奄フ小さな手まわし焙煎器で焙煎されたコーヒーは、焙煎直後の豆はまだガスが抜けていなくておいしくないからと、1日おいた豆を何種類も味見させていただいたのですが、えぐみ、渋みなどのまったくない、すばらしくきれいな透明感のあるコーヒーでした。

私はこの焙煎器が欲しくてたまらなくなってしまったのですが、欲しがったのは私だけではなく、バチカン市国の方々も、日本企業の方々も同じだったよう。バチカンでは修道院クッキーのように、枢機卿コーヒーのようなものを作りたかったらしいのです。

しかしH氏は結局この焙煎器をだれにも売らないことに決めてしまったそうです。その理由をおうかがいして、うーん、と思いましたが、お殿さまにはお殿さまの男気(?)というものがあるのですね。

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2007年06月15日(金曜日)

世界の果て書店

東京カフェマニア主宰 川口葉子

070615kawag.jpg青山一丁目駅のすぐそばに、「BOOK246」という旅をテーマにした小さな本屋さんがあります。おとなりはカフェ。その本屋さんの書架で、詩人・平出隆のエッセイ集をみつけました。もくじを眺めて、ぱっと目を奪われたのは『世界の果て書店』というタイトル。画家ドナルド・エヴァンズについての短いエッセイでした。

エッセイによれば、ドナルド・エヴァンズは切手の絵だけを4千枚も描き続けたアメリカの画家。その「切手」とは、画家の頭の中だけに存在した空想上の国々の、架空の切手。彼にだけ見えている幻の国々の風景や文化、そこに生きる植物たち、動物たちを思うとき、その緻密かつスケールの大きい想像力に共感を寄せずにはいられません。

ドナルド・エヴァンズはアムステルダムという都市に憧れて移り住みますが、アパートの火事によって31歳の若さで亡くなりました。アムステルダムを訪れた平出隆は、その街のなにもかも人工的に造り上げられた風景に接し、想像上の国に住んだ画家にふさわしい場所だと書いています。

そのアムステルダムの運河のほとりで、平出隆は「世界の果て書店」という名の小さな本屋さんに出会ったのでした。1階は「世界の果て書店」、地階は「世界の果てミュージック」というCD・レコードショップ。なんて心を惹きつける名前でしょう! 書店もレコードショップも、第三世界や辺境の作品ばかりを扱っていて、そこで平出隆はドナルド・エヴァンズの好きだったエジプトの女性歌手のカセットテープを買った、とエッセイを結んでいました。

平出隆は『葉書でドナルド・エヴァンズに』と題した本も上梓しており、画家の「死後の友人」として、平出隆がドナルド・エヴァンズに宛てて葉書を綴るかたちで架空の国々を旅しています。こちらも美しい想念のこめられた本で、私の愛読書の一冊になりました。

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2007年06月10日(日曜日)

妹が海で溺れるとき

東京カフェマニア主宰 川口葉子

070609kawag.jpg小学生ときに「道徳の時間」に教科書で読んだ数々のお話。その大半はすっかり忘れてしまったのですが、ひとつだけ、どうしても飲み込めなかったがゆえに、今でも覚えている物語があります。

それは兄妹がふたりで海に遊びにいって、妹が溺れそうになるお話でした。妹は海の中でもがきながら、必死に砂浜にいる兄に助けを求めるのですけれど、兄は海に飛び込みません。その理由は、泳げなかったからなのか、もしくは自分も溺れてしまうと判断したせいなのか忘れてしまいましたけれども、とにかく兄は大急ぎでほかの人に助けを求めに行き、その結果、妹は無事に救出されます。

そこから先の最後の場面が、小学生の私には腑に落ちなかった部分。ほかの大人に助けられた妹は、兄が話しかけても返事をしないのです。
「妹はそれから何日間か、兄とは口をききませんでした」
……というような終わりかただったと思います。

え、どうして? お兄さんは理性的で正しい判断をしたじゃない、どうして怒っているの?と私は考え込んでしまいました。兄は妹の叫びにこたえて、すぐさま自分も海に飛び込むべきだったのでしょうか?

