
2006年11月12日(日曜日)
たくさんのカーネーション:名曲喫茶ネルケン
東京カフェマニア主宰 川口葉子
「ネルケンとは、ドイツ語で”たくさんのカーネーション”という意味です。皆さまに可愛がっていただけたら、という願いをこめました」
1955年のオープン以来、高円寺で52年にわたってお店を続けている名曲喫茶ネルケンのマダム、鈴木冨美子さんはたおやかな口ぶりでおっしゃいました。
都内にわずかに残っている昔ながらの名曲喫茶といえば、雰囲気はすばらしいけれど、コーヒーそのものお味は今ひとつ……というお店が少なくないのですが、ネルケンではオーナーが自ら選んでブレンドした焙煎豆を、きちんとネルでドリップしています。そのネルも、生地をひと巻き購入して自分で作るというこだわりぶり。
「秋冬の空気がしっとりした季節には、コーヒーが格別においしく感じられますね」
そう微笑する鈴木さんは、10代の頃からコーヒーとクラシック音楽を愛してきました。バッハにもモーツァルトにも、透明で、すっと心をただしてくれるようなイタリアの宗教音楽にも、シューベルトの歌曲にも惹かれるといいます。はじめてクラシック音楽を聴いて感動したのは小学生の頃。
「母がいつもラジオで、クラシック音楽の番組を聴いていたのです」
かつてラジオが、音楽を聴くシーンの主役だった時代があったのですね。
鈴木さんは休まず毎日お店に立っていますが、音楽とコーヒーに決して飽きることがないといいます。3千枚のLPレコードと千枚のCDは、お客さまの雰囲気にあわせて選んでいるそう。
「リクエストは受けておりませんが、レコードをお持ちになって、これをかけてくださいとおっしゃるお客さまのご希望にはお応えしています。ご自宅で聴くのと、このお店で聴くのはまるで違うとおっしゃいますので」
土日はわざわざ遠くから訪ねてくるお客さまで満席になることも多いそうですが、平日の午後のネルケンは、時間がひっそりと夕方にむかって流れていくのが見えるような空間。ふたり連れのお客さまも、ひとりで来ているお客さまも、ほとんど言葉を発することなく、音と香りに身をゆだねています。
薔薇の花が飾られたテーブルの上に、吉井勇の詩が刻まれたプレートをみつけました。
珈琲の濃きむらさきの一椀を
啜りてわれら静こころなし
最後に私はたいへんまぬけな質問をしてしまいました。
「ネルが『たくさんの』で、ケンが『カーネーション』?」
鈴木さんは品よく微笑して、ネルケンはカーネーションの複数形です、と教えてくださいました。
やれやれ、学生時代は外国語の授業でドイツ語を選択したはずでしたが、いまや数字さえ3までしか数えられません。帰宅してからドイツ語の辞書をひっぱりだして調べてみました。
Nelken:Nelkeの複数形
Nelke:(女性名詞)ナデシコ;(カーネーションなどの)ナデシコ属の植物
名曲喫茶ネルケン
東京都杉並区高円寺南3-56-7
TEL 03-3311-2637

2006年11月04日(土曜日)
ヒプノセラピー(退行催眠)が見せたもの
東京カフェマニア主宰 川口葉子
ブライアン・L・ワイス博士の著書『前世療法』がひろく読まれるようになったこともあって、真偽のほどはともあれ、輪廻転生という世界観にそれほど抵抗のない人が増えているようです。
おもしろそうと思ったら試してみずにはいられないたちの私は、数年前に、信頼できるセラピストにヒプノセラピー(退行催眠)を受けたことがありました。横たわって目をとじ、セラピストの声に従って過去の記憶をさかのぼっていくわけですが、事前に「私は催眠術のようなものにかかったためしがないのですが…」と不安を錐申しておいた通り、”変性意識(トランス)状態”に入るどころか、頭の中はいつも以上に雑念の嵐。
「どんな風景が見えていますか? 足もとを見てください。あなたは何か履いていますか?」
セラピストはおだやかに尋ねていきますが、私は冷や汗たらたら。無理やりに風景を思い浮かべて答えてはいくのですが、「これは私の頭が勝手にでっちあげたイメージであって、前世の記憶などではない」という考えが離れません。
じつは、頭が勝手におこなうそんなジャッジこそが、ヒプノセラピーには一番の障害なのですって。
「どんな体験であろうと、それが正しいとか偽物であるなどと判断したがる意識を手放すことが大切なのですよ」
2時間ほどのセッションの終了後に、セラピストは微笑しました。
