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2006年12月16日(土曜日)

祈り

東京カフェマニア主宰 川口葉子

061216kawag1.jpg最近もっとも有名な「祈り」のひとつは、「一患者の祈り」「グリフィンの祈り」として知られているものかもしれません。どこかで目にしたことのあるひとが多いのではないでしょうか。

この祈りの作者については諸説あって、J・ロジャー・ルーシーという神父がニューヨークのリハビリテーション研究所の壁に書きつけた詩とも、そこに入院していた患者が書いたものとも言われています。どうやら出典のひとつは曽野綾子さんが書いた『晩年の美学を求めて』 (朝日新聞社)のようです。

同じ内容の詩が、かつては「無名兵士の詩」というタイトルで知られていたという説もあります。いったいこの祈りはいつ、だれによって綴られたのでしょう。

真相はともかく、この祈りが少なからぬ人々に静かな勇気を与えてきたのはたしか。元気なときに読んでも今ひとつぴんとこないのですが、切なる願いがかなわず、壁につきあたっている時期に読むと、不思議に心に沁みてくるものがあるのですよね。クリスマスシーズンなので、あらためて書いてみることにします。

* * *

大きな事を成しとげるために強さを与えてほしいと神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった

061216kawag2.jpg偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと、病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明になるようにと、貧しさを授かった

人々の賞賛を得ようとしてパワーを求めたのに
得意にならないようにと、弱点を授かった

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと、いのちを授かった

求めたものはひとつとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた

神のみこころに沿わぬ者であったにもかかわらず
心の中の言い浮ケない祈りはすべてかなえられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ

* * *

I asked for strength that I might achieve;
I was made weak that I might learn humbly to obey.
I asked for health that I might do greater things;
I was given infirmity that I might do better things.
I asked for riches that I might be happy;
I was given poverty that I might be wise.
I asked for power that I might have the praise of men;
I was given weakness that I might feel the need of God.
I asked for all things that I might enjoy life;
I was given life that I might enjoy all things.
I got nothing that I had asked for,
but everything that I had hoped for.
Almost despite myself my unspoken prayers were answered;
I am among all men, most richly blessed.

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2006年12月03日(日曜日)

なくしたものの国

東京カフェマニア主宰 川口葉子

061201kawag1.jpg交差点の舗道に立って信号を待っているときに、足もとにちかちかっと光るものをみつけました。目をこらすと、ピアスの金色の小さなキャッチが敷石の継ぎ目にはさまっていました。だれかの耳からこぼれ落ちたのでしょう。そう遠くないところにピアスの本体も落ちているかもしれません。それとも、ピアスが耳から抜け落ちるときにはそのひとも気がついて、あ、と言いながら手のひらで受け止めることができたでしょうか。

イヤリングをなくしてばかりいるので、20代の半ばで耳たぶに穴をあけてピアスに変えました。重たいイヤリングは長い時間つけていると頭が痛くなってくることがありますから、仕事中も、お酒を飲みに行くときも、しょっちゅうはずしてテーブルの上に置いたりしていたのです。なくさないほうが不思議ですよね。

ところが、ピアスにしたらなくさなくなったかというと、そんなことは全然なくて、今度は気がつかないうちにキャッチをぽろりと落としていて、ふと耳に手をやるとピアスがない……という事態が起きるように。くやしいことに、高価なピアスほど早く行方不明になるという法則までできてしまいました。

061201kawag2.jpg人間が死んで魂が肉体から抜け出すと、最初に美しい花畑に行くといいますが、そこにはきっと「なくしたものの畑」も含まれているに違いないと思って自分をなぐさめています。魂はそこで、一生のあいだになくしたものを全部返してもらえるのです。

イヤリングとピアス。
買っても買っても、どこにしまったかわからなくなって結局買いなおすはめになる切手。
なぜか必ず行方不明になる靴下の片方。

あまりにもたくさんあるので、魂が花畑から宇宙の彼方に上がっていくときも、両腕からぽろぽろ落としてしまいそうですが。

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2006年11月25日(土曜日)

