
2005年06月17日(金曜日)
長い長い花束の物語
東京カフェマニア主宰 川口葉子
6歳の頃から10年ばかり、ピアノを習っていました。最初の数年間は楽しいお稽古ごとにすぎませんでしたが、後半は音大への進学が視野に入ってきたため、それは苦しい試練に変わりました。
毎年夏の全国音楽コンクール。難易度が高くなっていく課題曲。舞台そでで自分の番を待っているあいだは、暑いのか寒いのかわからなくなるほど張りつめています。まぶしい照明を受けて光るピアノの前に歩いていき、鍵盤に手を置いたら頭の中がまっしろでひとつの音も降りてこない…という悪夢を、今でもたまに見るのです。
結局は、ピアノのミューズは私には微笑んでいないと思い知り、その道に進むことはせずにこうして毎日ぼんやりしているわけですが、その10年あいだの毎日の努力は、根っから怠けものの私の人生の中で輝く宝物になりました。
ピアノのN先生はご夫婦二人で教えていらして、もとは東京で生活していたのが、当時、事情により茨城に移っていました。その町で教え子となった私は、N先生にとてもかわいがっていただいたようです。「ようです」というのは、先生はお二人とも大変に厳しくて、毎週のレッスンの出来が悪いと容赦なく叱責されたからです。
私がピアノをやめた数年後、いとこが同じN先生のレッスンを受けましたが、先生もお年を召して、教え方がずいぶん優しくなったと聞きました。
つい先日、茨城の母から電話がありました。N先生が私の実家に電話をかけてきたというのです。母が聞いた話によれば、ご高齢になられたN先生はピアノを教えるのをやめ、東京に戻って二人暮らし。ご主人は耳が不自由になり、奥様は車椅子で生活していらっしゃるそうです。
「葉子さんを教えていた頃がいちばん楽しかった」
N先生は本当に懐かしそうにそうおっしゃっていたわよ、と母。
花束をお送りしよう、と思いたちました。といってもN先生の現住所がわからないので、母を通していとこから東京の住所と電話番号を教えてもらい、インターネットで知ったLa Douceというお花屋さんに依頼しました。
ところが、花束を先生のお手元に届けていただくにはちょっとばかり長い紆余曲折があり、今もってなお、花束が実際に届くかどうかわからないというありさま。最初の難関は、La Douceを営むSさんという女性からメールで知らされました。
配達のお日にちのご確認のため、N様のお宅へお電話しているのですが、
常にご不在なのか、まったく電話にお出になりません。
今日、N様のお宅の近くで仕事がありましたので
ついでというのもいけませんが、
直接N様にお会いして、お届けのお日にちをお約束させていただく
つもりでお宅へお伺いしてみたところ
お知らせいただいているご住所にはN様がお住まいではありませんでした。