先日、再びヒプノセラピーを受ける機会がありました。前回は好奇心が半分と、自分が何をしたいと思ってこの世に生まれてきたのか、知ることができるなら知りたいという気持ちが半分で受けたのですが、今回はもう少し明確な目的がありました。いつも自分に自信がない……という<考え方のクセ>がなぜついたのか、理由を知ることができれば、と思ったのです。
今回のセラピストはヒーリング系の多数の書物の翻訳者でもある人。必要に応じて子ども時代の退行催眠と過去世の退行催眠と、両方をおこなっていきます。ヒプノセラピーを始める前に、セラピストは言いました。
「たとえセッション中に見えたのが、あなたの脳が勝手に作りあげたイメージであってもかまわないのです。世界にある何億というイメージの中から、あなたはそのひとつのイメージを選び出した。それには必ず意味があるのです。必要な癒しはちゃんと起こります」
それからセラピストは私に簡単な連想ゲームをさせて、「あなたは右脳型ですね」と指摘しました。
「過去世を見るというと、目の前に映画のようなスクリーンがひろがって華麗な場面が見えることを期待する人が多いのですが、映像として受け取る人もいれば、直観で受け取る人もいて、見え方はさまざまなんですよ。あなたは直観で受け取るタイプの人ですから--私もそうなのですが、映像を見るのではなくて、ただ、ふっと、わかるんです」
それには思い当たるふしがありました。私の人生は「なんとなく、ふっと思いつく」の連続だったからです。このやりとりに大きな安心感を得て、今回は苦しい思いをせずに、セラピストの声の誘導に従っていくことができました。
話が長くなるので省きますが、このセッションの中で、中学生時代の私に再会して、よしよし、つらかったね、大丈夫だからねと言って彼女を思いきり抱きしめたり、いつのまにか中世時代のヨーロッパの貧しい少年の姿になって食べ物を盗むことばっかり考えていたり(トホホ……)と、ずいぶんさまざまな体験をすることができました。
いくつもの「あ、そうだったのか!」を得ることができたのですが、人には自分自身を育てたり、傷ついた部分を修復したりする力がちゃんと備わっているのだなと、つくづく感じました。最高の治癒は、自分自身がもたらすのです。

2006年10月27日(金曜日)
コンフィチュール エ プロヴァンス
東京カフェマニア主宰 川口葉子
ブームといわれるコンフィチュール。鎌倉にはいがらしろみさんのロミ・ユニ・コンフィチュールが、駒沢公園には辻口博啓シェフのコンフィチュール アッシュが登場していますね。そして銀座にも、南仏プロヴァンスに工房を持つコンフィチュールの専門店「コンフィチュール エ プロヴァンス」があります。
一般的にはコンフィチュール=ジャムですが、このお店のオーナーの福田恵美さんは「私たちは、果物に火を通したものを全部コンフィチュールと呼ぶことにしました。いいえ、果物だけではありません、お野菜もハーブもスパイスも」といいます。
その発想が、素材どうしのちょっと想像のつかない楽しい組み合わせを可狽ノしました。たとえば、白菜をココナッツや塩とあわせてコンフィチュールに! チョコレートとキウイフルーツをあわせてコンフィチュールに。その新鮮さに目を奪われてしまった私のようなひとのために、嬉しいことに大瓶と小瓶のほかに、小さなサシェのサイズ(30g入り)も300円で販売されています。これなら何種類も買い込んで、うきうきと試し比べることができますね。
そんな多彩なコンフィチュールは、トーストやヨーグルトに添えるだけではなく、お料理に使いたくなります。チーズ入りのオムレツを作ったら、トマトヴェールのコンフィチュールをのせて。生ハムのパスタには、黒トマトのコンフィチュールをからめて。魚料理にも肉料理にも、メ[スとして使えるのですよね。
新しい楽しみかたのなかでいちばん手軽な方法のひとつは、カカオ70%以上のビターチョコレートにのせることかもしれません。私はさっき「ポワール(洋梨)+アプリコセッシュ(乾燥あんず)」のコンフィチュールとビターチョコレートで、至福の時間を味わいました。

2006年10月22日(日曜日)
幸福な食いしん坊
東京カフェマニア主宰 川口葉子
お仕事でお目にかかったひとに、「忘れられない1軒」についてうかがいました。そのひとは大変な食いしん坊。おいしいもののためなら日本全国へお金も手間も惜しまずに食べにでかけ、作り手と会話を楽しみながらおいしいものを堪狽オています。