となりあっていると嬉しいもの

東京カフェマニア主宰 川口葉子

061124kawag1.jpgとなりあっていると嬉しいもの。

○お寿司屋さんと、エスプレッモェ立ち飲みできるバール。お寿司をいただいて濃い日本茶でじっくりしめくくったあと、なぜかむしょうにエスプレッモェ飲みたくなってしまうから。マキネスティがあれば最高。

○歯医者とパン屋さん。恐怖と冷や汗の時間に耐えた勲章として、翌朝のおいしいパンを買って帰れるから。歯医者通いもほんのすこしだけ楽しみになる。

○大きな書店と静かなカフェ。本をあれこれ手にとって眺めていると、カラフルな刺激を受けて頭のなかが小さな興奮状態になる。カフェの椅子におさまって、買ったばかりの本をめくっているうちに、跳ねるような興奮がおだやかな充足感に変わっていくのだ。
ラゾーナ川崎の1階にはひろい丸善がオープンして、その横には落ちついた丸善カフェがある。理想的。ちなみにハヤシライスというのは丸善が考案したらしい。このカフェでも食べられるそうだ。

061124kawag2.jpgとなりあっていると嬉しくないもの。

○病院と墓地。
○フィットネススタジオと、刺激的なスパイスの香りがぷんぷん漂ってくるカレー専門店。

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2006年11月17日(金曜日)

「落ちない人生」の幸・不幸

東京カフェマニア主宰 川口葉子

不思議なことに、私は人生の中で「試験に落ちる」という体験をしたことがありません。実力があるわけではなく、度胸だってない小心者なのに、なぜか本番に強い…というより、本番だけが強いのです。

20061118kawag01.jpg最初に自覚したのは小学生のときでした。鉄棒の上で両腕をつっぱって、地面に足をつけずに連続してぐるぐる回転するわざがありますね。「連続前回り」と呼ぶのでしょうか。

体育の時間にその実技テストがありました。それまでの授業ではずっとできそうでできない状態が続いていたのが、最終日、先生に名前を呼ばれて一人ずつテストを受けたら、なぜか突然するりとできてしまったのです。
「ほんとうに本番に強いね」
先生は笑って、名簿の私の名前の横に○印を記入しました。

その調子で今まで入学試験、入社試験をはじめ幾多の試験をするするとパスしてきたので、まじめなひとには「努力せずに運だけでやってきた人間」とおこられてしまいそうですが、そんな人生がすばらしく幸福かといえば、必ずしもそうではないのが世界の不思議なところ。決して悪いことをしたわけではないのに、なにかしらズルをしたような、うしろめたい気持ちになってしまうのです。

おまけに試験をパスしてからは、「周囲の人々はきちんとした努力の積み重ねの結果としてこの場所にいるのに、私は運よくまぎれこんでしまっただけ。本来はこの場所にいるべきではないし、何も身についていない」という、精神的にすわりの悪い日々が続くことになります。いきおい、日々こつこつと修練を積んでいる職人肌の人々には、限りない憧れと尊敬の念を抱いてしまいます。「こつこつコンプレックス」とでも申しましょうか。

一方には、試験でも恋愛でも仕事においても、あらゆる局面で第一志望に落ちて、本意ではない<第二志望の人生>を歩む人々がいます。でも、彼らには「第一の願いがかなわなかったからこそ、今、このような人々との出会いに恵まれ、幸福をつかむことができた。そのことに感謝している」という感動的でみんなの共感を集める物語があるのですよね。

ただ、本番直前から本番にかけて、スイッチが入ったときの集中力には自分でも驚いてしまうことがあります。ひとたびスイッチが入ると、まるで全身がクールな青い炎に包まれたような感覚があり、突如としてどんなトラブルにもどんなピンチにも負けない人間に変わってしまうのです。

学生の頃は「つねにこの集中力が発揮できれば輝かしい未来がひらけるはず。自分のほんとうの実力ははかりしれないかも」などと幻想を抱いたりもしましたが、年齢を重ねた今ではよくわかっています。ふだんはスイッチが入らないどころか、スイッチのありかさえさっぱりわからなくなってしまうことも含めた総体が、実力というものなのだと。

