
2006年01月20日(金曜日)
男の財布に一円玉は似合わない?
東京カフェマニア主宰 川口葉子
ある時期、よくいっしょにお酒を楽しんだ人々がいました。その数年間は私が人生のなかで最もたくさんお酒を飲んだ時期でもありました。なぜなら、仲間たちがみんな「とことんまでつきあう」のを美徳とする人々だったから。ほどほどに切り上げる、なんていう言葉が私たちの辞書にはまだなかったのですね。
そんな飲み友達の一人のことを、久しぶりに思い出しました。彼のお財布には一円玉が入っていない、というエピソードが印象深くて。
「ほら、なんていうか、男の財布には一円玉は似合わないぜ…でしょ…?」
彼は照れくささをごまかすようにそんな言葉を口にしました。コンビニエンスストアのレジの前に立ったときのことです。
私たちは4~5人でビール専門店でさまざまなビールを楽しんだあと、少し離れた場所にある日本酒のおいしいお店に向かって歩いていたところでした。気持ちのいい夏の夕方でした。途中、公園をみつけ、公園で花火をしてから次のお店に行こう、ということになったのです。コンビニエンスストアで花火を買い、彼がお財布を取り出しました。
ほろ良いきげんのみんなは彼を残して外に出て、夕空を見上げてはつまらない冗談を言い合って喜んでおりました。でも、店内の彼がなかなか出てこない。店員さんが少し手間取っているようです。私が店内に引き返すと、友人がちょうど精算を済ませ、花火を受け取るところでした。友人はお釣りとして受け取った小銭を、レジスターの横に置いてある募金箱にすばやく入れました。
「よく募金するの?」と尋ねたら、彼が口にしたのが上の言葉。
「そのせりふ、なにか格好つけてるつもり?」
ついからかってしまったら、彼はさらに照れくさそうに言いました。
「これが習慣になっていれば、毎日少しずつだけれど、一生分を合計すればどこかで誰かの役にちょっとは立つかもしれないしさ」
その後も私はたびたびコンビニエンスストアや酒屋さんで、その友人が小銭をチャリティボックスに入れるのを目にしました。もしかしたら人前でだけそんなことをするのかしらと思い、背後からこっそりのぞいていたこともありましたが、彼は決して<習慣>を忘れませんでした。
ふと友人の顔を思い出すたびに必ずいっしょに浮かんでくるエピソードがこれ。もう何年も会っていませんが、あの習慣が続いているといいなと思います。彼のおかげで遠い国で生きる誰かが一人、一日くらいは輝く笑顔で過ごせたかもしれないですよね。

2006年01月13日(金曜日)
宮古島・七色のコーヒーがあるカフェで
東京カフェマニア主宰 川口葉子
年末に5日間の宮古島の旅をしてきました。
ひとくくりに沖縄といっても、沖縄本島と、石垣島、宮古島ではそれぞれ異なった文化を持っています。沖縄本島では、いらっしゃいませの言葉はご存知「めんそーれ」ですが、石垣島などの八重山地方では「おーりとーり」、そして宮古島では「んみゃーち」。宮古では「ん」から始まる言葉が珍しくないのです。しりとりはどうやって決着をつけるのでしょうね?
