
2005年08月26日(金曜日)
カフェに現れる幽霊たち
東京カフェマニア主宰 川口葉子
「この建物には幽霊が住んでいるらしい」
ショップの店長をつとめる友人が、さらりと教えてくれました。
彼女のショップがあるのは建築後数十年を経た洋館の二階。緑の揺れる中庭を囲む部屋のそれぞれが、カフェやアートスペースに改装されています。スタッフの大半は欧米人で、洋館にはさまざまな国籍の人々が出入りしているのですが、ついでに幽霊まで出没しているのでしょうか?
「カフェのスタッフたちがよく言ってるの。誰もいない階段を駆け下りる音がしたり、物陰に薄気味悪い気配を感じたり、夜中に突然音楽が鳴ったりするのはしょっちゅうだって」
そう聞くと、古びた建物がにわかにホーンテッドマンションじみてきました。目撃した人々によれば、幽霊たちはとりたてて人間に害を及ぼすことはなく、時おり騒々しい音をまき散らして冥界のパーティーを愉しむだけのようです。
でもね、と彼女は言葉を続けました。
「渋谷でバーをしている男の子が教えてくれた話だけれど、飲食店には幽霊がいたほうがいいんだって。毎晩のように幽霊が出るお店があって、お客さまに『今日も幽霊がそこの椅子に座っている』と苦情を言われるくらいなのでお祓いをしたら、幽霊はきれいに消えたのに、どういうわけか客足もぱったり途絶えてしまったそうよ」
人の集まるところには霊も集まると言われますが、逆に、霊の不思議な気配が人を呼び寄せることもあるのでしょうか? そういえば、今はもう存在しない古いマンションの一室を使ったカフェにも、静かな幽霊が住んでいました。
その話を聞いたのは、カフェが看板を永遠に下ろして季節がひとつ移ってからのこと。カフェの店長をしていた女性といっしょにお茶を飲んでいたときに何気なく、普通の人には見えないものが見える人の話題になりました。彼女は、あまり言いたがりませんでしたが「いやでも見えてしまう人」だったのです。
「うちのカフェにいた幽霊は、内気そうな女の子でした。よく戸棚のあたりに顔がふわふわ浮かんでいましたよ。撫﨟H 淡々としていて、ときどきは少し嬉しそうでした」
はにかみ屋の幽霊が、いったい何をしにカフェに現れたのでしょうか? 幽霊は幽霊なりに、ひっそりとくつろぎたかったのかもしれません。そういえば、あのカフェでワインを注文するとなんだか減るのが早いような気がしたのですが、あれは……。

2005年08月19日(金曜日)
いちかばちかの選びかた
東京カフェマニア主宰 川口葉子
裏通りで小さな洋書店を営んでいる友人がいます。
お店の趣味的なたたずまいは、アメリカの大学都市のはずれにあるのんびりした書店のよう。本好きの人間だけがぽつりぽつりと訪れて、お目当ての一冊に出会ったり出会えなかったりを繰り返し、その静かな喜びとがっかりの名残りが見えない地層となって床に折り重なっているような。
そんな空気が好ましくて、たまに他の友人たちと誘い合わせて、お店に遊びに行くことがあります。洋書店に「遊びに行く」というのもおかしな言い方ですが、なにしろ店主は私たちを招き入れると、エアコンがちゃんと効くようにお店のドアを閉めてしまうのです。どうせこの時間にはお客さまは誰も来やしないから、なんて言いながら。
ある日、ピエール・エルメの色とりどりのマカロンを手みやげに遊びに行ったときのこと。店内のカナリア色の椅子や小さな灰色のソファにそれぞれおさまった私たちは、洋書の背侮・ュめながら無駄話に興じました。そのとき友人の一人が聞かせてくれた、とびきり裕福で優雅な女性の<重大な選択>にまつわるエピソードが妙に心に残ったのです。
子ども時代をスイスやフランスの名門学校で送ったその女性は、日頃交流のある人々もハイャTエティの人ばかり。クラスメイトに某国の王女さまがいたりするのです。大学卒業後はビジネスの舞台で活躍している彼女。仕事上で一か八かを決断しなければならないのにどうしても決められないという難題にぶつかるたびに、<目を閉じる>という方法で決めてきたのだそうです。
街に出て行って目をつぶり、目を開いた瞬間に、真っ先に視界に入った人間が男性だったらA案に決め、女性だったらB案に決めます。3年後の今日の天気は晴れか雨かを判断するような、神のみぞ知る問いだから、そんな選択方法しかなかったのでしょう。
あるとき、彼女が決断に迫られてこの方法を試すと、目を開けた彼女の前にいたのはャtィア・ローレンでした。そして数年後、再び彼女が判断に困ってこの方法に頼ったとき、視界に飛び込んできたのはまだ存命中だったマザー・テレサ!
彼女の人生のスケールの大きさがわかりますね。彼女自身は「現世的な判断に、神聖なマザー・テレサを使ってしまった」と罪悪感にかられたそうですが、もしかしたらそのときマザーテレサのおかげで選ぶことになったB案というのは、誰かに大きな心の平安を提供する道だったかもしれませんよね。
エピソードを聞いた翌日に、私もおもしろがってこの方法を試してみました。といってもビジネス上の重要な選択などというものは無縁ですから、来年あの国に旅行に行こうかやめようか、という気楽な選択でしたが。
自宅マンションを出て最初の交差点に立ち、目を閉じました。質問を心の中でつぶやき、「男性だったらイエス、女性だったらノー」と決めて目を開けると……横断歩道を渡ってきたのは、なんとマンションの管理人のおじさんでした。管理人室にいてくださるはずが、なぜこんなところに? おじさんは私に気がつくやいなや声をかけてきました。
「ああ川口さん! このあたりに切手売ってるところありましたっけ?」
私の人生のスケールは、どうやら切手ほどの大きさのようです。