そのひとに、もし世界の終わりが来たら、最後に飲みたい一杯はなんですかと尋ねたら、Cafe415のハニーマキアートか、大阪のあるジュース屋さんのジュース、と答えてくれました。
「1年365日のうち、300日は閉まっている店なんです」
彼は言いました。大阪へ出張するたびにわざわざそのお店を訊ねるのだけれど、最近はずっと開いていたためしがないのだそう。
「小さな店で、定員は7人くらいかな。ジュースが出てくるのに15分くらいかかるんですよ。蕎麦でも売ってるのかというくらいに(笑) 新鮮でとても質のいい果物を仕入れていて、注文すると、90歳近いおじいさんが、ぶるぶると震える手で果物の皮をむくところから始めるんです」
果物のほかに、香りのいい果実の皮など、魔法のひとしずくを何種類か加えるらしく、ひとくち飲むと生き返るほどおいしいのだそう。そして、不思議なのはそのジュースのお値段。
「ひとりで行くと、ひとり分1500円。ふたりで行っても、ふたり分1500円」
つまり、果物をひとり分むいて切り分ける手間も、ふたり分の手間も、いっしょだというわけです。私は好奇心にかられて尋ねました。
「じゃあ、7人で行ったら、おいくらになるのでしょうね?」
「おこられます(笑)」
そんなにいっぺんに作れないから、ですって。
話してくれたひとを、本当に幸福な食いしん坊だなと思いました。とびきり高級な料理店から路地裏の3席しかない餃子屋さんまで、おいしいものと、それを作り出す人を愛してやまない。あらさがしをするよりも、作る人の心意気のほうに焦点を当てている。
いくら贅沢な食材を使った、洗練された料理店といえども、年齢を重ねてあれこれ食べ慣れてくると、だんだんに感動が薄れてしまうものですよね。新しい趣向を凝らした一皿を味わっても、あ、あそこで食べたあれに似ているなとか、前回はおいしかったのに今回は今ひとつだなとか、つまらないことにばかり考えがとらわれて、心から楽しむということができなくなってきます。それは「不幸な食いしん坊」。
かといって、お手軽なものばかりを食べていて、おなかの底から唸ってしまうような、すごみのあるおいしさを知らないというのもまた、さびしいもの。カフェにはカフェのおいしさが、料亭には料亭のおいしさがあります。それぞれの場所で、いつも素直な子どものように目をみはってお料理を楽しめるなら、世界一幸せな食いしん坊だと思います。

2006年10月13日(金曜日)
カフェの回文その2
東京カフェマニア主宰 川口葉子
若いフードコーディネーターの女性のお宅におじゃまして、雑誌のレシピ取材をおこなった日のこと。無事に撮影がすんで一息ついていると、フードコーディネーターのかたが編集者、カメラマン、そして私の全員にさらりと抹茶を点ててくれました。
茶せんで抹茶を泡立てるときは、「m」の字を描くように。そして最後に茶せんをはずすときは、お茶碗の中に「の」の字を描くように。
よくそのように言われますね。茶せんをぐるぐるまわすよりも、「m」の字を描いて細かく振っていくほうが混ざりやく、きめ細かな泡がたつのだと。そこでことわざをひとつ作ってみました。
まわすな茶せん、まわせ回文。
じつは最近ちょっとだけ、カフェにちなんだ回文づくりを楽しんでいるのです。といっても、回文の達人のような複雑で長いものは作れませんが。最初に作った回文はこちら。そして、もう少しだけ長い回文にも挑戦してみました。
カフェごはん食いに行くんは5Fか?
そうです、カフェ・アプレミディは渋谷公園通りのビルの5階にあります。なかなか村上春樹が作った傑作:
トナカイ好きな鱚(きす)、いか納豆
を越えるものができません。この回文を読んでからというもの、クリスマスシーズンにトナカイの絵など見かけるとつい、鱚の天ぷらや、いか納豆を食べながら一杯呑んでいるトナカイを思い浮かべてしまいます。

2006年10月08日(日曜日)
月虹
東京カフェマニア主宰 川口葉子
青山の古い珈琲店でコーヒーを楽しんだあと、恵比寿で夕食をとろうとタクシーに乗りこんだら、裏道を抜けてすいすいと走るタクシーの窓から、急速に暗くなっていく地平線……というか、建ち並ぶビルの稜線のすぐ上に、目をみはるような冴えた光を放つまんまるなものを見つけました。満月です。かつてないほどの、その輝き!
