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2006年10月01日(日曜日)

倍音の泉に浸る

東京カフェマニア主宰 川口葉子

060930kawag2.jpg大田区久が原のピンポイントにある「ピラミッドルーム」で、倍音浴のライブを楽しんでまいりました。音というものが精妙かつ力強い振動でできていることや、その振動が耳のなかの鼓膜だけでなく、体内の細胞のひとつひとつを震わせもすることを体感できる時間でした。

会場となったピラミッド型のドームの下には、大小二署伯ツにもおよぶ色とりどりのクリスタルボウルやアルケミーボウル、シャンティチャイムなどが並べられていました。この天井の下ではとりわけ音が美しく豊かに響くようです。ボウルをこすったり叩いたりして幻想的な音色を響かせるのが、CD「倍音浴」で知られるクリスタルボウルの第一人者、牧野持侑さん。

虹をたたえたひとつのボウルがふるえ、音を響かせると、それに呼応していくつものボウルがふるえだし、空間を音で満たしていきます。もし太陽系の惑星の回転する音が聞こえるならこのような音でもあろうかと思いを馳せずにはいられない、不思議な音の湧きでる泉。聴衆は、その泉を囲んで座っているかのようでした。

たまたま私は手のひらに飲みかけのミネラルウォーターのボトルをのせていたのですが、ペットボトルのなかの水は、螺旋を描いて宙にたちのぼっていくクリスタルボウルの響きに激しく反応し、目をみはるほどの振動を手のひらに伝えていました。体内の水分も(お昼に飲んだ白ワインも含めて)おなじように振動していたかもしれません。

倍音に浸ったときに感じるものは人によってさまざまですが、私の場合は、ひとことで言うなら爽快なお風呂あがり。床に座りこんでクリスタルボウルの響きに耳をすませ、ときどき意識をたもったまま眠っているような状態でいただけなのに、聴き終えたあとは、まるで露天風呂に入ってきたかのようにおなかの内部からぽかぽかとあたたまっていたのです。

060930kawag1.jpgおなかの内部という表現も妙なものですが、ふつうのお風呂であれば肌の外側からあたたまるところが、この倍音浴では内臓からあたたまった感じ。胃や心臓などがうっすらと気持ちのよい汗をかいたとでも申しましょうか。かつて体験したことのない感覚です。そして何度も、ひたいのまんなかで何かが渦を巻くような眩暈におそわれました。

ライブのあと、聴衆のひとりが牧野さんに訊ねました。
「まだ、頭のなかで音が響いているような気がします。CDを家でかけると、妻は強烈すぎて気分が悪くなってしまうと言うけれど、自分はもっと大きな音で聴きたいくらいなのです」

やわらかな口調の牧野さんの答えによれば、人によって快適と感じる音量が違うそう。さらに、低音を必要としている人、高音に反応する人など、音の高低への反応にも個人差があるらしく、このピラミッドルームを蘭オておこなわれるサウンドセラピーでは、お客さまはクリスタルボウルに取り巻かれてひとりで横たわり、牧野さんがその人にもっともふさわしい「音の処方箋」をみつけだし、倍音の泉に浸らせてくれるのだそうです。

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2006年09月23日(土曜日)

ろれつ

東京カフェマニア主宰 川口葉子

060923kawag.jpg年齢を重ねると、お酒の酔い方も変化するものですね。
若い頃は、ふわりと気持ちがよくなってきた……と思ったらもう酔いが回ってしまったものですが、最近は、あわあわとしたほろ酔いの時間を持続させることを大切にするようになりました。めざしているのは「高貴なる淡い酩酊」とでも申しましょうか。はたから見ればただの「ちょっとごきげんなひと」なのかもしれませんが。