2005年08月12日(金曜日)
生まれたようなカフェ
東京カフェマニア主宰 川口葉子
陶芸の町・益子への3日間の旅のなかで、印象的な言葉に出会いました。
素朴で力強い益子焼を代浮キる陶芸家といえば、濱田庄司。益子の町のいたるところで、彼の作品や、彼の薫陶を受けて作られたものに遭遇します。
移築保存されている旧濱田庄司邸は、江戸時代後期に建てられた民家です。どっしりと量感のある家の中に入るなり、人の住まなくなった古い木造家屋特有の匂いと、ひんやりした空気に包まれました。ぶあつい茅葺屋根が日射しをさえぎるせいでしょうか。太い梁が組まれた天井裏あたりに、なにやら美しいもののけでも潜んでいそうな気配が漂います。
よく知られているように、濱田庄司が柳宗悦とともに進めた民藝運動の精神は「用の美」。日常づかいの器の中に、用いてこその美しさを追究しました。その彼の文章の中に、こんな一節があったのです。
…(前略)…
夏の朝の畑に立ってみて、
胡瓜、茄子、かぼちゃ、
みんななったままの自然で鮮やかで、
私の焦点に関係なく、立派なのには参った。
焼き物でも作ったというより
生まれたというような品がほしい。
~濱田庄司 1969年~
朝露に濡れて光る茄子の見事さ。それに通じるものを生み出すことが彼の理想だったようです。
現在の益子には、アーティストたちの活動拠点となっているカフェが幾つかあります。それらのカフェの魅力的なこと! 空間の美しさはもちろんのこと、地元で育った無農薬の素材を用いて、丁寧に手作りされる食べものの健やかさ。生きた命をいただくという視点。ロウソクをともして過ごす夜。
そんな姿勢は、自然の豊かな場所だからこそ実践できるものなのかもしれません。濱田庄司の言葉を借りるなら、作ったようなカフェではなく、益子の土から生まれたようなカフェたちでした。

