
2005年09月23日(金曜日)
赤とんぼ
東京カフェマニア主宰 川口葉子
このところお風呂の調子が悪いので、マンションから歩いて5分のところにある銭湯に通っています。銭湯は天然の黒湯温泉で、濃いプーアール茶の中につかっているよう。サウナやジェットバス、小さいながら露天風呂も備えています。
ことさら注意深く見ていなくても、おしりのかたちが本当にいろいろであることに気がつきます。薄いおしり、厚いおしり、四角いの、でこぼこしてかぼちゃに似ているの、ぴかぴかの林檎を思わせるの。朝一番の10時に入りに行った日は、その時間帯が一番にぎやかであることを知りました。ご近所のおばあちゃんたちが午前の光の中でほんのりとふやけているのです。朝一番のほうがお湯の温度が2度ばかり高いことも発見しました。
ある午後、お風呂あがりにラウンジのソファに座り、全身がゆるんでいるのを感じながら冷たい炭酸飲料を飲んでいると、入り口に小さなおばあちゃんが現れました。彼女はおぼつかない足取りでフロントへ行き、鍵のようなものを受け取って御礼を言っています。
それからおばあちゃんはゆっくりと歩いてきて、私の横に腰をおろしました。
「うちに帰って玄関を開けようとしたら、鍵がないのよ。鈴つけてるのに、ここで落としたのに気がつかなかったなんてねえ」
彼女が見せてくれた鍵には、鈴が二つついていました。誰かが拾ってフロントに預けてくれてよかったですね、と言ったのですが、おばあちゃんは悲しげに小さな声で言いました。
「ばかになっちゃったのかしらねえ」
ふと、お年寄りは自分に自信を失うと、一気に物忘れがひどくなるという話を思い出しました。これは急いでなぐさめなくては!
「大丈夫ですよ。私もしょっちゅう鍵をどこに置いたのか忘れたり、お財布を落として探し回ったりしていますから!」
しかし、おばあちゃんは「ばかになっちゃったのかしらねえ」を繰り返すばかりです。一生懸命になぐさめながら、ふとひらめきました。しっかり者から「私も同じような失敗をする」と言われれば気も軽くなるでしょうが、いかにも忘れ物の多いうっかり者に見える私から励まされても、ちっとも説得力がないのでしょう…。
炭酸飲料を飲み終えて立ち上がった私に、おばあちゃんは小さな声で言いました。
「ありがとうね」
なんだか、どちらがなぐさめてもらったのかわかりません。外に出ると、夕空に雲が巨大な赤とんぼとなって飛んでいました。

2005年09月16日(金曜日)
葉山の<太陽の光と雲>の店で
東京カフェマニア主宰 川口葉子
晴れた日に二人で葉山に出かけました。こんもりした緑は夏のままですが、半袖の腕を吹いていく風の感触はすでに秋です。
静かな住宅街にある小さなレストランで、スパークリングワインを飲みながらアワビ茸のピザや紅イカのガーリック炒めなどでランチを楽しんだあと、太陽の光と雲、という意味(たぶん)のショップをのぞきました。さりげないシャツの、厚みのあるやわらかさがいい感じ。
そこで買ったのは1冊の本でした。大阪の丘の上にあるカフェの店主が綴った小さな本。ずいぶん前に書店でも見かけたのだけれど、好きなカフェのことが書かれた本だから、少し特別な場所で買いたいと思っていたのです。葉山の<太陽の光と雲>のショップは、その本を買うのにふさわしい場所に思えました。
レジで店員さんが本を包みながら尋ねました。
「このカフェに行ったことがありますか?」
「ええ、とても素敵なところですね」
店員さんには言えませんでしたが、なにしろ私はこのカフェに惹かれるあまり、ひとつの季節まるごと、カフェの中庭でおこなわれるウクレレ教室に通ったことがあるのです。2週間に1度、ウクレレと旅行鞄を持って、東京から大阪まで。初心者クラスは先生一人に生徒二人の実にのんびりしたものでした。
「カフェがお好きなんですね。よかったらうちのカフェにもお立ち寄りください。すぐ近くですので」
店員さんに場所を教えていただいて、その足でカフェに入りました。昭和時代の小さな一軒家。芝生の庭。なんとも気持ちのいい静けさです。ソファに座って本を読み始めると、連れも私もおもしろいようにページが進みます。
途中で思わず、あ!と小さな声を上げました。本にはウクレレ教室のことも書かれていたのです。レッスンの初日の途中で突然大雨が降り出して納屋に避難し、たらいで雨漏りを受け止めながら練習を続けた「たらい組」と。私はまさしくたらい組の生徒でした。ほかのクラスは星組、月組などと美しく命名されていたのですけれども。さらにページをめくると、「東京から新幹線で通っていた人」のことも。
別のページには「カフェマニア風の男性」も登場していましたが、たちどころに顔が浮かび、1冊の本のなかで懐かしい風景、懐かしい人々にたくさん再会することができました。