そこには住んでいない?! 教わった住所が不正確なのか、引越しなさったのか。母を通して再びいとこに問い合わせてもらうと、母が書きとめた「104号室」ではなく、「102号室」であることが発覚しました。La DouceのSさんにそのむねメールを出すと、すぐに返信がありました。
早速お調べいただいてありがとうございます。
102号室だったのですね。
郵便受けにてN様のお名前を探してみたのですが
お名前を記していないお宅が多く、
見つけることが出来なかったのです。残念!
やれやれ、これで解決? でも、いつ電話しても出ないというのが気になります。おまけにいとこは、こんな気がかりなことも言っていたそうです。「そういえば、最後にN先生に手紙を出したとき、引っ越す予定ェあるという返信があった」と。
その後の難関はこんなふうに続きました。
(1) いとこから聞いたN先生の電話番号にかけてみたけれど、やっぱり応答がありません。
↓
(2) NTTの番号案内に尋ねてみたら、N・Tという名前では届け出がないと言われました。
↓
(3) でも、同じマンションに、別のNさんが住んでいるとも言われました。
↓
(4) 別のNさんに電話をしてみたものの、やっぱり人違い。
↓
(5) そのNさんが「うちのマンションの1階に、N・Tさんという夫婦が住んでいる。奥様が車椅子のご夫婦である」といい、住民名簿で電話番号を調べてくれました。
↓
(6) しかし、マンションの名簿上では、N・Tさんの電話の欄は空白になっていました。先生は固定電話をお持ちではないのかしら?
↓
(7) お花屋のSさんから、私がすでに支払ってあった花束代を「返却することも可狽ネので、ご遠慮なくお申し付けください」と優しいメールをいただきました。
↓
(8) こんな電報を打ってみました。
N先生、お元気でお過ごしですか? この時期はいつも発負・ェ開かれましたね。懐かしく思い出されます。川口葉子(旧姓○○、携帯電話:***-***)
↓
(9) 数日待ってみたけれど、特に連絡がこないので、見切り発車で花束を届けてもらうようSさんにお願いしました。
↓
(10) Sさんから、手厚いお届け体勢の詳細と、「何が何でも届けてみせる」という頼もしい返信をいただいて感激。N先生がお留守の場合はマンションの前で2~3時間、待機してくださって、それでもお目にかかれなかった場合は翌日も再配達してくださるというのです。「万が一、それでも届けられなかった場合はどういたしましょうか?」
↓
(11) こんな返信を出しました。
どうしてもお花が先生に届けられなかった場合は、
Sさんのお好きなかたに「天使からのプレゼント」として
さしあげていただけますでしょうか?
Sさんのお友達やご家族にプレゼントしてくださってもよし、
行きつけのお店にさしあげて飾っていただいてもよし、
せっかくの美しいお花、どなたかに楽しんでいただけたら幸いです。
なにしろ、そこまでして配達していただけるのですから、
たとえN先生にお届けできなくても「八方手をつくして、気がすんだ」
と思えるのです。
多大なご迷惑をおかけしてしまいますが、どうぞよろしくお願いします。
この物語の結末を楽しみにお待ちしています。
もちろんSさんはたくさんの注文を抱えていらっしゃるので、現在、「マンションの前で2~3時間待機」のできる日にちを検討してくださっているところ。最終的に花束がいったい誰の手元に届けられるのか、まだ、まったくわからないのでした。

2005年06月10日(金曜日)
どんなありふれた人が(ファイヤーキングに寄せて)
東京カフェマニア主宰 川口葉子
いつのまにか手元に集まっていたファイヤーキングの食器たち。
コレクターの間ではカラフルでデザイン性の高いマグも人気を呼んでいるようですが、特にコレクションしているわけではない私は、気がつけば、柔らかな翡翠色の「ジェダイ」と呼ばれるシリーズと、とろけるような水色の「ターコイズブルー」シリーズばかりを買いもとめていました。
私にとってファイアーキングの一番の魅力は、ミルクガラスのとろりとした色合いと、のびのびと楽天的なたたずまい。手にとって仔細に眺めると、古き良き時代のアメリカの陽気さとテキトウさに、ちょっとびっくりしてしまうのです。
なにしろ1940年代に作られたカップ&メ[サー「ジェーン・レイ」のメ[サーときたら、微妙に歪んでいて完全な円ではないし(ガラスの流し込みがうまくいかなかったんですね)、中央にカップが置けるお皿「5コンパートメント」の裏面には、練りムラと呼ばれる生地の流れの跡があるのです。なんてテキトウな。
おそらくこれが当時のアメリカの大量生産技術の限界だったのでしょう。それでいて、乳白色をベースにした色調の甘く美しいこと。日本で生産される食器の完璧で正確なラインを見慣れた目には、この楽天的でのほほんとしたたたずまいが、なんとも新鮮に映ってしまうのです。
よく知られているように、ファイヤーキングは1940年代から70年代にかけてアンカーホッキング社が製造していた耐熱性のガラス食器です。その使いやすさと丈夫さ、色と柄のバリエーションの豊富さが愛されて、アメリカの生活文化にひろく浸透していました。
かつてどんな人がこのカップでコーヒーを飲んだのでしょう。当時のテーブルの光景を想像しながら同じカップで飲むのは楽しいものです。テーブルの主人公が平凡な人であればあるほどいい。そう思います。
私が生まれる前の、アメリカの平凡な田舎町の朝。ありふれた人が、ありふれた悩みで頭をいっぱいにして、でも家族にはとりあえず笑顔でハローなんて言いながら薄いコーヒーをすする。それからふと、今日の目玉焼きがなかなかいい具合に半熟になっていることに気がついて、ほんのわずか嬉しくなる。
…そんなとるにたらない記憶が、カップにうっすら残っているといいなと思います。
たぶんファイヤーキングは、どこにでもいるそんな人々のための食器だったのだし、その人々がカップの持ち手に指をかけながら抱いていた小さな、でも切実な悲しみや喜びを、時をへだてた私もまた同じように抱いていると感じるのです。

