
2007年02月02日(金曜日)
セドナ・風の音を消して
東京カフェマニア主宰 川口葉子
このブログがアップされている2月2日金曜日には、おそらく私はセドナで満月を眺めているはずです。
ひょんなことから、パワースポットとして名高いこの土地を旅するになりました。どれくらい「ひょん」だったかと申しますと、飛行機の手配をするまで、私はセドナがアリゾナ州に位置することさえ知らず、どこの空港まで飛べばいいのかわからなかったんですよ。
「ヴォルテックス」とは、大地から強いエネルギーが螺旋状にたちのぼる場所のこと。セドナにはそんなヴォルテックスが点在すると言われていますが(詳しく知りたい方はこちらでどうぞ)、私はそういうったものをあまり感じないたち。それでもふっとセドナに興味が引きよせられたのは、セドナでは大地の音が聞こえる、という言葉を耳にしたからでした。
セドナの大地に立って耳をすまし、まず、吹き抜ける風の音を意識から消してみる。それから、鳥の声、遠くの車のクラクションなどを順番に消していく。そうすると最後に残るのが「大地の響き」なのだそうです。それは地球が回転する音? はたしてどんな音が聞こえるのでしょうか。私の耳は、それを聞き分けることができるのでしょうか。
写真はAmazonで購入した洋書『Sedona Hikes』。セドナにたくさんあるトレイル歩きのガイドブックです。

2007年01月26日(金曜日)
お菓子と音のハーモニー
東京カフェマニア主宰 川口葉子
日本茶各種×スイーツの楽しめるカフェパステラリア五條で、顧問の小林さんにお話をおうかがいしたときのこと。
パステラリア五條の創作スイーツはすべて、パティシエールの市毛さんが手作りしています。なぜ、市毛さんをこのお店のパティシエールに迎えたのですかと訊ねたら、二人の出会いのシーンを話してくださいました。
晩秋のある日、シャトーレストランでおこなわれたウェディングパーティー。参列者はまず森のチャペルでの挙式で幸せなカップルを祝福したあと、落ち葉を踏みしめて別の建物まで歩き、おいしいものがずらりと並ぶパーティールームへと足を踏み入れます。
「そこで彼女の、パイ生地を使った一皿に出会ったのです。落ち葉を踏むさくさくという音と、パイ生地をいただくときの音が重ね合わされていたんですね。こんな素敵な演出ができるのは彼女しかいないと思いました」
小さなお菓子の中に、四季の音を聞く。それは釜のお湯がたぎる音を「松籟」と呼び、風が幾万もの緑の松葉を揺らして吹き渡る音を聞き取ってきたお茶の精神にも通じるものですね。

2007年01月20日(土曜日)
「やる気」はどうして長続きしない?
東京カフェマニア主宰 川口葉子
101回目のダイエット。
究極のダイエット。
至高のダイエット。
ラストチャンス・ダイエット。
リベンジ・ダイエット。
これまでに私が宣言してトライしたダイエットの数々は枚挙にいとまがありません。最近では「ダ…」と言いかけるだけで恥ずかしくなってくるほど。
最大の問題は、やる気が持続しないことです。三日坊主どころか、ダイエット宣言をして3時間後には、はやばやとおやつの誘惑に負けているありさま。
「とことん、意志が弱いんだと思う」
友人にそうぼやいたら、ちょうど【やる気問題】を取りあげた本を読んでいたと言って、バッグから1冊の本を出して見せてくれました。目次の『なぜ、感情やヤル気は長続きしないのか?』という1行が目をひきます。ぱらぱらめくってみたら、こんな言葉が書かれていました。
モチベーションを燃やし続けられないひとは、決まってひとつの勘違いをしています。それは、感情というのは、放っておいても持続するものだという勘違い。
なるほど、感情は本来、ロゼシャンパンの泡のように、グラスの底からたちのぼって楓ハに浮かんだら、小さくはじけて消えてしまうものなのですよね。感情は長続きしないものなのです。やる気も、愛も、放っておいたら自然に消えていきます。
では、感情を定着させるには? それは、感動を受けたらその場で行動に変えることなのだそうです。消えやすい感情は、形にすることではじめて自分のものにできるのだとか。なぜなら、何かに感動するというのは受動的な、与えられた体験。それを形に変えるというのは、自分から箔ョ的におこなう体験。
だから営業職のひとのなかには、お客さまに会ったその日に感謝の葉書を書いて送ることを心がけている人々がいるでしょう--本にはそんな例が挙げられていました。彼らはお客さまに好印象を与えるためだけにお礼状を送るのではありません。話を聞いてくださってありがたい……そんな感謝の気持ちを自分の中に定着させるためにこそ、お礼を書くという行動に変えているのだと。
なるほどなるほど。じゃあそのうち「やる気定着ダイエット」という新しいダイエットを開始するわね、と言って、私はその夜のお目当てのイタリアンレストランの扉を開け、一瞬にして本の忠告を忘れ去ってしまいました。本には、「そのうち」というのは決して訪れないからその場で実行しなさい、というアドバイスが書かれていたのです。