ただ残念ながら、年齢を重ねても、おいしいお酒にひたっていると舌の動きが緩慢になり、言葉があやしくなるのは変わりません。
いっしょにたっぷりと赤ワインを呑んだ友人に、あとで「私、ろれつが回っていなかった?」と携帯メールで訊ねたら、即座に「もう、ロレツだか羅列(ラレツ)だかLet's(レッツ)だかわかりませんでしたよ!」という返事がかえってきたことがあります。うーん、なかなかうまいことを言うものですね。

その日は、小さな嫉妬に悩まされているという友人を元気づけるために呑んだのでした。友人は嫉妬される側。得意とする分野で成功をおさめた友人にむかって、周囲の人々が、祝福の中に小さなとげをたくさん隠した賛辞を送ってくるのだそうです。どうやら、その屈折した賛辞を要約すれば「あなたなんか」「私のほうが」ということになるらしく、友人は、ばかばかしく思いながらも本気で傷ついているようでした。

他人のことが気になるのは、自分が全力投球していない証拠。

あるカフェのオーナーが言った言葉を、無意味な競争をしようとする人々に教えてあげたくもなりますが、嫉妬心にさいなまれる人々のほうがしんどいのですよね。暗くよどんだそのエネルギーは、なによりもまず本人の心を傷つけてしまうから。

友人をなんと言ってなぐさめたのか覚えていませんが、「ありがとう。餅べーションが上がって、続けていく勇気がわきました」というメールが送られてきました。酔っていると携帯メールのろれつもあやしくなるようです。さぞかしもちもちと粘り強い仕事ができることでしょう。

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2006年09月18日(月曜日)

西の空に何かいる

東京カフェマニア主宰 川口葉子

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勢力の強い台風が西日本を襲った日は、東京の空も不穏な色をしていましたね。台風が去ろうとする夕方、地上でも空でも激しい風が吹き、暗い色をした雲は刻々と大きく姿を変えていました。

空に、何かいる。

ベランダに出て西の空を見上げて、突然そう思ったのです。胸騒ぎがするほどに。巨大な台風にまぎれて空が裂け、その裂け目から、ふだんは姿を現さない巨大な何かがのぞいているのです。それはあきらかに生きて呼吸をしているとしか思えない、不思議な存在の気配でした。

私たちの耳には聞こえない周波数で轟音をとどろかせ、巨大な渦を巻くその「気配」にカメラを向けましたけれども、そのような気配をレンズがとらえられるはずもなく、宇宙の扉がいっせいに開いていたような瞬間は、わずか10分あまりで薄れていきました。

060917kawag2.jpg気がつくと風は弱まり、西の空はいつもの穏やかな薄い光のなかにありました。けれども身体中をざわざわさせ、血管を脈うたせた不思議な興奮のなごりはそのあともかすかに残り、もしかしたら古代の人間は台風のたびにこんな感覚をおぼえていたのかもしれないと考えたりもしたのでした。


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2006年09月09日(土曜日)

恐怖のシュウマイ:喫茶店編

東京カフェマニア主宰 川口葉子

060909kawag.jpg『恐怖のシュウマイ』という怪談をご存知のかたは多いことと思います。おちを聞くと、あんまりつまらないのでへなへなと力の抜けてしまう、例のあれです。さまざまなバージョンが語られているようですが、念のために基本編と思われるものを書いておきますね。

シュウマイが大好きなおばあさんがいました。その日も、いつものように10個入りのシュウマイを買ってきたのですが、ふたを開けてびっくり。なんとシュウマイがひとつ消えて、9個しか入っていなかったのです。
首をかしげつつ冷蔵庫にしまい、夜に再び開けてみると、またシュウマイがひとつ消えて8個に。おばあさんはショックのあまり死んでしまいました。シュウマイが、ふたの裏にはりついていたことも知らずに。

おばあさんのお葬式の日、集まった人々がお別れを言おうとして、かんおけを開けてみると、なんと、おばあさんが消えているではありませんか。
そうです、おばあさんは、かんおけのふたに……。