レンタカーをのんびり走らせて宮古島の小さな中心街から離れ、サトウキビ畑のまんなかに建っている気持ちの良いカフェでひとやすみしました。
低めに設けられた居心地のよいカウンター席と、不思議な小上がり席。メニューの中に「七色のコーヒー」を見つけ、興味をそそられて注文したのですが、登場したのはいたってオーャhックスな色のコーヒーでした。
「あの…七色のコーヒーとはどういう意味でしょうか?」
3分に1度は笑っている若い女性店主は、ほがらかに教えてくれました。
「想像すれば七色でしょう?」
それを聞いてものすごく力が抜け、窓の外で輝くサトウキビ畑と青空を眺めていると(なにしろそれしか視界に入ってこないのです)、お店の一角でフリーマーケットをしていた青年が声をかけてきました。
「よかったら本を持っていってください。どれでもタダですから」
そこには実に雑多なモノたちが楽しげに並べられていました。たくさんの古いコーヒーカップ、グラス、靴、本。夫と私は丹念にモノたちを見て回って、1冊ずつ本を選んでまたカウンター席に戻り、2杯目のコーヒーを注文しました。ここでは誰も時間に追われていないのです。
フリーマーケットの青年には翌日、別の場所でばったり出会って、素晴らしいお土産をいただくことになるのですが、その話はまた別の機会に。

2006年01月06日(金曜日)
お正月の「大きな」悩み
東京カフェマニア主宰 川口葉子
あけましておめでとうございます。
2006年が皆さまにとって実り多い一年でありますように。
年賀状には、葉書1枚といえども、書いてくださった人の個性が色とりどりに花開いているものですね。書いた人がふだん身にまとっている時間の流れが、不思議とそのまま葉書の上にも流れているようです。いつも忙しそうな人は、葉書の上を走る文字もいかにも忙しそう。ゆったりした風情の人は、葉書でもやわらかな余韻を感じさせてくれます。
毎年必ず1枚は混じっているのが、差出人の名前を書き落としている年賀状。自分の住所はきちんと書いているのに、なぜかその横に名前を書くのを忘れてしまううっかり者がいるのですね。今年のうっかりさんは、目黒区祐天寺にお住まいの人! きれいな和紙を唐チた年賀状をありがとうございます。でも、あなたがどなたなのかわかりませんので、もしもこれをお読みになったらメールでご一報くださいね。
年賀状を書くたびに思い出すのは、会社員時代に隣の営業セクションでアルバイトをしていた女性のこと。背が高く、てきぱきとお仕事をこなす明るい人でしたが、仕事上の大きな悩みがありました。それは「字が大きい」こと。どんなにがんばっても小さな文字が書けないのです。
当時、営業セクションの人々は年賀状の宛名だけでも手書きを良しとしていたので、アルバイトの女性はどっさりの宛名書きを頼まれました。カタカナの名称だらけの会社に宛てた住所がどれくらい長いか、おわかりでしょう?
東京都○○区○○○町○-○-○
○○○○○○ビル○階
○○○○○○○○○(全部カタカナ)株式会社
○○○○・○○○○○○○○・○○○○○○部
○○○○○○○・○○○○○○○課
○○○○課長殿
彼女がこれだけの字数を書くと、葉書いっぱいに大きくひろがってしまって、最後の○○○○部長殿を無理やり押し込めなければいけないのです。
「どうして川口さんはそんなに小さな字が書けるの?」
(私の字はごくふつうのサイズなのですが…)
彼女が苦しみながら懸命に書いた年賀状の束を見せてもらったのですが、大きな字が葉書全面にでかでかと輝いており、丁寧で整った筆跡にもかかわらず、まるで元気な小学生の年賀状のよう。悪いとは思いながらも思いきり笑ってしまい、彼女の苦悩をいっそう深めてしまいました。
そういう私は、「富」という漢字をどうしてもうまく書けないのが悩み。「真」の字も格好悪いったらありません。世の中には人の数だけ、カラフルな悩みがあるようです。

2005年12月23日(金曜日)
お世話になります
東京カフェマニア主宰 川口葉子
お仕事上のメールを書くとき、私はたいてい次のような一文から始めます。
こんにちは、川口です。お世話になっております。