10月6日、仲秋の名月の晩には、あいにくの低気圧で東京にものすごい風が吹き、雨もたっぷり降って月を見ることができませんでしたが、10月7日はほんものの満月。前日の嵐のおかげで空気がぴかぴかに洗われ、これまでに見たことのないほどクリアに澄んだ、冴えわたる満月を見ることができたのです。
※仲秋の名月=満月とはかぎらないのですよね。このサイトにわかりやすい説明がありました。
「湖や池にうつった満月に願いをかけるとかなう。
たらいにうつった満月でも可」
……という話を自宅に戻ってから思いだし、たらいがOKならお鍋でもいいでしょうと、愛用のル・クルーゼのお鍋になみなみと水をはってベランダに出て、お鍋の水面に中空高くのぼった満月をうつし、願いごとをつぶやきました。私の場合は願いごとではなくてお礼ですが。
というのも、あちこちの神社で手当たりしだいにお願いごとばかりして、かなってもお礼のひとことも言わないのは天に失礼でございしょう、という言葉をよく耳にするようになったから。子どもの頃から初詣に行くたびにお願いをしてきた私。受験を首尾よくクリアできますように。そうそう、仲良しの○○ちゃんも合格しますように。今年も家族みんなが元気で過ごせますように。
あらためて振り返ってみると、ずいぶんスケールが小さいですね。その凡庸なスケールのままに、お願いしてきたことはほぼかないましたが、考えてみたらきちんとお礼参りというものをしたことがなかったのです。それに気がついて以来、新たな願いごとは控えて、神社で手を合わせるときにはもっぱら「ありがとうございました、これからもよろしくお願いします」と、心の中で言うことにしています。
見たことのもないような明るさの満月にカメラを向けていると、薄い雲が一瞬、月の前を横切って小さな虹を見せてくれました。そして今しがたTVのニュースで、同じ夜に群馬の天文台が小雨のなかでとらえたという、地平線にかかる大きなすばらしい月虹の写真を見ることができました。
「月のプレゼントです」
とアナウンサーが伝えていました。県立ぐんま天文台のサイトにも月虹の写真が掲載されています。

2006年10月01日(日曜日)
倍音の泉に浸る
東京カフェマニア主宰 川口葉子
大田区久が原のピンポイントにある「ピラミッドルーム」で、倍音浴のライブを楽しんでまいりました。音というものが精妙かつ力強い振動でできていることや、その振動が耳のなかの鼓膜だけでなく、体内の細胞のひとつひとつを震わせもすることを体感できる時間でした。
会場となったピラミッド型のドームの下には、大小二署伯ツにもおよぶ色とりどりのクリスタルボウルやアルケミーボウル、シャンティチャイムなどが並べられていました。この天井の下ではとりわけ音が美しく豊かに響くようです。ボウルをこすったり叩いたりして幻想的な音色を響かせるのが、CD「倍音浴」で知られるクリスタルボウルの第一人者、牧野持侑さん。
虹をたたえたひとつのボウルがふるえ、音を響かせると、それに呼応していくつものボウルがふるえだし、空間を音で満たしていきます。もし太陽系の惑星の回転する音が聞こえるならこのような音でもあろうかと思いを馳せずにはいられない、不思議な音の湧きでる泉。聴衆は、その泉を囲んで座っているかのようでした。
たまたま私は手のひらに飲みかけのミネラルウォーターのボトルをのせていたのですが、ペットボトルのなかの水は、螺旋を描いて宙にたちのぼっていくクリスタルボウルの響きに激しく反応し、目をみはるほどの振動を手のひらに伝えていました。体内の水分も(お昼に飲んだ白ワインも含めて)おなじように振動していたかもしれません。
倍音に浸ったときに感じるものは人によってさまざまですが、私の場合は、ひとことで言うなら爽快なお風呂あがり。床に座りこんでクリスタルボウルの響きに耳をすませ、ときどき意識をたもったまま眠っているような状態でいただけなのに、聴き終えたあとは、まるで露天風呂に入ってきたかのようにおなかの内部からぽかぽかとあたたまっていたのです。
おなかの内部という表現も妙なものですが、ふつうのお風呂であれば肌の外側からあたたまるところが、この倍音浴では内臓からあたたまった感じ。胃や心臓などがうっすらと気持ちのよい汗をかいたとでも申しましょうか。かつて体験したことのない感覚です。そして何度も、ひたいのまんなかで何かが渦を巻くような眩暈におそわれました。