子ども心にはどうにも後味が悪かったこのお話から、どんな教訓をひきだせたら「正解」だったのかわからないのですが、この世界にはなんだかわりきれないできごとが起きるもので、正解がさっぱりわからないという気持ち悪さをかかえて、飲み込めないまま生きていくこともあるのだ、ということをぼんやり感じました。

その後の人生のなかで、それに似た体験は大なり小なりありましたっけ。そのつど、自分が妹の立場だったり、兄の立場だったりと、場面によって入れ替わりますが。子どもの頃の感想と違うのは、「まあ、そんなこともあるさ」で相手のことも自分のことも許せるようになっていることでしょうか。

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2007年06月02日(土曜日)

大机願望症

東京カフェマニア主宰 川口葉子

070601kawag.jpgひさしぶりに寺山修司のエッセイを読み返していたら、「大机願望症」ということばにぶつかりました。机が大きければ大きいほど、いいものが書けると思いこむ作家の病気であると寺山修司は定義しています。

「重症になってくると、六畳一間分くらいの大机もあったりする、といわれる」

六畳ぶんの机! 寺山修司お得意の作り話の匂いがしますが、その机を置く部屋のほうも、巨大なドアがないと机が入りませんね。いったい六畳分の机にどんな使いみちがあるのかといえば……

「その上で、一晩中歩きまわっていい知恵でも思いうかべようとの魂胆かもしれないが、ともかく愉快なことではある」

ガリバー旅行記の作者スウィフトなどはいかにも大机愛好者だったような気がする、という寺山修司のことばに誘われて、机の大きそうな作家を考えてみました。

すぐに思いついたのが三島由紀夫。デコラティブな大机を愛しそうなイメージがあります。ウンベルト・エーコの机もなんとなく重厚で大きそうですね。ヘミングウェイも大机が好きそうに思えますが、彼は立ったまま、チェストの上かなんかにタイプライターを置いてキーを叩いていたというエピソードをどこかで読んだ記憶があります。

寺山修司自身は、机を持っていないと書いています。原稿用紙と鉛筆と読みかけの本を持って、アパートの周辺の喫茶店を転々と回り歩いていたと。有名作家であろうと、私のようなほそぼそとした文筆業であろうと、カフェのテーブルこそ最高の仕事場だという事情は変わらないようです。客席の静かなざわめきと、カウンターの中でカプチーノを抽出したり食器を並べたりする音が、ほどよいリラックス効果と刺激を同時にもたらしてくれて、原稿に集中しやすいのですよね。

またあるときは中華料理屋のカウンターで競馬のエッセイを書き、あるときは膝にのせた旅行鞄の上で短歌を書いた寺山修司は、エッセイの最後にこんな名言をしるします。

「人生いたるところに机あり」

まだそこまでの域に達していない私にとっては、「人生カフェあれば机あり」です。

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2007年05月27日(日曜日)

今年も多摩川べりのカフェで

東京カフェマニア主宰 川口葉子

070525kawag2.jpg二子玉川駅から歩いて5分。毎年、春から秋にかけての半年間だけ多摩川べりにオープンするカフェ「PEACE」が、今年もまばゆい水辺にテーブルを並べました。ただし、今年からは上流に移動。2006年までは釣り小屋を改装した簡素なつくりでしたが、多摩川の中洲「兵庫島公園」の中に建てた新しいカフェは、天井に白い天幕を張ってリゾートの雰囲気を醸し出しています。

お天気の良い休日とあって、正午前のカフェはすでに大半の席が上機嫌のお客さまたちで埋まっていました。それぞれのテーブルの上には、よく冷えたビールのグラスが置かれ、光を反射しています。あとで知ったのですが、今日は東京23区内でも最高気温30度を超えたところがあったのですね。ビールがすすむはずです。

070525kawag1.jpgキッチンではパスタがつくられているのでしょう、オリーブオイルの中でニンニクが色づいていくときのたまらない香りがたちこめています。さっそく私たちもスペインのきりっとした辛口のスパークリングワイン、カヴァのボトルを注文し、まずバルサミコ風味の小タマネギで昼食をスタートしたのでした。

川べりに降りそそぐ日射しはすでに夏。子どもたちは裸足になり、光の跳ねるせせらぎに両足を入れて歓声を上げていますが、PEACEのテラス席に座って涼しげなグラスをかたむけるおじさんたちも、そろって半ズボン。太陽の正しい楽しみ方ですね。

月曜日からは気温が10度も下がるそうですが、この週末だけは、夏の絡枢メを味わうことができたようです。今年の夏はどんなふうに過ごそうかな。金色の泡のたちのぼるカヴァと、トマトメ[スのパスタと、はちみつをかけた四種のチーズのピッツァを前に、夏の計画を立ててみました。

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