初めてやりとりする場合は、まだ「お世話」が発生していないので、語尾を小さく変更します。
こんにちは、川口です。お世話になります。
さて今週は、クリスマスイブから旅行や帰省で2週間ほど自宅を離れるので、いつもはヒマな時間を満喫している私もさすがに大慌て。1週間のあいだに2週分のお仕事をつめこみ、たくさんのメールをやりとりしています。昨晩も明け方まで目を赤くしてパソコンの画面に向かっておりました。
眠気をこらえて午前4時にお仕事相手にメールを出すと、相手からすぐに返信が返ってきました。そんな時間帯の速いレスポンスには驚きましたが、メールを開いてみて、もっと驚きました。その最初の2行は……
お疲れさまです。
明日は、誰になるのですか?(笑)
いったい何のことでしょうか? 自分が送信したメールを読み返して腑に落ち、今夜はもう注意力の残量がゼロになったので寝ようと思いました。私のメールの冒頭にはこう書かれていたのです。
今日は、川口になります。
すみません、明日も川口です。来年も川口です…。ほんわか茶飲み日誌・金曜日の私のお当番は、今年は本日でおしまい。1年間、茶飲み話におつきあいくださいました皆さま、どうもありがとうございました。どうぞ良い新年をお迎えくださいますように。また来年もよろしくお願い申し上げます。

2005年12月16日(金曜日)
500万個の星たちの下、君は銀河系の住人であることを思い出す
東京カフェマニア主宰 川口葉子
晴れた日に、友人たち4人でお台場の日本未来館に集まりました。世界に類を見ないと評判のプラネタリウム「メガスターⅡ」による星空を眺めましょうという企てです。
平日の午前中にもかかわらずプラネタリウムは満員でしたが、まるで4人で宇宙船に乗り込んで大気圏を離れ、明かりを消したスペースに寝ころんで、幾つもの銀河を眺めているような時間を満喫することができました。
メガスターⅡが映し出すのは、従来の限界を大きく超えた12.5等星までの星々。実は、人間の眼には6等星か7等星くらいまでしか見えていません。それなら、メガスターⅡが描き出す満天の星空なんて意味がないじゃないか、どうせ肉眼では見えないんだから……と思ってしまいそうですが、通常のプラネタリウムの星空とはあきらかに違うのです。
それは、宇宙の奥行き。ただの暗黒と見えている闇の部分の、思わぬ濃淡。闇の深さと不思議な明るさ。現代の科学が「ここまでが人間の知覚の限界です」と決めた数値以上のものを、やっぱり私たちは感じ取っているのですね。
約30分間のスペーストリップから地上に戻ってきたあと、すぐに外に出る気分にはならなくて、未来館の中のカフェでお茶をいただきました。4人で顔を合わせるのは半年ぶり。そこで友人が、椅子好き、カフェ好きの人々のあいだではすっかりおなじみのイームズが制作した映画『POWERS OF TEN』の話をしてくれました。
カメラはまず湖畔の芝生で昼寝をする男性の姿をとらえ、ぐんぐん上昇していって公園全体を見下ろし、ついで雲の上を抜け、成層圏を突破してついには宇宙の果てに到達したかと思うと、急降下して地球に戻ってきて再び昼寝をする男性を映しだし、今度は彼の皮膚の内部へと潜っていくのだそうです。細胞からDNAへ、さらにもっとミクロの通常では見えない世界へ。それは体内にひろがるもうひとつの銀河系。
カフェのテーブルを囲んでいる4人も、それぞれが銀河系の小さな住人の一員でありながら、体内に別の次元の広大な銀河系を内包していました。それは意識がすうっと遠のきそうなほど不思議で、同時に、ごくあたりまえのこと。
コーヒーを飲みながら、ひとりひとりを1個の天体ととらえるなら、この4人はどんな星座をかたちづくっているのだろう、と考えていました。

2005年12月09日(金曜日)
我が母の教え給いし歌
東京カフェマニア主宰 川口葉子
母の健康状態が今ひとつすぐれないと聞き、一冊の本をたずさえて里帰りしました。幸いなことに母の症状は快方に向かいつつあり、お茶を飲みながら、持参した本に書かれていたことを実行する時間もたっぷりありました。