2005年09月09日(金曜日)
パンケーキの天国へ
東京カフェマニア主宰 川口葉子
新しくオープンしたパンケーキ専門カフェで、おすすめの一品をオーダーしてみました。運ばれてきたそれは、思わずと驚きと喜びの声をあげてしまったボリュームと美しさ! 私、瞳孔が思いきり開いていた気がします。
スイーツに対して、こんなにシンプルでダイレクトな嬉しさを感じたのは、子どもの頃以来だったかもしれません。有名パティシェが丹精こめた複雑で繊細なスイーツを前にしたときの感動とはまた別の、ただ、笑いがこぼれるような嬉しさです。
ナイフとフォークを手に取ると、遠足に出かける子どものようにわくわくしてきました。実際、それはパンケーキ8枚分の小高い丘にのぼるような「遠足」だったのです。
ふわふわ、もちもちのパンケーキは、オーナーがアメリカ中のパンケーキ粉を集めて試食を繰り返し、いちばん美味しかったというハワイの名店の粉を参考に、日本の気候風土に合うよう開発したもの。そういえばハワイ旅行に行くとき、お料理好きの友人におみやげは何がいいかと尋ねたら、あのお店のパンケーキミックスを買ってきてと頼まれたことがありました。
パフェの上には、親指と人さし指で作った輪くらいのサイズのパンケーキがちょこんと立てられていました。食べる人も、これと同じ顔になっています。

2005年09月02日(金曜日)
カフェのきっかけ
東京カフェマニア主宰 川口葉子
どうしてカフェを始めたのですか、とオーナーに尋ねると、意外にも、ずっと自分のお店を持つ夢をあたためていたという答えのほかに、ひょんなことがきっかけになったと答えるオーナーがたくさんいます。先週お目にかかった女性オーナーも、もとはといえば、赤ちゃんを育てるのに困りきっていたのがきっかけでした。
彼女の赤ちゃんはとても「かんのむし」が強く、常に抱いていてあげないと泣き叫んで、泣き疲れて眠ってしまうまで止まらなかったそうです。たとえおとなしい赤ちゃんでも、世話をするお母さんは睡眠不足でへとへとになるもの。彼女の場合はそれが特にひどくて、この先どうして育てていけばいいのだろうと途方に暮れてしまったとか。
でも、やがて彼女は、赤ちゃんが深夜の決まった2時間だけは、まるで死んでしまったように深く眠ることに気がつきます。その2時間をどう使うか? 自分の貴重な睡眠時間として眠って過ごすこともできます。でも、彼女は自分ひとりのための時間を持つことが、どうしても必要だと感じました。そして、赤ちゃんが生まれてからずっとできずにいたこと、つまり以前から好きだったお菓子作りを始めたのです。
材料を用意して、ケーキが焼き上がるまでの時間がちょうど2時間。毎日毎日、彼女は深夜に1つずつケーキを焼き続けました。とうてい食べ切れませんから、そのたびにご近所に配って歩きます。そんな日々が続いたある日、彼女の作ったケーキがプロの眼にとまりました。
それが、身体にやさしくおいしい料理を提供するカフェへの第一歩だったのです。何がきっかけになるかなんて、本当にわからないものですね。
ただ、ひょんなきっかけを幸運にも成功に結びつけることのできた人々には、ひとつ共通点があるような気がします。それは、そのとき自分が置かれている状況の中で、自分にできる精一杯のことを探したこと。それが自分を楽しませる内容だったこと。毎日の何気ない小さな選択の中にも、きっかけは、いくらでもちりばめられているようです。