2007年01月20日(土曜日)
「やる気」はどうして長続きしない?
東京カフェマニア主宰 川口葉子
101回目のダイエット。
究極のダイエット。
至高のダイエット。
ラストチャンス・ダイエット。
リベンジ・ダイエット。
これまでに私が宣言してトライしたダイエットの数々は枚挙にいとまがありません。最近では「ダ…」と言いかけるだけで恥ずかしくなってくるほど。
最大の問題は、やる気が持続しないことです。三日坊主どころか、ダイエット宣言をして3時間後には、はやばやとおやつの誘惑に負けているありさま。
「とことん、意志が弱いんだと思う」
友人にそうぼやいたら、ちょうど【やる気問題】を取りあげた本を読んでいたと言って、バッグから1冊の本を出して見せてくれました。目次の『なぜ、感情やヤル気は長続きしないのか?』という1行が目をひきます。ぱらぱらめくってみたら、こんな言葉が書かれていました。
モチベーションを燃やし続けられないひとは、決まってひとつの勘違いをしています。それは、感情というのは、放っておいても持続するものだという勘違い。
なるほど、感情は本来、ロゼシャンパンの泡のように、グラスの底からたちのぼって楓ハに浮かんだら、小さくはじけて消えてしまうものなのですよね。感情は長続きしないものなのです。やる気も、愛も、放っておいたら自然に消えていきます。
では、感情を定着させるには? それは、感動を受けたらその場で行動に変えることなのだそうです。消えやすい感情は、形にすることではじめて自分のものにできるのだとか。なぜなら、何かに感動するというのは受動的な、与えられた体験。それを形に変えるというのは、自分から箔ョ的におこなう体験。
だから営業職のひとのなかには、お客さまに会ったその日に感謝の葉書を書いて送ることを心がけている人々がいるでしょう--本にはそんな例が挙げられていました。彼らはお客さまに好印象を与えるためだけにお礼状を送るのではありません。話を聞いてくださってありがたい……そんな感謝の気持ちを自分の中に定着させるためにこそ、お礼を書くという行動に変えているのだと。
なるほどなるほど。じゃあそのうち「やる気定着ダイエット」という新しいダイエットを開始するわね、と言って、私はその夜のお目当てのイタリアンレストランの扉を開け、一瞬にして本の忠告を忘れ去ってしまいました。本には、「そのうち」というのは決して訪れないからその場で実行しなさい、というアドバイスが書かれていたのです。