その本とは、友人がすすめてくれた『今、親に聞いておくべきこと』。いったい何を始めるつもりなのといぶかしがる母に、まあまあ聞いてと、私はページを開いて前書きを読み上げました。
「あなたが親の家を離れてから、もう何年経っていることでしょう。親が現在送っている暮らしについて、親が大切にしている人間関係や品物や思い出について、あなたはいったい何を知っているでしょう」
「突然、母に先立たれた娘が、悲しみからようやく立ち直った頃、急に母の煮物が食べたくなりました。ところが、料理本などを見ながら、いろいろと試してみても『母の味』がどうしても再現できないことに気づき、愕然としたというのです。いわばそれは、新たな喪失感でした。『どうして、生きているうちに作り方を聞いておかなかったんだろう』。
それからというもの、周りの人に『お母さんが生きているうちに、得意料理のレシピを聞いていたほうがいいわよ。しかも今すぐにね!』と無念の思いを伝えているのだそうです」
それを聞いても、母は最初のうち少々しぶっていました。もともと照れくさがりの一家なのです。語って聞かせてあげられるほどのドラマティックな人生は送ってこなかったの、お母さんは本当に平凡な生活をしてきたのだから…と逃げ腰になっていましたが、まず、産まれた家のことについて質問してみると、母の母のこと、小学生時代を過ごした満州のこと、その運河沿いの美しい柳の並木のこと、小学校でのエピソードなど、次々に話してくれました。
小学生のときに好きだった歌も、いくつか小声で歌ってくれました。当時の小学校唱歌だったようです。石ころ、一輪車、柳の小道、夏の雲……というような歌詞でした。
その言葉が引き金となって、不意に、10年も前に見た夢がよみがえりました。揺れて輝く柳並木に包まれた舗道を、だれかと歩いている夢です。陽射しがまぶしい夢の中で、私は自分が中国に来ているのだということを知っていました。
ただそれだけの夢なのに、なぜこんなにも鮮明にその風景を思い出せるのでしょう。もちろん、行ったこともない中国の町ですから、私の夢が勝手に創りだした風景に過ぎません。それでも、もしかしたら母の少女時代の記憶が、湧き水のように夜の底をつたい、私の夢の中に溢れだしてきたのかもしれないと思うと、夢の風景が私を去らない理由もなんとなく納得できるような気がするのでした。

2005年12月02日(金曜日)
フランス人、クロワッサンを希望
東京カフェマニア主宰 川口葉子
「漂流の末に発見されたフランス人、クロワッサンを希望」という見出しのついた記事を読んで、なるほどフランス人!と思った人は多いことでしょう。
ボートのエンジン故障によってカリブ海を20日間漂流したフランス人漁師が、救助されたときに真っ先に頼んだのはクロワッサンだったのだそうです。漁師は「雨水とデッキに着地したわずかなトビウオによって生き延びた」ようですが、オランダの小型快速船のクルーに救助されて、最初に口にした言葉は、
「パン・オ・ショコラ(チョコレートクロワッサン)とミルクはありますか?」
だったそうです。こんなときすぐに、自分なら何を食べたがるかしらと考えるのは、根がひまなせいでしょうか。まろやかな自然塩だけで握って海苔を巻いた、ほんのりと温度のあるおにぎり。玉ネギ、じゃがいも、若布を入れたお味噌汁を少し。きっとそんなものを切望することでしょう。
今年の早春、ふだん山歩きをしたこともないのにどうしても熊野古道をひとりで歩いてみたくて、周囲のみんなに厳重な防寒具の準備と事前のトレーニングをアドバイスされていたとき、すばらしいお料理の才狽ノ恵まれた友人が作って私に持たせてくれたのは、チョコレートのあらゆる魅力をぎゅうっと濃縮して詰め込んだ究極のブラウニーでした。
初めて歩く熊野の山々。冷たい空気は澄みきって張りつめ、何百年も昔から無数の人々が歩いてきた古道は、私のほかには人影もありませんでした。何日分もたまった筋肉痛や心ぼそさと闘いながら苔むした石畳をのぼっていくとき、背中のリュックに入れたブラウニーは頼もしいお守りになってくれました。