2005年08月05日(金曜日)
水の匂いのする一日
東京カフェマニア主宰 川口葉子
たまらなく蒸し暑い日、街なかでふと、水の匂いを感じることがありませんか。いったいどこから漂ってくるのか、ゆらゆらと首筋にまとわりつくような、ぬるい水の匂い。
通りを歩きながら、匂いの源を想像してみます。重なり合うビルの向こうに川でも流れているのでしょうか。あるいは足もとの地面を暗渠が通っていて、地下の川が熱をおびているのでしょうか。
東京の最高気温が35℃を記録した日、真昼に外を20分ばかり歩いたら汗がしたたり落ちました。まるで世界がぬるま湯の中に浸っていて、その中を半分泳ぎながら歩いているようです。街角を曲がるごとにゆらりと、水の匂い。
奥沢にある中国茶館で友人たちと点心の昼食をいただいたあと、そのまま何煎もゆっくり中国茶を楽しみ、夕方になってから別れたのですが、大気にはまだ熱の名残りがありました。
自由ヶ丘駅前へ戻る途中で、にぎやかな提灯の列が目に飛び込んできました。ちょうど盆踊りの晩だったのです。浴衣の襟を控えめに抜き、きりりと帯をしめた踊り手さんたちは、若い女性も年配の女性も清潔感を漂わせて涼しげ。
ここ数年、盆踊りに行っていなかった私は、小物の進化に目をみはりました。帯の背中にさしたうちわが、赤や緑に光っているのです! 20人ばかり、揃いの浴衣に揃いのうちわをさした女性たちが東京音頭を踊り始めると、背中のうちわが暗がりのなか、深海を漂う美しい発光クラゲの群れのようにも見えました。
ああ、今日の水の匂いは、この夢のようなクラゲたちにもつながっていたのかしら。そんなことを思い、一人で屋台のビールを飲みながら、淡く光るクラゲたちの回遊を眺めました。

2005年07月29日(金曜日)
フィリップ・スタルクのビール
東京カフェマニア主宰 川口葉子
最高気温が30℃を越えるようになったこの季節、お風呂上がりに冷蔵庫を開けて飛びつくビールときたら格別ですね。この一杯の感動をより高めるために、帰宅後はわざと水分を我慢していたりして。
ぴしりと冷えた苦い液体ときめ細かな泡が、一気に喉を通過する瞬間。
オトナになってよかった! 再び夏がめぐり来てよかった! ときどきうんざりすることもあるけれど生きているって素晴らしい! 強烈な喜びが全身をつらぬきます。人生をわざわざ複雑でややこしく考える癖のある人は(私も調子が悪いとそうなりますが)、冷たいビールのシンプルな感動に身をゆだねてみるのもいいかもしれませんね。ポイントは本人の、ばかばかしいことにも感動できる力なのですけれど。
品川のDEAN&DELKAで面白いビールをみつけ、ボスウォーターといっしょに購入しました。涼しげなガラスのボトルに淡い銀色のフタ。このフタがまるでビールのジョッキに注がれた泡のように見えるのです。フランスの大手、クローネンブルグ社のビール「1664」。会社創業の1664年に由来するプレミアムビールです。
「1664」のボトルデザイン担当はフィリップ・スタルク。鮮度を保つためにちょっと珍しいキャップ式を採用しています。泡のように見えるキャップをくるりと回すと、内部の金属のフタが自然にねじ切られます。スタルクといえば金色の雲を象ったアサヒビールの本社ビルのデザインでもよく知られていますね。不思議とビールにご縁のあるデザイナーのようです。

2005年07月22日(金曜日)
器の眼
東京カフェマニア主宰 川口葉子
どこか特別な印象のあるカフェは、くつろげる、おいしいといったありきたりの感想のほかに、少しばかり変わった感想を抱かせるものです。
三軒茶屋にオープンしたばかりのカフェで、窓際の小さなカウンターに座ったときにそんなことを考えました。昼間はクラシック、夜はジャズの流れる美しいカフェです。この空間のために造られた赤褐色のアメリカンウォールナットの長テーブルに、イギリスの修道院で使われていたという古い椅子がしっくりなじんでいました。
きんとき豆のたっぷり入ったキッシュと、ポットでサーブされる深煎り珈琲。窓の外には強い日射しが照りはえ、白いカップの楓ハに並木の緑が映りこみそうなほど。スプーンがカフェのペンダントライトを反射して、カップに小さな光を与えていました。その様子が、「うつわに眼がある」と思わせたのです。学生時代に読んだ詩が頭をかすめました。
この器物の白き瞳にうつる
窓ぎはのみどりはつめたし。
白いうつわの眼に映りこんでいる夏の緑、屋内のほのかな光。朔太郎がこのカフェの窓際でコーヒーを飲んだら、上の詩はもう少し違ったものになったかもしれません。
メニューの中に「白樺樹液珈琲」という珍しい一行をみつけました。白樺の樹液を熱して、挽きたてのコーヒー粉の上に注ぎ、コーヒーを抽出するのだそうです。季節が変わる頃に再び「うつわに眼があるカフェ」を訪れるときは、白樺樹液珈琲を注文しようと思っています。ひと夏のあいだに、コーヒーカップはたくさんの光景を眼にすることでしょう。良い夏を、と白いカップに心の中で呼びかけました。