2005年06月03日(金曜日)
甘太郎・Q太郎
東京カフェマニア主宰 川口葉子
夕方が近づくと小さなポットにコーヒーを入れ、すぐ近くの公園に猫を見に出かけます。
公園在住の猫は4匹いて、そのうち2匹はびっくりするほど人なつこいのです。ベンチに座って文庫本を開き、コーヒーを飲んでいると、「ねえねえ」と言いながらやって来て足元に身を寄せます。かと思えば、日によってはまるでつれないそぶりなのが、いかにも猫らしい。
いちばん甘ったれなのは写真の甘太郎(あまたろう)。「ねえねえ、遊んでよーう」とせがむ小さな鳴き声があまりにも可憐なものだから、聞いた者の心は熱湯をかけられたアイスクリームのようにだらしなくとろけ、「本日は、猫としての自尊心はお休みですか?」などと訊ねてみるものの、結局はいつも甘太郎さまのお相手をつとめることになります。
もう1匹、人間をアイスクリームにしてしまう猫がいます。全身つややかな黒で、口のまわりだけ白いその猫を、Q太郎と名づけました。
出会いの印象は鮮烈でした。本とポットを持って公園に入るなり、黒猫がすばやく近寄ってきました。黒猫の鼻先に人差し指をさしだしてみたら、小さなあたたかい舌で私の指先をなめ、それから、いきなり軽い片手パンチを浴びせてくるではありませんか。不思議なことにそのとき、彼の性格、彼の魂のようなものが胸にきゅっと伝わってきたのです。その性格の面白さときたら! とびきりキュートなのでQ太郎です。
深夜に帰宅する途中、Q太郎が公園からふらりと出てくるところに遭遇したことがあります。暗がりにかがみこんでQ太郎の背中をなでると、Q太郎は私の足首に身体をこすりつけながらまわりを2周し、そっと私の足の甲をなめました。また明日遊ぼうね。そう約束して公園を出たのですが…。
翌日の夕方、公園は満席でした。南側のベンチは甘太郎、Q太郎たち猫4匹が占領。北側のベンチではスーツ姿の青年が缶入り烏龍茶で休憩中。2つのブランコには子どもたち。さて、どうしようかな。
青年がアタッシュケースを持って立ち上がりました。公園を出ていくようです。ああよかった、それでは。青年と入れ替わりにベンチに腰をおろし、向かい側のベンチで昼寝している甘太郎たちを呼ぼうとしたそのとき、今度は短パン姿のおじさんが現れました。片手に缶ビール、もう一方の手にはタバコを持ち、ほろ酔い気分のようです。
「おうっ」
園内が満席なのを見てとった短パンおじさんは、唸り声のようなものを発しました。それからなんと、猫たちでいっぱいのベンチに割り込み、どっかりと腰をおろしました。甘太郎など、おじさんの背中とベンチの背もたれに挟まれてクッションのよう。おじさんもおじさんなら、ぜんぜん動揺する気配のない猫たちも猫たちです。
ほどなく、甘太郎はベンチから飛び降りて植え込みの向こうに姿を消しましたが、次に聞こえてきたおじさんの声は私に衝撃を与えました。
「おうっ、なめるなよ」
Q太郎、ベンチの下でなにしてるのよ~! 愛しの黒猫はいつのまにか短パンおじさんの両足の間にねころび、おじさんのふくらはぎを嬉しそうになめていたのでした。