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2006年11月12日(日曜日)

たくさんのカーネーション:名曲喫茶ネルケン

東京カフェマニア主宰 川口葉子

20061111kawag01.jpg「ネルケンとは、ドイツ語で”たくさんのカーネーション”という意味です。皆さまに可愛がっていただけたら、という願いをこめました」

1955年のオープン以来、高円寺で52年にわたってお店を続けている名曲喫茶ネルケンのマダム、鈴木冨美子さんはたおやかな口ぶりでおっしゃいました。

都内にわずかに残っている昔ながらの名曲喫茶といえば、雰囲気はすばらしいけれど、コーヒーそのものお味は今ひとつ……というお店が少なくないのですが、ネルケンではオーナーが自ら選んでブレンドした焙煎豆を、きちんとネルでドリップしています。そのネルも、生地をひと巻き購入して自分で作るというこだわりぶり。

「秋冬の空気がしっとりした季節には、コーヒーが格別においしく感じられますね」

そう微笑する鈴木さんは、10代の頃からコーヒーとクラシック音楽を愛してきました。バッハにもモーツァルトにも、透明で、すっと心をただしてくれるようなイタリアの宗教音楽にも、シューベルトの歌曲にも惹かれるといいます。はじめてクラシック音楽を聴いて感動したのは小学生の頃。

「母がいつもラジオで、クラシック音楽の番組を聴いていたのです」
かつてラジオが、音楽を聴くシーンの主役だった時代があったのですね。

20061111kawag02.jpg鈴木さんは休まず毎日お店に立っていますが、音楽とコーヒーに決して飽きることがないといいます。3千枚のLPレコードと千枚のCDは、お客さまの雰囲気にあわせて選んでいるそう。

「リクエストは受けておりませんが、レコードをお持ちになって、これをかけてくださいとおっしゃるお客さまのご希望にはお応えしています。ご自宅で聴くのと、このお店で聴くのはまるで違うとおっしゃいますので」

土日はわざわざ遠くから訪ねてくるお客さまで満席になることも多いそうですが、平日の午後のネルケンは、時間がひっそりと夕方にむかって流れていくのが見えるような空間。ふたり連れのお客さまも、ひとりで来ているお客さまも、ほとんど言葉を発することなく、音と香りに身をゆだねています。

薔薇の花が飾られたテーブルの上に、吉井勇の詩が刻まれたプレートをみつけました。

  珈琲の濃きむらさきの一椀を
  啜りてわれら静こころなし

20061111kawag03.jpg最後に私はたいへんまぬけな質問をしてしまいました。
「ネルが『たくさんの』で、ケンが『カーネーション』?」
鈴木さんは品よく微笑して、ネルケンはカーネーションの複数形です、と教えてくださいました。

やれやれ、学生時代は外国語の授業でドイツ語を選択したはずでしたが、いまや数字さえ3までしか数えられません。帰宅してからドイツ語の辞書をひっぱりだして調べてみました。

Nelken:Nelkeの複数形
Nelke:(女性名詞)ナデシコ;(カーネーションなどの)ナデシコ属の植物

名曲喫茶ネルケン
東京都杉並区高円寺南3-56-7
TEL 03-3311-2637

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2006年11月04日(土曜日)

ヒプノセラピー(退行催眠)が見せたもの

東京カフェマニア主宰 川口葉子

061103kawag.jpgブライアン・L・ワイス博士の著書『前世療法』がひろく読まれるようになったこともあって、真偽のほどはともあれ、輪廻転生という世界観にそれほど抵抗のない人が増えているようです。

おもしろそうと思ったら試してみずにはいられないたちの私は、数年前に、信頼できるセラピストにヒプノセラピー(退行催眠)を受けたことがありました。横たわって目をとじ、セラピストの声に従って過去の記憶をさかのぼっていくわけですが、事前に「私は催眠術のようなものにかかったためしがないのですが…」と不安を錐申しておいた通り、”変性意識(トランス)状態”に入るどころか、頭の中はいつも以上に雑念の嵐。