その日の予定ウ事に歩き終えて、山のふもとで食べるブラウニーの感動的なおいしさ。クーベルチュールをたっぷり使った、ずっしり濃厚な舌ざわり。甘さの中に、カカオの高貴なほろ苦さと、オレンジの爽やかなほろ苦さが混じり合い、ひとくちかじるごとに、疲れた身体の頭のてっぺんから爪先まで大きな喜びが駆けめぐりました。
遭難ブラウニー。私はひそかに彼女のブラウニーをそう呼んでいます。「遭難しても1個で1週間は生きられるくらいおいしいブラウニー」の略です。本当においしいものには、輝くような生命力が宿っていますものね。

2005年11月24日(木曜日)
漆塗りの冥界へ降りてゆく
東京カフェマニア主宰 川口葉子
200年の歴史を有する銭湯を改装した現代美術ギャラリー「SCAI」で、アニッシュ・カプーアの個展「JAPANESE MIRRORS」を見てきました。
ギャラリーで「見る」という行為そのものをこれほど純粋に楽しみ、正真正銘の眩暈に襲われたのは初めての体験でした。作品を深々とのぞきこんでいるうちに目の焦点が合わなくなり、遠近感も奪われて、非現実的な無重力空間に立っているような錯覚にとらわれるのです。
壁面に展示された作品は5つ。大きなパラボラ状のそれは漆塗りで仕上げられています。一見、巨大な漆の酒盃が白壁に飾られているようにも見えますが、近寄るにつれ、一歩ごとにそれは紛れもなくタイトル通りの「鏡」へと不可思議な変貌を遂げていきました。
漆塗りのパラボラの楓ハは、ぬめりのある光沢を持つ大きな鏡となって周囲の空間を映し出しています。輝くガラスの鏡が光を反射するのとは異なり、漆の鏡は光を吸収しているよう。そしてパラボラのゆるやかなカーブは、くもりのない鏡面界を無限の迷宮に変えていました。
正面から歩み寄ると、鏡の中の天地は反転して見えます。私の姿も上下さかさまに映っています。さらに歩み寄るうちに、鏡の中の自分の顔が歪みながら鏡面いっぱいに巨大化し、ふっと何もかもが虚空に溶解したと思った次の瞬間、私は正常な天地に着地して鏡の中に立っているのです。それなのに背後の世界はあいかわらず天地反転。前景の大きな私と、背景の小さな宇宙とは、見慣れた地上の法則に支配されない異次元へと漂い始めてしまうのです。
漆の色はそれぞれ「ASAGI」「KUSA」「KON」「TAMEKURO」「MURASAKI」。どの色も非常に深く、それぞれが闇のよう。浅葱色の闇、草色の闇、濃紺の闇…。
草色の闇の楓ハには幽かな波紋がひろがり、私は不意に闇に吸い込まれて、死後、最初に出会う風景の中に(もし、そのようなものがあるとすれば)佇んでいました。この世と死後の世界の間を隔てる、果てのない薄暮の風景の中に。
亡くなった恋人を再び甦らせるために冥府へと降りていく人間の物語は世界中の神話や伝説に見つけることができますが、そのとき私はまるで、亡霊となった恋人を後ろに従え、地上に戻るまでは決して後ろを振り向いてはいけないと命じられて冥界をさまよい歩く人間であるかのように感じていました。
身体がぐらりと揺れて、私は地上に戻りました。それでもまだ遠近感は失われたままらしく、思わず手を伸ばして鏡の最奥、いちばんくぼんだ部分に触れて距離を確認せずにはいられません。けれども手は、何にも触れはしませんでした。実際の鏡は、視覚がとらえるよりもずっと遠くにあったのです。
眩暈に襲われてあとずさった一瞬、私の姿がかき消えました。カーブする鏡面には背後の空間が映っているのに、自分の姿はどこにも見あたりません。本当に肉体が消滅し、霊魂だけの存在となってしまったように。
鏡は同時にパラボラアンテナでもあります。いったい何を受信しているのでしょう。閉館まぎわの誰もいないギャラリーで、私はどれだけの時間、魂を吸い取られたまま深淵をのぞいていたでしょうか。

2005年11月18日(金曜日)
朝のご苦労さま
東京カフェマニア主宰 川口葉子
今週は12月なみに冷え込みましたね。朝、部屋の中で靴下を履いていても爪先が冷たく感じられます。
私は寒がりの子どもでした。大人になっても相変わらず寒がりですが、子どもの頃、冬は今よりもずっと寒かったのです。