あっごめんなさい、へなへなさせてしまいましたか。あらためて書くといっそうばかばかしくなってきますが、とにかくこれが『恐怖のシュウマイ』です。なぜ季節はずれの怪談など持ち出したかと申しますと、その恐怖のシュウマイを連想させる小さな喫茶店に、出会ってしまったからなのです。

お昼どきの日本橋の裏通り。古い民家と低層の雑居ビルが入り交じった細い路地に、あまり気をひかれない店高ヲの喫茶店をみつけました。新しくも古くもなく、コーヒーの味も期待できなそうな。それでも、私は知らない喫茶店を見かけるとつい扉を叩いてしまうたちですから、近づいていって扉を開けました。

店内を見て、たじろぎました。四畳半くらいの狭い正方形の店内に、白いワイシャツにネクタイ姿のおじさんたちがぎゅうぎゅうづめになって座っていたのです。空いている椅子などありません。彼らは座っているというよりも「詰まっている」というほうが正しい光景でした。

ちょっと異様な光景に、あわてて退散しましたけれども、脳裏に『恐怖のシュウマイ』が浮かんでおかしくなってしまったのでした。私がもう一度扉を開けたら、おじさんの姿が一人、消えるにちがいありません。そうです、扉の裏側にはりついて。

店内が恐怖のシュウマイを連想させたのは、楽しそうに詰まっていたおじさんたちの白いワイシャツ姿もさることながら、店内の空気を白く変えるほどたちこめていたタバコの煙のせいでした。さながらシュウマイからあがる湯気のように。

カフェを禁煙にするか否か。

いま、多くのカフェの店主のかたがたが頭を悩ませている問題です。私自身はタバコを吸いませんし、隣のテーブルから漂う煙で、おいしいコーヒーやお料理の味をだいなしにされたくないと願っています。こじんまりしたカフェでなら、なおさら。しかし、愛煙家の方々に言わせれば、コーヒーを飲みながら吸うタバコというのは実においしいそうで。

これまでに2度、禁煙にはしていないカフェで、タバコに関して爽快な思いをしたことがあります。それは2度ともお店の人の配慮によるものでした。つい先日経験したのは、千石駅のすぐ隣にある八百コーヒー店で。
以前このカフェを訪れたときに、ヘビースモーカーの常連さんたちは、子どもづれのお客さまが入ってくると、ちゃんと自主的にタバコをやめて灰皿を返してくださるというお話をうかがって、いいなあと思っていたのでした。

コーノ式サイフォンで淹れるコーヒーがとてもおいしい小さなお店は、この日、ほぼ満席でした。すきまをみつけて腰をおろすと、隣のテーブルのお客さまの前には、吸い殻のつまったタバコが。とはいえそのとき吸っていたわけではなく、煙の匂いもまったく気にならなかったのですけれども。

お店のかたは私のテーブルに水を運んでくるときに「川口さんはタバコを吸われませんでしたよね?」と確認して、にこにこしながら隣のお客さまに「すみませんが」と言って、灰皿を取り上げてしまったのです!
「あ、いいですよ」
隣のお客さまも慣れているようす。日ごろからこういうやりとりがおこなわれているのでしょう。それにしてもお店のかたの、素敵な笑顔できっぱりと灰皿を取り上げるようすは見事でした。こういうにこにこ顔で言われたら、喫煙者も決していやな感じはしないだろうなと思います。

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2006年09月03日(日曜日)

おだやかな臨終

東京カフェマニア主宰 川口葉子

060901kawag.jpg「だれかが死ぬときは、大事な家族のところに、必ず<お知らせ>が行くもんだよ」
義父はよく言います。彼の父親が亡くなる前には、家の玄関のドアがとつぜん、そばに誰もいないのにバーンというすさまじい轟音をとどろかせたそうです。