2007年01月14日(日曜日)
教えない
東京カフェマニア主宰 川口葉子
食いしん坊の知人に、和食のお店へ連れていっていただきました。
蘭オてあったのはカウンター席。おいしいお店では、作り手と直接ことばが交わせるカウンター席こそ最上というのが知人の持論で、その夜私たちは持論通りの楽しい時間を過ごすことができました。
白木のカウンターをはさんで私たちの前に立ったのは総料理長。17歳のときに料理の道に入ったという彼は、包丁を動かしながら、私の質問に答えて下積み時代の経験談を聞かせてくださいました。
厳しい師匠の教えは、いつも
「あれ持ってこい!」
だったのだそうです。
新人の彼には「あれ」が何なのかさっぱりわかりません。しかも、時と場合に応じて「あれ」が指すものはぜんぜんちがうのです。まごまごしていると、すぐに怒られます。
「俺が今、やっている作業をちゃんと見ていたら、次に何が必要かわかるはずだ!」
くりかえしそう言われ続けたことで、つねに師匠の動きを食い入るように真剣に見ていることになったし、次の段取りを自分の頭で考えるようになりましたから、結局はあの教え方に感謝しています、と総料理長はおっしゃいました。
「でも当時は、いつかこいつを殴って、店を逃げ出してやろうと毎日のように思っていましたけどね(笑)」
そんなお話を楽しんでいるとき、カウンター奥の厨房から現れたのが料理長。お椀の味見を総料理長に頼んでいます。総料理長は後ろに下がり、さしだされたお吸いものをちょっと口にふくんでひとこと。
「だめ」
料理長はうなずいてすぐに厨房に引き返しました。味に何が足りないとか、何が多すぎるとか、そんなアドバイスはまったくありません。ただ小さな声で不合格としか言わないのです。総料理長はかつて自分が教わった方法と同じ方法で後輩たちを教えているようでした。
「手取り足取り教えていたら、いつまでたっても自分の頭では何も考えませんから」
そのあと料理長がまた味見をしてもらいに現れましたが、再度「だめ」。箔o半島で採れた天然の岩海苔と甘鯛を具にしたお椀が私たちの前に登場したのは、3度の味見のあとでした。

2006年12月23日(土曜日)
RAIN ON THE ROOF(三軒茶屋)
東京カフェマニア主宰 川口葉子
お仕事で三軒茶屋に出かける直前に、「新しいカフェをオープンしました」というメールが舞い込んできて、これもなにかのご縁と、夕方、仕事帰りに立ち寄ってみました。なによりもまず、その名前に惹かれたのです。RAIN ON THE ROOF。
裏通りにはまだ、名画座「三軒茶屋中央劇場」と「三軒茶屋シネマ」、そして銭湯がかろうじて残っていました。銭湯の塀に赤い鳥居のマークが描かれているのは、立ち○○をする不届き者への警告と思われます。(不届き者でも、鳥居にむかってするのは、さすがにはばかられるらしいのです) まぎれもない「昭和遺産」のたたずまい。
その名画座の並ぶ狭い路地をぐるりと回って、オープンしたてのカフェをようやくみつけることができました。カフェは築40年の一軒家の2階。1階では古くからの居酒屋が営業を続けています。ガラスの引き戸を開けて2階への階段をのぼると、新しいニスの匂いがふっと鼻先をかすめました。
高い天井と、むきだしの梁。
「まるで山小屋か納屋みたいだねと、改装する前のこの建物を見て、あるアーティストのかたがおっしゃったのです」
店長の中島さんが教えてくれました。そのアーティストとは、カフェと言葉が両方とも好きなひとなら、彼の本を1冊くらい持っているだろうと思われる有名な男性。美しい店名も彼が名付け親なのだとか。
「RAIN ON THE ROOFはラヴィン・スプーンフルの曲のひとつ。そういえばいい曲だよね、とそのかたがおっしゃって、店名につけてくださいました」
60年代後半のアメリカで活躍したラヴィン・スプーンフルの音楽は「グッド・タイム・ミュージック」と呼ばれていました。夏の草原で、跳ねるような夕立に追われて駆け込んだ納屋が、こんな居心地の良いカフェだったら最高ですよね。雨音もいきいきと聞こえることでしょう。
このカフェでは今後、気軽な”講座”がたくさん催されるそう。その第一回は大人気の中川ワニさんの珈琲教室(12月28日)。蘭ェ定員に達していてすでに参加錐桙ヘ締切ですが、カフェを貸し切りにはしないため、お店を訪れたお客さまなら誰でも、広いカフェの一角でなにか楽しげなことがおこなわれているという雰囲気は味わえるのですって。
You and me and rain on the roof
Caught up in a summer shower
~RAIN ON THE ROOF~
RAIN ON THE ROOF(レインオンザルーフ)
東京都世田谷区三軒茶屋2-14-22 2F
TEL 03-3487-8811