毎朝、大きなテーブルには背広姿の父とセーラー服の私が並び、まだ半分眠っている顔で朝食をとります。母は石油ストーブを父と私のすぐ背中に近寄せ、自分は冷えびえとした台所に立って私のためにお弁当を作っていました。母がドアを開けてリビングに入ってくるたびに、台所の冷気が流れ込んできます。私はストーブの熱をたっぷりとセーラー服の背中に浴びてもなお寒がりながら、お母さんは偉いなあ、ご苦労さま、と思っていました。
それがいつのまにか、夫に対して、母と同じことをするようになっていました。夫も私も働いていた時代には、朝はふたりとも1分を争う騒ぎで家を飛び出していきますから、寒いなどと言っている余裕もなかったのですが、私が会社を辞めて家でのんびり仕事をするようになると、いとも自然に、外の寒さの中に出かけていく夫をあたためなくてはと思うようになっていたのです。
もっとも、現在では気密性の高いマンションで暮らしているうえに、強力なエアコンディショナーのおかげで部屋はたちまち暖かくなりますが、とにかく出勤前の夫をできるだけあたためたいのです。木枯らしの中を仕事に出かけていくのだもの。偉いなあ、ご苦労さま。そう思うと、たとえ短い時間でもおなかの底からしっかりとあたたまってほしくて、無理やりにでも熱いコーヒーとトーストを夫のおなかに入れてしまいます。
あの頃の母も、出かけていく父と私に対して、ご苦労さま、せめて朝食のテーブルではあったまってねと思っていたのかもしれません。自分がその立場になって初めてわかったのは、それが優しさとか思いやりなどとあらためて名づける行為ではなくて、もう無意識にしてしまう行為だということ。
違いと言えば、母は毎朝欠かさずに父と私をあたためてくれましたが、私は二日に一度は、ベッドの中でぬくぬくしながら行ってらっしゃいと声だけで夫を見送っていることでしょうか…。

2005年11月11日(金曜日)
画家と自家焙煎珈琲の関係
東京カフェマニア主宰 川口葉子
人気の自家焙煎珈琲職人、中川ワニさんのご本業は画家です。また、カフェ好きの人のあいだでよく知られる美しいカフェ、札幌の「森彦」のオーナー・市川草介さんは、ご自宅でコーヒーの焙煎をしていますが、本業はグラフィックデザイナー。
その市川さんに「焙煎を始める決心をさせてくれたお店」として教えていただいたのは、札幌の繁華街から離れた、月寒(つきさむ)という風情ある名前の町にある「トミー館」という小さな自家焙煎珈琲店でした。トミーとはもちろん、珈琲店とジャズの切っても切り離せない関係により、ジャズピアニストのトミー・フラナガンのこと。
気難しいご主人を想像していましたが、カウンターごしにお話ししてみると語り口はあくまでも柔らか。それでいて、思わずはっとして居ずまいを正すような言葉がこぼれてくるのです。休日には山登りと写真と旅行、とご主人は語ります。
「ときどき、自分を旅に連れていきます。それはコーヒーを淹れ続けるうえで必要なことなのです。旅先で初めて出会うコーヒーがありますね。もしそのコーヒーのおいしさに感動したら、その新しい味に負けないようますます努力しなくてはと思いますし、まずいコーヒーに出会えたら、早く帰って自分で納得のいくコーヒーを淹れたいと思えますから」
ご主人に珈琲店を始めたきっかけを尋ねると、もともとはグラフィックデザイナーを目指して絵の専門学校に進んだ、とおっしゃるではありませんか。いったい、絵画を描くことと自家焙煎珈琲にはどういう関係があるのでしょうか?
「たしかに、絵を描くこととコーヒーの焙煎には通じるものがあるかもしれませんね」
と、森彦のオーナー市川さん。
「どちらも<創作>ですし、同じものを量産できないから」
絵を描くことを断念したかわりに写真を撮っているトミー館の中島さんは、
「何をどう切り取って表現するか。それが写真とコーヒーの焙煎との共通点かな」
と話してくれました。
「花を撮りたいのか、山を撮りたいのかで、告}を変えますね。それはその瞬間、瞬間で決めていかないと、人にきちんと伝わるものができない」
さて、その中島さんのもとには、彼の淹れるコーヒーを飲むためだけに、東京からはるばる日帰りで飛行機に乗ってやってくる常連さんがいます。その人が何の仕事をしているのか聞いてみました。
「ええと、現在は何をしていたかな。以前は画家でした」
…ここでもまた、画家が!