2005年05月27日(金曜日)
このすボらしき世界
東京カフェマニア主宰 川口葉子
今でもよくおぼえています。子どもの頃、学校から帰ってきて玄関をかけあがると、整理整頓好きの母が叫びました。
「ぬぎものをちゃんとそろえて!」
脱いだ履物を早く揃えなさい、この子はいつもちらかしっぱなしなんだから~もう!という怒りが、言いまちがいを生んでしまったのですね。
新入社員時代に、朝一番にお客さまにお詫びの電話をかけなければならなかったことがありました。お客さまが電話に出るやいなや、私の口から飛び出したご挨拶は
「おはようございますが!」
「おはようございます、○○社の××と申しますが」と言うつもりが、次に話すべき内容で頭がいっぱいになっていて、超省略形になってしまったのです。穴がなくても入りたいくらい恥ずかしかったのですが、同僚のまちがいはもっとスケールが大きく、電話でお客さまに「失礼いたしません!」ときっぱり言い放っていました。「申し訳ございません」と「失礼いたしました」がごちゃまぜになったようです。
同じ人がやってしまった書きまちがいには、「申し訳ございません」のつもりで「申し分ございません」という名作があり、しばらくのあいだ彼女は「決してあやまらない女」「お詫びを絶賛に変える女」としてヒロインになりました。
おいしいカフェで働く女性スタッフは、手書きのメニューに「豚痛ロース」と書きかけ、オーナーに「痛いのはおまえだ」と笑われていました。もちろん彼女は「豚肩ロースのャeー、○○メ[ス」と書きたかったのです。
友人は「見すぼらしい我が家」と自分で書いた文章を引用した際に、頭の一文字を抜かしてしまい、「すぼらしい我が家」と、豪邸かもしれない可能性をちらつかせました。
そんな彼女がカフェで写真展を催したときのこと。写真のテーマは、そのカフェをよく訪れる人々が自宅で愛用しているうつわ。私は10年前以上前に結婚祝いにいただいたバカラのシャンパングラスを、彼女のカメラにおさめてもらいました。日常使いしているので次々に割ってしまい、無事に残っているのはその1脚だけという、少し思い入れのあるバカラです。
写真展の当日、その写真の下に展示されたタイトルは、こう印刷されていました。
「バカのグラス」。

2005年05月20日(金曜日)
箱庭を食べる
東京カフェマニア主宰 川口葉子
「松江の人は、毎日必ず自分の<お茶の時間>を持っているんですよ」
これは松江の旅の道中、思いがけなく出会ったカフェで、オーナーが話してくれたこと。
「家にいても会社にいても、今日は何時にお茶と和菓子で一服しようと決めているんです。ごく普通の家庭に抹茶の道具があったりするのも、ほかの町とは少し違っているかもしれません」
彼の言葉を裏づけるのは、松江の人たちの一世帯あたりの和菓子の購入量が日本一だという事実。お茶の消費量も全国平均の5倍にものぼるとか!
古くからの商店街を散歩すれば、そこにもここにも老舗の和菓子屋さん。ショーケースに並ぶ美しい生菓子たちは、決してすましたよそゆきのものではなく、日常に楽しむ身近なお菓子として愛されています。
老舗の店奥に設けられた静かな喫茶スペースで、お抹茶といっしょに季節の和菓子をいただきました。思わず見とれてしまうその意匠。手のひらにのる小さなお菓子の中に、5月の風物が表現されています。
その装いは常に、本物の自然よりひとあし早く。お皿の上に、季節の先ぶれを映す箱庭がのっているような楽しさ。しかも、その箱庭は舌で味わえるのです。
緑茶の名産地でもない松江にこのようなお茶と和菓子の文化が根づいているのは、茶人として名高かった七代藩主、松平不昧公(ふまいこう)の茶の湯の影響だとか。彼の茶会で用いられた和菓子の数々は、現在でも町の和菓子屋さんで気軽にいただくことができます。
しかし、実は明治維新のあと、不昧公が愛した和菓子は一時途絶えていたのです。松江の和菓子職人たちが不昧公の残した文献を懸命に読み解き、古老たちをたずね歩いて、伝統の和菓子の復活に取り組んだのですって。お皿の上のみずみずしい箱庭には、そんな物語も息づいていました。

2005年05月13日(金曜日)
キャンドルバスタイム
東京カフェマニア主宰 川口葉子

部屋のすみずみまで明るく照らしだす照明の下で暮らしていると、暗い片隅が欲しくなりますね。お風呂に入るときには電気を消し、キャンドルの灯をともすようになりました。
バスタブのふちにキャンドルを3本並べます。火をつけたキャンドルは透けて、内側からぼうっと淡く光ります。お湯の楓ハに光が映って揺れているのを眺めていると、いつのまにか遠い宇宙に漂い出て、3つのいびつな月が出る惑星の湖上で月見をしているよう。
そんなバスタイムには、ときどき小さなびっくりが起こります。ハワイのクリスタルショップで買った薔薇色のキャンドルをともしていた晩。キャンドルが溶けて短くなっていくにつれ、ロウの中に泡らしきものが見え始めました。なにかしらといぶかっているうちに姿を現したのは小さな水晶。キャンドルの内部に、爪ほどのサイズの水晶が埋め込まれていたのです。
目の前で、火の魔法によって生まれ出た水晶。キャンドルがすっかり燃え尽きたあと、このベビー水晶を本棚の文庫本の前に飾りました。
大きなびっくりもあります。バスタブの中で足をすべらせた拍子に、1本しかともしていなかったキャンドルがお湯をかぶって消え、いきなり真っ暗になってしまったり。浴室の暗闇は意外に怖いものでした!
火をふっと吹き消すと、煤まじりの細い煙が長いこと残ってしまうので、キャンドルの芯をロウが溶けた中に倒してすっと消します。専用のキャンドル消しもありますが、芯を倒す方法がいちばん煙のキレが良いのです。
芯を倒す道具に私はピンセットを使っていますが、先日、アメリカかどこかのキャンドル製作者姉妹がこのための完璧な道具を考案したという記事を目にして興味をそそられています。