2005年07月15日(金曜日)
朝顔、だるまさんがころんだ
東京カフェマニア主宰 川口葉子
なぜ小学生が朝顔の観察日記をつけるのか、この夏、30年ぶりに朝顔の世話をするようになってようやくわかった気がします。
先週、浴衣を着て濃い小豆色の帯をしめ、朝顔市に出かけました。鶯谷から入谷にかけての大通りには見渡すかぎり朝顔の鉢植えと屋台が並び、鬼子母神の境内も朝顔で埋め尽くされています。友人との待ち合わせ場所に向かって、もの珍しくあれこれ眺めながらそぞろ歩く私の前に、ひと鉢がさし出されました。
「どう、お姉さんの帯と同じ色だよ!」
紺地の半被にねじり鉢巻のおじさんが、大輪の朝顔の花を私の帯にあてて言います。なかなか粋な言葉ですよね。感心しましたが、友人に会う前に買うのはやめておこうと、笑って通りすぎました。
空が暗くなるにつれ人出はますます増えて、たいへんなにぎわい。結局その夜、友人の腕にはふた鉢、私の腕にはひと鉢の四色咲き朝顔が下がることになりました。
翌朝から、朝顔はベランダで毎日とめどなく花を咲かせてくれています。白、濃い紫、薄紫、赤紫、淡い青。そして、曇りの日が続くせいなのでしょう、つるの伸びるのがおそろしく早いこと! すぐに支柱を追い越してしまったのです。
夕方、キッチンからさいばしを借用し、間に合わせのつもりで朝顔の支柱につぎたしてみました。するとどうでしょう、一晩のうちにつるはさいばしに3周も巻きついているではありませんか。夜のあいだの朝顔の激しい動きを考えると驚くばかり。ひと晩中、観察してみたくなります。
なるほどこれなら子どもでも、喜んで観察日記をつけるでしょうね。丈夫で育てやすいうえに、毎朝見るたびに前の日とは違う姿をしているのですから。それはまるで「だるまさんがころんだ」の遊びのよう。目を閉じ署狽ヲてからふり向くと、ちょっと変身しています。
今朝、つるはとうとう臨時のさいばしも追い越し、空に向かってまだ伸びる勢い。あわてて支柱を買い、朝顔の育て方事典を読み、肥料の与え方などを学ぶ一方で、私はもしかしたら朝顔ではなくジャックと豆の木の苗を買ってしまったのではないかと思ったりもしています。

2005年07月08日(金曜日)
読書時間の友だち
東京カフェマニア主宰 川口葉子
電車の中で本を読んでいるあいだ、無意識のうちに右手で触れているのが栞。ページをめくるときにうっかり落としたりしないよう、常になんとなく気にしています。
最近気に入っているのがFarmer's Cafeの2階、Farmer's Tableでみつけたラクダの栞。桜の樹で作られた薄い木片ですが、しっかりした手ごたえがあり、すべすべの木肌が指先に心地よいのです。鼻を近づけると、木のいい匂いがします。
小さなラクダの姿もまた、本を読む時間にふさわしく思えます。読書中の人間は紙の上にひろがる未知の世界を旅しているようなもの。でも、現実の旅がどれほど進化して便利になろうと、本を旅する人間は千年前、二千年前とまったく変わらず、自分で一歩一歩、読み進むしかありません。そんな読書旅行のお供に、ラクダはいかにも似つかわしいですよね。ときどきこのラクダに「今の展開、どう思う?」と物語の感想を求めたくなります。
はっとする言葉に出会うと、ページの上のすみを小さく折るクセがあります。心を刺激する言葉が多ければ多いほど、本の上側だけ膨れあがってしまいます。その結果、良い本ほど友人に貸すのが恥ずかしくなるのです。見た目も不格好だし、どこで心が動いたか、友人にばれてしまいますからね。
そんな話をしたら、ある人がブックダーツをプレゼントしてくれました。これはなかなか便利です。ページを折るのがためらわれる大事な美しい本も、ブックダーツなら心おきなくクリップできるし、見た目もスマート。
おまけに、このペン先を垂直にして重要な行に向けて挟んでおけば、自分がそのページのどこに惹かれたのか、あとで一目瞭然です。昔読んだ本をもう一度読み返したときに、このページが折ってあるけれど、かつてはいったい何に感動したのかしら?とわからなくなることがある私には、うってつけのようです。