「お父さんが呼んでいる!」
そう直感した彼は全力疾走で父親の枕もとに駆けつけ、息をひきとる瞬間に間にあったといいます。たいへん長生きをした父親は、駆けつけた息子に手を握られてにっこりし、おだやかに旅立ったとか。

その不思議なできごとを大切に記憶している義父ですから、自分が亡くなるときも、息子に<お知らせ>をするかもしれません。それはすなわち、うちのマンションのドア? のんびりと島暮らしを営んできた長寿の家系なので、幸いにしてそんな日はずいぶん先なのだと思いますが。

死をどうとらえるかは家庭によって違うことでしょう。夫の育った家庭でも、私の育った家庭でも、肉親たちはおおむね健康で長生きをしたために、死は悲しいけれど自然で避けられないものとしておおらかに受け止められてきました。

先日出版した本『カフェの扉を開ける100の理由』のなかに、すこしだけ長野の亡き祖父のエピソードを書き、祖父がのこした冗談について綴ったのですけれども、そのページを父親に見せたら、さっそく「おじいちゃんはもっとおもしろい冗談ものこした」という感想が。私が期待していたのは、おじいちゃんも天国で喜んでいるだろうとか、懐かしいねとか、そのたぐいの言葉だったのですが…。

父によれば、祖父は病床で「自分が死ぬときは時代劇の中で息をひきとる人がよくやるように、なにか言いかけて、急にがくっと首をたれてみせる」と笑って宣言していたそうです。そうして亡くなるとき、本当に宣言の通りにして旅立ったのだとか。がくっと首をたれた祖父を見て、父は0.3秒くらいのあいだ、冗談か本気か判断がつきかねたそうです。

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2006年08月25日(金曜日)

8月の光

東京カフェマニア主宰 川口葉子

060825kawag1.jpgどういうわけか今年の8月は、夕暮れどきに美しい光があらわれることが多いですね。
はっきりしない曇りの日にこそ、西の空に「ヤコブの梯子」が鮮やかにのびているのが見られます。しかもそれは見慣れた下向きの梯子ではなくて、上向きにのびている梯子。神々しい光景が毎日、空で無言のうちにくりひろげられていることに、不思議な感慨をおぼえます。

夏なんてきらい。
暑くてだるくて不快で、なにひとつする気になれない。

周囲にはそんなふうに言うひとも少なくなく、じじつ私も若い頃は夏が苦手でぐったりしていたものですが、30歳を過ぎてから夏が大好きになりました。
空に光がたくさんある感じが、好きなのです。そのふんだんな光を浴びて、街をゆく人々の髪や肩や腕が光っていたり、植物の緑や舗道に落ちる影が濃くなる感じも。

8月の終わり、暑さはまだまだ続きますが、すでに光は最高潮の頃の強さを失いはじめています。そんな時期には印象的な風が吹くもの。毎年、この時期になるとベランダに椅子を出して、風に吹かれながら読書して過ごすのが楽しみです。濃いコーヒーを淹れ、カップとおやつをトレイにのせて。

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2006年08月18日(金曜日)

8月15日の花火大会

東京カフェマニア主宰 川口葉子

060818kawag2.jpgあちこちで花火大会たけなわですね。
友人のブログにこんな一節がありました。

> 江戸時代の粋な花火の味わい方とは
> 酒一献かたむけながら、まさしく花火の音だけ聞き、
> それがどんな花火なのか想像する。
> それがよろしい。
> とされていたようです。

彼女は青山の小さな洋書店のあるじ。神宮の花火大会の夜は、お店のなかで、音だけ楽しんで過ごしたそうです。

毎年すこしずつ、花火見物がじょうずになっていく夫と私。今年も多摩川の土手で恒例の大田区平和記念花火大会がおこなわれましたが、去年学習した「ビニールシートに座るより、椅子のほうがラクみたい」というのを活かし、アウトドア用の小さな椅子持参ででかけました。