2005年05月06日(金曜日)
カフェの小さな魂
東京カフェマニア主宰 川口葉子
カフェの魅力の正体はなんでしょう。大好きなカフェはほかのカフェとどこが違うのでしょう。
そんなことを、よく考えます。ふくよかな香りをひろげるコーヒーと食事。背中になじむソファ。きびきびと気持ちのよい動作で立ち働くスタッフ。何気ないけれどセンスを感じるインテリア。読書や会話をじゃましない照明と音楽。同じ空間を共有することを楽しめるお客さまたち。
それだけ揃えば、見事に素敵なカフェです。でも、とびきり好きなカフェには、そういう要素では語りえない何かが、まだあるようです。
数年前、ほんとうに好きなカフェがありました。早春にオープンしてから夏が終わるまでの短いあいだ、その場所は私にとって天国でした。初めて、工夫(クンフー)式スタイルで中国茶を飲ませてもらったのはそのカフェ。窓辺に置かれた小さな苔玉や、観光客が訪れないハワイの聖地について書かれた本に出会ったのも、そのカフェでした。
決して完璧なカフェだったわけではありません。コーヒーの味は自家焙煎珈琲店にかなわないし、洗面所は故障して水が出なくなったままだし、時として騒々しいお客さまと隣り合わせてしまったこともありました。けれども、そこには、その場所にしかない大きな魅力がありました。それはカフェの空気全体を淡く発光させているような、不思議な何か。<カフェの魂>とでも呼ぶしかないようなもの。
でも、秋の訪れとともにカフェの印象は変わりました。かつての女性スタッフはすべて男性スタッフに取って替わられ、カフェはより本格的な志向を持つようになりました。お店の評判はいっそう高まっていったけれど、私は心の中で、なにか違う…とつぶやき続けていました。私にとって一番大切なエッセンスだったものが消えたように思えたのです。天国を天国たらしめていた、小さな美しい魂。
ずいぶんあとになってから、秋のスタッフ交替のときに、最初にカフェを立ち上げた女性がお店を去ったのだと知りました。カフェの魂は、彼女から自然に漂っていたものなのかもしれません。カフェに置かれた家具もお料理も同じなのに、小さな魂が抜けただけで、なにもかもが変わってしまうのだということを知りました。
カフェとの遭遇は恋のようなもの。片思いするだけのお店もあるし、幸運に恵まれてお店と両思いになっても、関係はたえず変化していて、とてもこわれやすい。恋など幻想にすぎなかったと思うこともあるし、人によってはそもそも恋に落ちたりしないでしょう。それでも、心から愛せる場所に一度でもめぐり合えたことを、私は幸せに思っています。

2005年04月27日(水曜日)
4月の桜、5月の新茶
東京カフェマニア主宰 川口葉子
銀座のデパート松屋の地階に、「茶の葉」という日本茶の小さなカフェがあります。
照明を落とし、天井まで届く花木の根もとに水を流した空間は、デパートのざわめきから一転、まるでにじり口から茶室に入ったような静けさ。カウンターの角から落ちるようにしつらえられた小さなせせらぎの音が、せわしなく動きまわる心を落ちつかせてくれます。
このカフェには、日本各地から次々に新茶が届けられます。
「桜前線が過ぎたあとは、日本列島を新茶前線が北上していくんですよ」
そう教えてくれたのは、ほんのり桜色の肌をした若い女性スタッフでした。4月中旬の屋久島を皮切りに6月上旬まで、新茶前線はあおあおと波うちながら日本を通過していくのです。
ふと思いついて、「中国茶にはプーアール茶のように何十年も熟成させて飲むものがありますが、日本茶はなぜそのようなことをしないのでしょう」と尋ねてみました。
「そうですね…日本の人々は、その季節の新鮮なもの、とれたてのフレッシュな味を楽しむという文化を育ててきました。たとえばお刺身など、お魚を新鮮なうちになまでいただくのもそうですし」
なるほど、初鰹などと言って季節の初物をことさら嬉しいと思うのも、私たちの生来の感覚なのかもしれません。今年は桜の花をゆっくり眺めることができなかった、と嘆く人がいるように、今年は新茶の香りをじっくり楽しめなかった、と嘆くお茶好きがいるというのも納得できます。
4月の桜花、5月の新茶。短い期間にしか触れられない植物たちに囲まれて、私たちはなんとお楽しみの多い生活をしていることでしょう。