2006年12月16日(土曜日)
祈り
東京カフェマニア主宰 川口葉子
最近もっとも有名な「祈り」のひとつは、「一患者の祈り」「グリフィンの祈り」として知られているものかもしれません。どこかで目にしたことのあるひとが多いのではないでしょうか。
この祈りの作者については諸説あって、J・ロジャー・ルーシーという神父がニューヨークのリハビリテーション研究所の壁に書きつけた詩とも、そこに入院していた患者が書いたものとも言われています。どうやら出典のひとつは曽野綾子さんが書いた『晩年の美学を求めて』 (朝日新聞社)のようです。
同じ内容の詩が、かつては「無名兵士の詩」というタイトルで知られていたという説もあります。いったいこの祈りはいつ、だれによって綴られたのでしょう。
真相はともかく、この祈りが少なからぬ人々に静かな勇気を与えてきたのはたしか。元気なときに読んでも今ひとつぴんとこないのですが、切なる願いがかなわず、壁につきあたっている時期に読むと、不思議に心に沁みてくるものがあるのですよね。クリスマスシーズンなので、あらためて書いてみることにします。
* * *
大きな事を成しとげるために強さを与えてほしいと神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった
偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと、病弱を与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明になるようにと、貧しさを授かった
人々の賞賛を得ようとしてパワーを求めたのに
得意にならないようにと、弱点を授かった
人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと、いのちを授かった
求めたものはひとつとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神のみこころに沿わぬ者であったにもかかわらず
心の中の言い浮ケない祈りはすべてかなえられた
私はもっとも豊かに祝福されたのだ
* * *
I asked for strength that I might achieve;
I was made weak that I might learn humbly to obey.
I asked for health that I might do greater things;
I was given infirmity that I might do better things.
I asked for riches that I might be happy;
I was given poverty that I might be wise.
I asked for power that I might have the praise of men;
I was given weakness that I might feel the need of God.
I asked for all things that I might enjoy life;
I was given life that I might enjoy all things.
I got nothing that I had asked for,
but everything that I had hoped for.
Almost despite myself my unspoken prayers were answered;
I am among all men, most richly blessed.

2006年12月03日(日曜日)
なくしたものの国
東京カフェマニア主宰 川口葉子
交差点の舗道に立って信号を待っているときに、足もとにちかちかっと光るものをみつけました。目をこらすと、ピアスの金色の小さなキャッチが敷石の継ぎ目にはさまっていました。だれかの耳からこぼれ落ちたのでしょう。そう遠くないところにピアスの本体も落ちているかもしれません。それとも、ピアスが耳から抜け落ちるときにはそのひとも気がついて、あ、と言いながら手のひらで受け止めることができたでしょうか。
イヤリングをなくしてばかりいるので、20代の半ばで耳たぶに穴をあけてピアスに変えました。重たいイヤリングは長い時間つけていると頭が痛くなってくることがありますから、仕事中も、お酒を飲みに行くときも、しょっちゅうはずしてテーブルの上に置いたりしていたのです。なくさないほうが不思議ですよね。
ところが、ピアスにしたらなくさなくなったかというと、そんなことは全然なくて、今度は気がつかないうちにキャッチをぽろりと落としていて、ふと耳に手をやるとピアスがない……という事態が起きるように。くやしいことに、高価なピアスほど早く行方不明になるという法則までできてしまいました。
人間が死んで魂が肉体から抜け出すと、最初に美しい花畑に行くといいますが、そこにはきっと「なくしたものの畑」も含まれているに違いないと思って自分をなぐさめています。魂はそこで、一生のあいだになくしたものを全部返してもらえるのです。
イヤリングとピアス。
買っても買っても、どこにしまったかわからなくなって結局買いなおすはめになる切手。
なぜか必ず行方不明になる靴下の片方。
あまりにもたくさんあるので、魂が花畑から宇宙の彼方に上がっていくときも、両腕からぽろぽろ落としてしまいそうですが。