「どんな風景が見えていますか? 足もとを見てください。あなたは何か履いていますか?」
セラピストはおだやかに尋ねていきますが、私は冷や汗たらたら。無理やりに風景を思い浮かべて答えてはいくのですが、「これは私の頭が勝手にでっちあげたイメージであって、前世の記憶などではない」という考えが離れません。

じつは、頭が勝手におこなうそんなジャッジこそが、ヒプノセラピーには一番の障害なのですって。
「どんな体験であろうと、それが正しいとか偽物であるなどと判断したがる意識を手放すことが大切なのですよ」
2時間ほどのセッションの終了後に、セラピストは微笑しました。

先日、再びヒプノセラピーを受ける機会がありました。前回は好奇心が半分と、自分が何をしたいと思ってこの世に生まれてきたのか、知ることができるなら知りたいという気持ちが半分で受けたのですが、今回はもう少し明確な目的がありました。いつも自分に自信がない……という<考え方のクセ>がなぜついたのか、理由を知ることができれば、と思ったのです。

今回のセラピストはヒーリング系の多数の書物の翻訳者でもある人。必要に応じて子ども時代の退行催眠と過去世の退行催眠と、両方をおこなっていきます。ヒプノセラピーを始める前に、セラピストは言いました。

「たとえセッション中に見えたのが、あなたの脳が勝手に作りあげたイメージであってもかまわないのです。世界にある何億というイメージの中から、あなたはそのひとつのイメージを選び出した。それには必ず意味があるのです。必要な癒しはちゃんと起こります」

それからセラピストは私に簡単な連想ゲームをさせて、「あなたは右脳型ですね」と指摘しました。

「過去世を見るというと、目の前に映画のようなスクリーンがひろがって華麗な場面が見えることを期待する人が多いのですが、映像として受け取る人もいれば、直観で受け取る人もいて、見え方はさまざまなんですよ。あなたは直観で受け取るタイプの人ですから--私もそうなのですが、映像を見るのではなくて、ただ、ふっと、わかるんです」

それには思い当たるふしがありました。私の人生は「なんとなく、ふっと思いつく」の連続だったからです。このやりとりに大きな安心感を得て、今回は苦しい思いをせずに、セラピストの声の誘導に従っていくことができました。

話が長くなるので省きますが、このセッションの中で、中学生時代の私に再会して、よしよし、つらかったね、大丈夫だからねと言って彼女を思いきり抱きしめたり、いつのまにか中世時代のヨーロッパの貧しい少年の姿になって食べ物を盗むことばっかり考えていたり(トホホ……)と、ずいぶんさまざまな体験をすることができました。

いくつもの「あ、そうだったのか!」を得ることができたのですが、人には自分自身を育てたり、傷ついた部分を修復したりする力がちゃんと備わっているのだなと、つくづく感じました。最高の治癒は、自分自身がもたらすのです。

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2006年10月27日(金曜日)

コンフィチュール エ プロヴァンス

東京カフェマニア主宰 川口葉子

061026kawag1.jpgブームといわれるコンフィチュール。鎌倉にはいがらしろみさんのロミ・ユニ・コンフィチュールが、駒沢公園には辻口博啓シェフのコンフィチュール アッシュが登場していますね。そして銀座にも、南仏プロヴァンスに工房を持つコンフィチュールの専門店「コンフィチュール エ プロヴァンス」があります。

一般的にはコンフィチュール=ジャムですが、このお店のオーナーの福田恵美さんは「私たちは、果物に火を通したものを全部コンフィチュールと呼ぶことにしました。いいえ、果物だけではありません、お野菜もハーブもスパイスも」といいます。