この花火大会の何が素晴らしいって、おしあいへしあいの場所取りが全然ないこと。たくさんの人が集まるのですが、多摩川の土手は余裕がたっぷりあるので、のびのびと楽しめるのです。隅田川の花火大会に二度、横浜の花火大会に二度でかけて、あまりの混雑ぶりにへとへとになってしまった私にとっては、地元のこんなのんびりした花火大会がいちばん心やすらぎます。

060818kawag1.jpgビールが切れたりすると、土手から駅近くに戻って買わなければならないことも学習済みです。昨年、夫は浴衣姿で何度も土手とビールのあるコンビニの間を往復し、ビールをかかえた姿を自分の教え子たちに目撃されていますから、今年はクーラーボックスにたっぷりの氷と缶ビール2本、スパークリングワイン1本、白ワイン1本をつめて持参しました。白ワインのコルクは自宅であらかじめ抜いて、もう準備万端。これだけ飲みものを用意すれば充分だろうと思ったのですが、川風の気持ちよさにつられて、ふたりできれいに飲み干してしまいました。

8月15日。
この宵、多摩川の土手は、つぎつぎに夜空に咲く花火とジャズの演奏を楽しむ人々の穏やかな撫薰ナ満たされましたが、60年ばかり前には同じ場所に人々が絶命して横たわっていたこともあったのです。

毎年、開会のあいさつではそんなこともさらりと触れています。真夏の夜空で赤や青に、金色に、幾重にも花ひらく閃光は、地上を去った人々や、いまここに生きている人々の、何億もの魂の輝きを集めてスパークしているようにも見えるのでした。

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2006年08月06日(日曜日)

手の仕事

東京カフェマニア主宰 川口葉子

060805kawag.jpg浴衣の季節になりました。帯をしめた人々が街を往き交うのを見るにつけ、千葉よしのさんの染めた藍の着物のことが思いだされます。

銀座のギャラリーで、彼女の手が生みだした着物が美術品のように飾られているのを見たことがあります。本来はふだん着であるはずの藍染めですが、ちょっと気の遠くなるような手仕事によって作られた千葉よしのさんの藍染めは、現代にあってはもはや美術工芸品。

息をつめるようにしてその色を見つめていると、白髪の紳士がやってきて横に立ち、
「このかたは、まず麻の種を畑にまくことから始めるのですよ」
と教えてくれました。

90歳を越える千葉よしのさんは、麻を育てて麻糸をつむぐこと、藍の種をまいて藍を育てること、そして麻布を藍で染めることまで、すべて自分の手ひとつでおこなってきたといいます。

「通常の藍染めは火を用いて一年中作業をしますが、このかたはいっさい火を使わず、あたたかい季節に藍が自然のままの温度で発酵する期間だけ染めるんです。藍に加える材料も灰汁やみりんといった自然のものばかりですから、藍の状態を調べるときは、なめてみるそうですよ」

千葉よしのさんの母親にあたる故・千葉あやのさんは重要無形文化財保持者に指定されており、千葉家の人々が守り受け継いできた最古の藍の技法は稀有なものだったのかもしれませんが、そのような手の仕事が、わずか100年前には、少なくともいまよりはずっと身近にあったのだとしたら、私たちは産業の発展という名のもとに、いったいどれほどのものを失ってきたのでしょう?

正藍染には殺菌作用や虫よけとしての効果もあるといいます。その着物のとなりには、もう少し若い男性作家による、これもまた見事な細かい刺繍の帯が飾られていました。髪の毛ひとすじほどの細さの糸で刺繍するその繊細な模様には目をみはるばかり。

「このかたは、刺繍をする針も自分で作っていらっしゃいます。このかたに弟子入りするには、暗闇の中で針に糸を通さないといけないんだそうですよ」

ここまでくると、なんだか宮本武蔵に弟子入りするようにさえ聞こえてきますね。それにしても、「ほどほどに良いもの」にはいくらでも出会うことができますが、「鳥肌がたつほど良いもの」には、なかなか出会えないものだなあ、と思いました。