ライブのあと、聴衆のひとりが牧野さんに訊ねました。
「まだ、頭のなかで音が響いているような気がします。CDを家でかけると、妻は強烈すぎて気分が悪くなってしまうと言うけれど、自分はもっと大きな音で聴きたいくらいなのです」
やわらかな口調の牧野さんの答えによれば、人によって快適と感じる音量が違うそう。さらに、低音を必要としている人、高音に反応する人など、音の高低への反応にも個人差があるらしく、このピラミッドルームを蘭オておこなわれるサウンドセラピーでは、お客さまはクリスタルボウルに取り巻かれてひとりで横たわり、牧野さんがその人にもっともふさわしい「音の処方箋」をみつけだし、倍音の泉に浸らせてくれるのだそうです。

2006年09月23日(土曜日)
ろれつ
東京カフェマニア主宰 川口葉子
年齢を重ねると、お酒の酔い方も変化するものですね。
若い頃は、ふわりと気持ちがよくなってきた……と思ったらもう酔いが回ってしまったものですが、最近は、あわあわとしたほろ酔いの時間を持続させることを大切にするようになりました。めざしているのは「高貴なる淡い酩酊」とでも申しましょうか。はたから見ればただの「ちょっとごきげんなひと」なのかもしれませんが。
ただ残念ながら、年齢を重ねても、おいしいお酒にひたっていると舌の動きが緩慢になり、言葉があやしくなるのは変わりません。
いっしょにたっぷりと赤ワインを呑んだ友人に、あとで「私、ろれつが回っていなかった?」と携帯メールで訊ねたら、即座に「もう、ロレツだか羅列(ラレツ)だかLet's(レッツ)だかわかりませんでしたよ!」という返事がかえってきたことがあります。うーん、なかなかうまいことを言うものですね。
その日は、小さな嫉妬に悩まされているという友人を元気づけるために呑んだのでした。友人は嫉妬される側。得意とする分野で成功をおさめた友人にむかって、周囲の人々が、祝福の中に小さなとげをたくさん隠した賛辞を送ってくるのだそうです。どうやら、その屈折した賛辞を要約すれば「あなたなんか」「私のほうが」ということになるらしく、友人は、ばかばかしく思いながらも本気で傷ついているようでした。
他人のことが気になるのは、自分が全力投球していない証拠。
あるカフェのオーナーが言った言葉を、無意味な競争をしようとする人々に教えてあげたくもなりますが、嫉妬心にさいなまれる人々のほうがしんどいのですよね。暗くよどんだそのエネルギーは、なによりもまず本人の心を傷つけてしまうから。
友人をなんと言ってなぐさめたのか覚えていませんが、「ありがとう。餅べーションが上がって、続けていく勇気がわきました」というメールが送られてきました。酔っていると携帯メールのろれつもあやしくなるようです。さぞかしもちもちと粘り強い仕事ができることでしょう。

2006年09月18日(月曜日)
西の空に何かいる
東京カフェマニア主宰 川口葉子

勢力の強い台風が西日本を襲った日は、東京の空も不穏な色をしていましたね。台風が去ろうとする夕方、地上でも空でも激しい風が吹き、暗い色をした雲は刻々と大きく姿を変えていました。
空に、何かいる。
ベランダに出て西の空を見上げて、突然そう思ったのです。胸騒ぎがするほどに。巨大な台風にまぎれて空が裂け、その裂け目から、ふだんは姿を現さない巨大な何かがのぞいているのです。それはあきらかに生きて呼吸をしているとしか思えない、不思議な存在の気配でした。
私たちの耳には聞こえない周波数で轟音をとどろかせ、巨大な渦を巻くその「気配」にカメラを向けましたけれども、そのような気配をレンズがとらえられるはずもなく、宇宙の扉がいっせいに開いていたような瞬間は、わずか10分あまりで薄れていきました。
気がつくと風は弱まり、西の空はいつもの穏やかな薄い光のなかにありました。けれども身体中をざわざわさせ、血管を脈うたせた不思議な興奮のなごりはそのあともかすかに残り、もしかしたら古代の人間は台風のたびにこんな感覚をおぼえていたのかもしれないと考えたりもしたのでした。

2006年09月09日(土曜日)
恐怖のシュウマイ:喫茶店編