その発想が、素材どうしのちょっと想像のつかない楽しい組み合わせを可狽ノしました。たとえば、白菜をココナッツや塩とあわせてコンフィチュールに! チョコレートとキウイフルーツをあわせてコンフィチュールに。その新鮮さに目を奪われてしまった私のようなひとのために、嬉しいことに大瓶と小瓶のほかに、小さなサシェのサイズ(30g入り)も300円で販売されています。これなら何種類も買い込んで、うきうきと試し比べることができますね。

061026kawag2.jpgそんな多彩なコンフィチュールは、トーストやヨーグルトに添えるだけではなく、お料理に使いたくなります。チーズ入りのオムレツを作ったら、トマトヴェールのコンフィチュールをのせて。生ハムのパスタには、黒トマトのコンフィチュールをからめて。魚料理にも肉料理にも、メ[スとして使えるのですよね。

新しい楽しみかたのなかでいちばん手軽な方法のひとつは、カカオ70%以上のビターチョコレートにのせることかもしれません。私はさっき「ポワール(洋梨)+アプリコセッシュ(乾燥あんず)」のコンフィチュールとビターチョコレートで、至福の時間を味わいました。

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2006年10月22日(日曜日)

幸福な食いしん坊

東京カフェマニア主宰 川口葉子

061022kawag.jpgお仕事でお目にかかったひとに、「忘れられない1軒」についてうかがいました。そのひとは大変な食いしん坊。おいしいもののためなら日本全国へお金も手間も惜しまずに食べにでかけ、作り手と会話を楽しみながらおいしいものを堪狽オています。

そのひとに、もし世界の終わりが来たら、最後に飲みたい一杯はなんですかと尋ねたら、Cafe415のハニーマキアートか、大阪のあるジュース屋さんのジュース、と答えてくれました。

「1年365日のうち、300日は閉まっている店なんです」
彼は言いました。大阪へ出張するたびにわざわざそのお店を訊ねるのだけれど、最近はずっと開いていたためしがないのだそう。

「小さな店で、定員は7人くらいかな。ジュースが出てくるのに15分くらいかかるんですよ。蕎麦でも売ってるのかというくらいに(笑) 新鮮でとても質のいい果物を仕入れていて、注文すると、90歳近いおじいさんが、ぶるぶると震える手で果物の皮をむくところから始めるんです」

果物のほかに、香りのいい果実の皮など、魔法のひとしずくを何種類か加えるらしく、ひとくち飲むと生き返るほどおいしいのだそう。そして、不思議なのはそのジュースのお値段。

「ひとりで行くと、ひとり分1500円。ふたりで行っても、ふたり分1500円」

つまり、果物をひとり分むいて切り分ける手間も、ふたり分の手間も、いっしょだというわけです。私は好奇心にかられて尋ねました。
「じゃあ、7人で行ったら、おいくらになるのでしょうね?」
「おこられます(笑)」
そんなにいっぺんに作れないから、ですって。

話してくれたひとを、本当に幸福な食いしん坊だなと思いました。とびきり高級な料理店から路地裏の3席しかない餃子屋さんまで、おいしいものと、それを作り出す人を愛してやまない。あらさがしをするよりも、作る人の心意気のほうに焦点を当てている。

いくら贅沢な食材を使った、洗練された料理店といえども、年齢を重ねてあれこれ食べ慣れてくると、だんだんに感動が薄れてしまうものですよね。新しい趣向を凝らした一皿を味わっても、あ、あそこで食べたあれに似ているなとか、前回はおいしかったのに今回は今ひとつだなとか、つまらないことにばかり考えがとらわれて、心から楽しむということができなくなってきます。それは「不幸な食いしん坊」。

かといって、お手軽なものばかりを食べていて、おなかの底から唸ってしまうような、すごみのあるおいしさを知らないというのもまた、さびしいもの。カフェにはカフェのおいしさが、料亭には料亭のおいしさがあります。それぞれの場所で、いつも素直な子どものように目をみはってお料理を楽しめるなら、世界一幸せな食いしん坊だと思います。

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2006年10月13日(金曜日)