2006年11月25日(土曜日)
となりあっていると嬉しいもの
東京カフェマニア主宰 川口葉子
となりあっていると嬉しいもの。
○お寿司屋さんと、エスプレッモェ立ち飲みできるバール。お寿司をいただいて濃い日本茶でじっくりしめくくったあと、なぜかむしょうにエスプレッモェ飲みたくなってしまうから。マキネスティがあれば最高。
○歯医者とパン屋さん。恐怖と冷や汗の時間に耐えた勲章として、翌朝のおいしいパンを買って帰れるから。歯医者通いもほんのすこしだけ楽しみになる。
○大きな書店と静かなカフェ。本をあれこれ手にとって眺めていると、カラフルな刺激を受けて頭のなかが小さな興奮状態になる。カフェの椅子におさまって、買ったばかりの本をめくっているうちに、跳ねるような興奮がおだやかな充足感に変わっていくのだ。
ラゾーナ川崎の1階にはひろい丸善がオープンして、その横には落ちついた丸善カフェがある。理想的。ちなみにハヤシライスというのは丸善が考案したらしい。このカフェでも食べられるそうだ。
となりあっていると嬉しくないもの。
○病院と墓地。
○フィットネススタジオと、刺激的なスパイスの香りがぷんぷん漂ってくるカレー専門店。

2006年11月17日(金曜日)
「落ちない人生」の幸・不幸
東京カフェマニア主宰 川口葉子
不思議なことに、私は人生の中で「試験に落ちる」という体験をしたことがありません。実力があるわけではなく、度胸だってない小心者なのに、なぜか本番に強い…というより、本番だけが強いのです。
最初に自覚したのは小学生のときでした。鉄棒の上で両腕をつっぱって、地面に足をつけずに連続してぐるぐる回転するわざがありますね。「連続前回り」と呼ぶのでしょうか。
体育の時間にその実技テストがありました。それまでの授業ではずっとできそうでできない状態が続いていたのが、最終日、先生に名前を呼ばれて一人ずつテストを受けたら、なぜか突然するりとできてしまったのです。
「ほんとうに本番に強いね」
先生は笑って、名簿の私の名前の横に○印を記入しました。
その調子で今まで入学試験、入社試験をはじめ幾多の試験をするするとパスしてきたので、まじめなひとには「努力せずに運だけでやってきた人間」とおこられてしまいそうですが、そんな人生がすばらしく幸福かといえば、必ずしもそうではないのが世界の不思議なところ。決して悪いことをしたわけではないのに、なにかしらズルをしたような、うしろめたい気持ちになってしまうのです。
おまけに試験をパスしてからは、「周囲の人々はきちんとした努力の積み重ねの結果としてこの場所にいるのに、私は運よくまぎれこんでしまっただけ。本来はこの場所にいるべきではないし、何も身についていない」という、精神的にすわりの悪い日々が続くことになります。いきおい、日々こつこつと修練を積んでいる職人肌の人々には、限りない憧れと尊敬の念を抱いてしまいます。「こつこつコンプレックス」とでも申しましょうか。
一方には、試験でも恋愛でも仕事においても、あらゆる局面で第一志望に落ちて、本意ではない<第二志望の人生>を歩む人々がいます。でも、彼らには「第一の願いがかなわなかったからこそ、今、このような人々との出会いに恵まれ、幸福をつかむことができた。そのことに感謝している」という感動的でみんなの共感を集める物語があるのですよね。
ただ、本番直前から本番にかけて、スイッチが入ったときの集中力には自分でも驚いてしまうことがあります。ひとたびスイッチが入ると、まるで全身がクールな青い炎に包まれたような感覚があり、突如としてどんなトラブルにもどんなピンチにも負けない人間に変わってしまうのです。
学生の頃は「つねにこの集中力が発揮できれば輝かしい未来がひらけるはず。自分のほんとうの実力ははかりしれないかも」などと幻想を抱いたりもしましたが、年齢を重ねた今ではよくわかっています。ふだんはスイッチが入らないどころか、スイッチのありかさえさっぱりわからなくなってしまうことも含めた総体が、実力というものなのだと。