2005年07月01日(金曜日)
中目黒のタマゴ
東京カフェマニア主宰 川口葉子
6月30日、オーガニックカフェが最後の日を迎えました。オープンして7年の間、常に中目黒にエネルギーを与え続けたカフェですが、町の再開発にともない姿を消すことになったのです。
最終日はいつも通りに営業し、フード類がなくなりしだい終了と聞き、もっともお客さまが少なそうな午後3時にお店を訪れました。おそらく夕方以降に人が増え、深夜には別れを惜しむ大勢の人々の熱気で一杯になることでしょう。私は私なりに、すみのほうからそっと、この小さくて偉大なカフェにありがとうと言いたかったのです。
カフェの前にはいつものようにチャッピー人形と椅子。店内は満席で、外の椅子に腰掛けて待っている人が一人。ふだんなら待つのが苦手な私も、この日ばかりは喜んで座って待ちました。なにしろ、もう二度と座ることのない椅子ですから。
店内に案内され、グラスのスパークリングワインを飲んで待つことしばし、注文したトリプルデッカーが運ばれてきました。相変わらず衝撃的なボリュームで、3枚のパンに、これでもかとばかりにタマゴ、野菜、トマト、ターキー、ベーコンが盛り上げられています。
小さな店内を見渡せば、本物のイームズが無造作に置かれているのも、キッチンの威勢のよい炎のおかげで客席にまで煙が漂い、視界がうっすら白く見えるのも以前のままです。このお店はオープン以来、ほとんど変わらなかったのです。異常なめまぐるしさで変化する東京にあって、そのことが驚きでした。変わる必要がなかったのでしょう。
いちばん驚いたのは、7年前のオープン当初、店内に満ちていた「ここから何か楽しいことが始まりそう」という新鮮な期待感が、閉店の日を迎えてもなお、輝きを失っていないように見えたこと。終わるのに、何かが始まるように感じさせるこの空気はなんなのでしょう?
居酒屋しかなかった中目黒の町を現在のように変化させた原動力のひとつは、間違いなくこのカフェでした。私にとってオーガニックカフェは、エネルギーと可能性のつまった永遠のタマゴ。タマゴは毎日増え続けて、この場所を愛する人々が1個ずつ、それぞれのポケットに入れて持ち帰ってもなお、たっぷりあったのかもしれません。

2005年06月24日(金曜日)
花束の物語、エピローグ
東京カフェマニア主宰 川口葉子
La Douceさんに託した恩師への花束。結局、花束は誰の元に届けられたのですかと、いろいろな方からメールをいただきました。長い長い花束の物語には、最良の結末が待っていたんですよ。
La DouceのSさんは根気よくN先生の住所を訪ねてくださって、ある日、ついにN先生にお目にかかることができたのです。これまで何度電話しても、訪問しても不在だったのは、N先生(ご主人のほう)が耳が不自由になって電話を苦手としていたこと、引越しの準備のため留守がちだったことが理由でした。
こんなにまでして花束を届けていただけるなんて。私はすっかり感激してしまいました。個人のお花屋さんだからこそ、こまやかで柔軟な対応が可狽セったのでしょう。
「本日、N先生にお届けした花束の写真です」とSさんからメールをいただきました。それがこの写真。メールにはこんな言葉が添えられていました。
「先日N様宅をお伺いした時の印象が
お二人でひっそりと暮らしていらっしゃる感じでしたので
花は優しく品の良い雰囲気でも
なるべく明るい色が良いかと思い
こういった花合わせにしてみました」
何種類かの美しいダリア、花びらのふちの色が繊細な薔薇、フサスグリ、ブルーベリー。心をこめてたばねられた花々が、引退されたN先生ご夫婦の心を明るく平和にしてくれますように。
翌晩、うちの電話が鳴りました。受話器を取ると、20年ぶりに聞くN先生(奥様のほう)のお声が上品なトーンで響きました。
「葉子さん、長い時間がたつのに、気にかけてくださってありがとうね。お元気でいらっしゃる?」
N先生は今や80歳を超えていました。外出するときは車椅子があるものの、室内では使えず、座ったきりで過ごしていらっしゃるとのこと。それでも、電話の声は25年前と少しも変わりません。私は一気にレッスンを受けていた当時の私に戻り、かしこまって「先生…」と何度も呼びかけては胸がいっぱいになり、言葉につまっていました。