カフェの回文その2

東京カフェマニア主宰 川口葉子

061013kawag.jpg若いフードコーディネーターの女性のお宅におじゃまして、雑誌のレシピ取材をおこなった日のこと。無事に撮影がすんで一息ついていると、フードコーディネーターのかたが編集者、カメラマン、そして私の全員にさらりと抹茶を点ててくれました。

茶せんで抹茶を泡立てるときは、「m」の字を描くように。そして最後に茶せんをはずすときは、お茶碗の中に「の」の字を描くように。

よくそのように言われますね。茶せんをぐるぐるまわすよりも、「m」の字を描いて細かく振っていくほうが混ざりやく、きめ細かな泡がたつのだと。そこでことわざをひとつ作ってみました。

  まわすな茶せん、まわせ回文。

じつは最近ちょっとだけ、カフェにちなんだ回文づくりを楽しんでいるのです。といっても、回文の達人のような複雑で長いものは作れませんが。最初に作った回文はこちら。そして、もう少しだけ長い回文にも挑戦してみました。

  カフェごはん食いに行くんは5Fか?

そうです、カフェ・アプレミディは渋谷公園通りのビルの5階にあります。なかなか村上春樹が作った傑作:

  トナカイ好きな鱚(きす)、いか納豆

を越えるものができません。この回文を読んでからというもの、クリスマスシーズンにトナカイの絵など見かけるとつい、鱚の天ぷらや、いか納豆を食べながら一杯呑んでいるトナカイを思い浮かべてしまいます。

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2006年10月08日(日曜日)

月虹

東京カフェマニア主宰 川口葉子

061007kawag.jpg青山の古い珈琲店でコーヒーを楽しんだあと、恵比寿で夕食をとろうとタクシーに乗りこんだら、裏道を抜けてすいすいと走るタクシーの窓から、急速に暗くなっていく地平線……というか、建ち並ぶビルの稜線のすぐ上に、目をみはるような冴えた光を放つまんまるなものを見つけました。満月です。かつてないほどの、その輝き!

10月6日、仲秋の名月の晩には、あいにくの低気圧で東京にものすごい風が吹き、雨もたっぷり降って月を見ることができませんでしたが、10月7日はほんものの満月。前日の嵐のおかげで空気がぴかぴかに洗われ、これまでに見たことのないほどクリアに澄んだ、冴えわたる満月を見ることができたのです。

 ※仲秋の名月=満月とはかぎらないのですよね。このサイトにわかりやすい説明がありました。

「湖や池にうつった満月に願いをかけるとかなう。
たらいにうつった満月でも可」

……という話を自宅に戻ってから思いだし、たらいがOKならお鍋でもいいでしょうと、愛用のル・クルーゼのお鍋になみなみと水をはってベランダに出て、お鍋の水面に中空高くのぼった満月をうつし、願いごとをつぶやきました。私の場合は願いごとではなくてお礼ですが。

というのも、あちこちの神社で手当たりしだいにお願いごとばかりして、かなってもお礼のひとことも言わないのは天に失礼でございしょう、という言葉をよく耳にするようになったから。子どもの頃から初詣に行くたびにお願いをしてきた私。受験を首尾よくクリアできますように。そうそう、仲良しの○○ちゃんも合格しますように。今年も家族みんなが元気で過ごせますように。

あらためて振り返ってみると、ずいぶんスケールが小さいですね。その凡庸なスケールのままに、お願いしてきたことはほぼかないましたが、考えてみたらきちんとお礼参りというものをしたことがなかったのです。それに気がついて以来、新たな願いごとは控えて、神社で手を合わせるときにはもっぱら「ありがとうございました、これからもよろしくお願いします」と、心の中で言うことにしています。

見たことのもないような明るさの満月にカメラを向けていると、薄い雲が一瞬、月の前を横切って小さな虹を見せてくれました。そして今しがたTVのニュースで、同じ夜に群馬の天文台が小雨のなかでとらえたという、地平線にかかる大きなすばらしい月虹の写真を見ることができました。
「月のプレゼントです」
とアナウンサーが伝えていました。県立ぐんま天文台のサイトにも月虹の写真が掲載されています。

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