2005年04月20日(水曜日)
ドライカプチーノの誘惑
東京カフェマニア主宰 川口葉子
カプチーノやカフェラテなど、シアトルスタイルのドリンクのおいしさで知られるマキネスティが、この春、麻布諸ヤに2号店をオープンしました。
マキネスティ1号店は、もともとカフェとして作られたわけではありません。本来はオーナーの辻さんがイタリア製の最高級エスプレッャ}シンのデモンストレーションをするために設けた事務所なのですが、通りかかる人々が興味しんしんでのぞきこんではカフェラテなどを飲みたがるため、いつの間にかカフェに変身したのです。
地域の人々のリラックス空間を目指した2号店は、犬と一緒に新緑の街の空気を楽しめるオープンテラスや、シアトルから運んだやさしい色調の木の家具、スタッフの笑顔などが気軽にくつろげる空気を作り出しています。土曜日の午後、ここでドライカプチーノやキューバ式エスプレッメuキュバーノ」など、さまざまなエスプレッャxースのドリンクを楽しみました。
ドライカプチーノは別名「食べるカプチーノ」。カップの底にほんの少量の香り高いエスプレッモェ隠れていて、あとは9割がた、ミルクの泡なのです。バリスタから差し出された白いカップには、ふちからこぼれんばかりにミルクの泡が盛られていました。
いただくときは、まずお砂糖をぱらぱらとふりかけ、スプーンでとろとろのミルクの泡と、底のエスプレッモャぜて口に運びます。この泡は通常のカプチーノの泡とはまた違う作り方で仕上げられています。まるで光をたっぷり吸いこんだ春の雲をムースにして食べているような、幸福な舌触りでした。

2005年04月13日(水曜日)
桜
東京カフェマニア主宰 川口葉子
プーアール茶には2種類のタイプがありますね。一般によく飲まれている、カビと土の匂いがするのは「熟茶」。これは緑茶に水と熱を与えて保管し、麹菌による発酵を促進したもの。いっぽう、「生茶」タイプは自然発酵。時間をかけて緑茶を自然に熟成させたものです。
桜の季節に長野へ旅したとき、高台の中腹にある一軒家のカフェで、プーアール生茶をいただきました。午前中、夏のような陽射しに花々がいっせいに咲きそろったあと、山の陰から雲がひろがってやわらかな花曇りになった午後。靴を脱いで一軒家にあがると、手前の六畳がうつわのギャラリーに、奥の六畳がカフェになっていました。

海の家みたいに素朴な「小屋」なのですよ、とオーナーが笑った美しいカフェは、キャメルの毛布の上で居眠りする茶猫のようにひっそりとやすらかな気配に包まれていました。開けた窓からあたたかい風が吹き込み、窓の向こうでは竹林が絶えずさわさわと揺れていました。器に注いだ生茶「悟空生餅」の楓ハには小さな光が反射し、音楽は水滴のように空間にしたたっていました。何もかもが、ただ一回きりのことに思えました。
旅先では、なにかに巡り会うチャンスは一度だけ。本当は日常生活も一期一会なのだけれど、それを意識することは難しいですよね。旅のあいだは、明日はもう自分はこの場所にはいないということを知っているから、一瞬一瞬が貴重なものだと自覚できます。
次にこのカフェに来られるのはいつだろうか、そんなことを考えながら飲む生茶もまた、一度きりの味でした。生茶はまだ生きて呼吸を続けていて、今後も月日とともに発酵が進んでいくもの。もしも来年、桜の季節に再びこのカフェを訪れることができて、同じ悟空生餅をいただいたとしても、それはもはや今日のすっきりした味とは別の、ひとめぐりの四季を重ねた味に変化していることでしょう。
週明けに東京に帰ってくると急に寒さが戻って、厚いコートを着た人々が雨の街角を行きかい、桜の花は早くも盛りを過ぎようとしていました。