東京カフェマニア主宰 川口葉子
『恐怖のシュウマイ』という怪談をご存知のかたは多いことと思います。おちを聞くと、あんまりつまらないのでへなへなと力の抜けてしまう、例のあれです。さまざまなバージョンが語られているようですが、念のために基本編と思われるものを書いておきますね。
シュウマイが大好きなおばあさんがいました。その日も、いつものように10個入りのシュウマイを買ってきたのですが、ふたを開けてびっくり。なんとシュウマイがひとつ消えて、9個しか入っていなかったのです。
首をかしげつつ冷蔵庫にしまい、夜に再び開けてみると、またシュウマイがひとつ消えて8個に。おばあさんはショックのあまり死んでしまいました。シュウマイが、ふたの裏にはりついていたことも知らずに。
おばあさんのお葬式の日、集まった人々がお別れを言おうとして、かんおけを開けてみると、なんと、おばあさんが消えているではありませんか。
そうです、おばあさんは、かんおけのふたに……。
あっごめんなさい、へなへなさせてしまいましたか。あらためて書くといっそうばかばかしくなってきますが、とにかくこれが『恐怖のシュウマイ』です。なぜ季節はずれの怪談など持ち出したかと申しますと、その恐怖のシュウマイを連想させる小さな喫茶店に、出会ってしまったからなのです。
お昼どきの日本橋の裏通り。古い民家と低層の雑居ビルが入り交じった細い路地に、あまり気をひかれない店高ヲの喫茶店をみつけました。新しくも古くもなく、コーヒーの味も期待できなそうな。それでも、私は知らない喫茶店を見かけるとつい扉を叩いてしまうたちですから、近づいていって扉を開けました。
店内を見て、たじろぎました。四畳半くらいの狭い正方形の店内に、白いワイシャツにネクタイ姿のおじさんたちがぎゅうぎゅうづめになって座っていたのです。空いている椅子などありません。彼らは座っているというよりも「詰まっている」というほうが正しい光景でした。
ちょっと異様な光景に、あわてて退散しましたけれども、脳裏に『恐怖のシュウマイ』が浮かんでおかしくなってしまったのでした。私がもう一度扉を開けたら、おじさんの姿が一人、消えるにちがいありません。そうです、扉の裏側にはりついて。
店内が恐怖のシュウマイを連想させたのは、楽しそうに詰まっていたおじさんたちの白いワイシャツ姿もさることながら、店内の空気を白く変えるほどたちこめていたタバコの煙のせいでした。さながらシュウマイからあがる湯気のように。
カフェを禁煙にするか否か。
いま、多くのカフェの店主のかたがたが頭を悩ませている問題です。私自身はタバコを吸いませんし、隣のテーブルから漂う煙で、おいしいコーヒーやお料理の味をだいなしにされたくないと願っています。こじんまりしたカフェでなら、なおさら。しかし、愛煙家の方々に言わせれば、コーヒーを飲みながら吸うタバコというのは実においしいそうで。
これまでに2度、禁煙にはしていないカフェで、タバコに関して爽快な思いをしたことがあります。それは2度ともお店の人の配慮によるものでした。つい先日経験したのは、千石駅のすぐ隣にある八百コーヒー店で。
以前このカフェを訪れたときに、ヘビースモーカーの常連さんたちは、子どもづれのお客さまが入ってくると、ちゃんと自主的にタバコをやめて灰皿を返してくださるというお話をうかがって、いいなあと思っていたのでした。
コーノ式サイフォンで淹れるコーヒーがとてもおいしい小さなお店は、この日、ほぼ満席でした。すきまをみつけて腰をおろすと、隣のテーブルのお客さまの前には、吸い殻のつまったタバコが。とはいえそのとき吸っていたわけではなく、煙の匂いもまったく気にならなかったのですけれども。
お店のかたは私のテーブルに水を運んでくるときに「川口さんはタバコを吸われませんでしたよね?」と確認して、にこにこしながら隣のお客さまに「すみませんが」と言って、灰皿を取り上げてしまったのです!
「あ、いいですよ」
隣のお客さまも慣れているようす。日ごろからこういうやりとりがおこなわれているのでしょう。それにしてもお店のかたの、素敵な笑顔できっぱりと灰皿を取り上げるようすは見事でした。こういうにこにこ顔で言われたら、喫煙者も決していやな感じはしないだろうなと思います。