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2006年07月28日(金曜日)

コーヒーをうがいした男~恋愛小説家

東京カフェマニア主宰 川口葉子

060728kawag.jpg『恋愛小説家』はジャック・ニコルャ唐ニヘレン・ハントの二人がアカデミー賞主演男優賞、主演女優賞を並んで獲得したヒューマンコメディ。
ストーリーはよくある「偏屈で頑固で孤独な主人公が、はじめて愛を知り、変貌を遂げる」という単純なパターンにのっとっているのですが、脚本のくふうと主演二人の存在感のおかげで、決して大味な映画にはならず、最初から最後までにやりとしながら気軽に楽しめる仕上がりになっています。

なにしろジャック・ニコルャ唐ナすから、鬱陶しいほどクセのある毒舌男(そのくせ、甘美な恋愛小説を書く作家)がはまり役。彼の潔癖性ぶりの描写もおかしくて、ニューヨークの舗道を歩くときは決して敷石の割れ目をふまないように歩いています。帰宅するやいなや真新しい石鹸で手を洗い、一度使った石鹸はただちにごみ箱へ。そのため、バスルームの戸棚の中にはつねに新品の石鹸が山積みになっています。

行きつけのカフェにも自分用のフォークとナイフを持参。カフェでは座る席を決めていて、先客がいると、とんでもない膜セを吐いて追い出してしまいます。当然ながら、店じゅうの鼻つまみ者になっているジャック・ニコルャ刀Bウェイトレスに対しても無茶な要求ばかりするので、無視されがち。

そんな彼がウェイトレスを呼び止めるためにした仕草、それはなんと、通りすぎるウェイトレスにむかって、コーヒーをうがいしてみせたこと! コーヒーが登場する映画は山ほどありますが、コーヒーでガラガラゴロゴロとやってみせた男なんて、私の知るかぎりではジャック・ニコルャ唐セけです。

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2006年07月23日(日曜日)

山手線はコーヒーカップのふちを回る~珈琲時光

東京カフェマニア主宰 川口葉子

古い喫茶店の好きなひとなら、おそらくご覧になったことでしょう。小津安二郎生誕100周年にあたって、台湾のホウ・シャオシェン監督が東京で撮影した小津へのオマージュ映画『珈琲時光』。スクリーンのなかで、神田のエリカ、銀座のももやなど、おなじみの老舗喫茶店が静かな光に包まれている光景を観ることができます。

タイトルには「珈琲を味わうときのように気持ちを落ちつけ、心をリセットし、これからのことを見つめるためのひととき」という意味があるそうですが、映画のなかでコーヒーに劣らず重要な役割を担わされていたのは、東京の街をたえず行き交う無数の電車たちでした。

060723kawag.jpg「東京と電車は切り離せないというのが私の東京観なのです」

監督がそう語るように、主人公たちは日々くりかえし都電荒川線や山手線、中央線などに乗って小さな移動をしています。古書店の主人役の浅野忠信が自画像として<緑色の山手線の車輌に囲まれた胎児>を描いたのも、電車や駅のホームにマイクを向けて音を収集しているのも、電車がかけがえのない自分たちの日常であるからなのでしょう。

山手線はゆっくりと円を描いてまわっているだけで、決して東京都心から離れることはありません。だからこそフリーライター役の一青窈は、山手線のなかで安らかにうたたねをすることができたのです。

考えてみれば私も、さほど混雑していない昼間の山手線の座席に腰をおろして電車のリズムに揺られているときには気持ちが落ちつき、これからのことを考えたり、小さなアイディアが降ってくるのをつかまえたりしていることが多いのです。それは「珈琲時光」という言葉に託された時間と同質のもの。

昼間の山手線は、コーヒーカップのふちをぐるぐると回っています。

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