2005年08月26日(金曜日)
カフェに現れる幽霊たち
東京カフェマニア主宰 川口葉子
「この建物には幽霊が住んでいるらしい」
ショップの店長をつとめる友人が、さらりと教えてくれました。
彼女のショップがあるのは建築後数十年を経た洋館の二階。緑の揺れる中庭を囲む部屋のそれぞれが、カフェやアートスペースに改装されています。スタッフの大半は欧米人で、洋館にはさまざまな国籍の人々が出入りしているのですが、ついでに幽霊まで出没しているのでしょうか?
「カフェのスタッフたちがよく言ってるの。誰もいない階段を駆け下りる音がしたり、物陰に薄気味悪い気配を感じたり、夜中に突然音楽が鳴ったりするのはしょっちゅうだって」
そう聞くと、古びた建物がにわかにホーンテッドマンションじみてきました。目撃した人々によれば、幽霊たちはとりたてて人間に害を及ぼすことはなく、時おり騒々しい音をまき散らして冥界のパーティーを愉しむだけのようです。
でもね、と彼女は言葉を続けました。
「渋谷でバーをしている男の子が教えてくれた話だけれど、飲食店には幽霊がいたほうがいいんだって。毎晩のように幽霊が出るお店があって、お客さまに『今日も幽霊がそこの椅子に座っている』と苦情を言われるくらいなのでお祓いをしたら、幽霊はきれいに消えたのに、どういうわけか客足もぱったり途絶えてしまったそうよ」
人の集まるところには霊も集まると言われますが、逆に、霊の不思議な気配が人を呼び寄せることもあるのでしょうか? そういえば、今はもう存在しない古いマンションの一室を使ったカフェにも、静かな幽霊が住んでいました。
その話を聞いたのは、カフェが看板を永遠に下ろして季節がひとつ移ってからのこと。カフェの店長をしていた女性といっしょにお茶を飲んでいたときに何気なく、普通の人には見えないものが見える人の話題になりました。彼女は、あまり言いたがりませんでしたが「いやでも見えてしまう人」だったのです。
「うちのカフェにいた幽霊は、内気そうな女の子でした。よく戸棚のあたりに顔がふわふわ浮かんでいましたよ。撫﨟H 淡々としていて、ときどきは少し嬉しそうでした」
はにかみ屋の幽霊が、いったい何をしにカフェに現れたのでしょうか? 幽霊は幽霊なりに、ひっそりとくつろぎたかったのかもしれません。そういえば、あのカフェでワインを注文するとなんだか減るのが早いような気がしたのですが、あれは……。

2005年08月19日(金曜日)
いちかばちかの選びかた
東京カフェマニア主宰 川口葉子
裏通りで小さな洋書店を営んでいる友人がいます。
お店の趣味的なたたずまいは、アメリカの大学都市のはずれにあるのんびりした書店のよう。本好きの人間だけがぽつりぽつりと訪れて、お目当ての一冊に出会ったり出会えなかったりを繰り返し、その静かな喜びとがっかりの名残りが見えない地層となって床に折り重なっているような。
そんな空気が好ましくて、たまに他の友人たちと誘い合わせて、お店に遊びに行くことがあります。洋書店に「遊びに行く」というのもおかしな言い方ですが、なにしろ店主は私たちを招き入れると、エアコンがちゃんと効くようにお店のドアを閉めてしまうのです。どうせこの時間にはお客さまは誰も来やしないから、なんて言いながら。
ある日、ピエール・エルメの色とりどりのマカロンを手みやげに遊びに行ったときのこと。店内のカナリア色の椅子や小さな灰色のソファにそれぞれおさまった私たちは、洋書の背侮・ュめながら無駄話に興じました。そのとき友人の一人が聞かせてくれた、とびきり裕福で優雅な女性の<重大な選択>にまつわるエピソードが妙に心に残ったのです。
子ども時代をスイスやフランスの名門学校で送ったその女性は、日頃交流のある人々もハイャTエティの人ばかり。クラスメイトに某国の王女さまがいたりするのです。大学卒業後はビジネスの舞台で活躍している彼女。仕事上で一か八かを決断しなければならないのにどうしても決められないという難題にぶつかるたびに、<目を閉じる>という方法で決めてきたのだそうです。
街に出て行って目をつぶり、目を開いた瞬間に、真っ先に視界に入った人間が男性だったらA案に決め、女性だったらB案に決めます。3年後の今日の天気は晴れか雨かを判断するような、神のみぞ知る問いだから、そんな選択方法しかなかったのでしょう。
あるとき、彼女が決断に迫られてこの方法を試すと、目を開けた彼女の前にいたのはャtィア・ローレンでした。そして数年後、再び彼女が判断に困ってこの方法に頼ったとき、視界に飛び込んできたのはまだ存命中だったマザー・テレサ!
彼女の人生のスケールの大きさがわかりますね。彼女自身は「現世的な判断に、神聖なマザー・テレサを使ってしまった」と罪悪感にかられたそうですが、もしかしたらそのときマザーテレサのおかげで選ぶことになったB案というのは、誰かに大きな心の平安を提供する道だったかもしれませんよね。
エピソードを聞いた翌日に、私もおもしろがってこの方法を試してみました。といってもビジネス上の重要な選択などというものは無縁ですから、来年あの国に旅行に行こうかやめようか、という気楽な選択でしたが。
自宅マンションを出て最初の交差点に立ち、目を閉じました。質問を心の中でつぶやき、「男性だったらイエス、女性だったらノー」と決めて目を開けると……横断歩道を渡ってきたのは、なんとマンションの管理人のおじさんでした。管理人室にいてくださるはずが、なぜこんなところに? おじさんは私に気がつくやいなや声をかけてきました。
「ああ川口さん! このあたりに切手売ってるところありましたっけ?」
私の人生のスケールは、どうやら切手ほどの大きさのようです。

2005年08月12日(金曜日)
生まれたようなカフェ
東京カフェマニア主宰 川口葉子
陶芸の町・益子への3日間の旅のなかで、印象的な言葉に出会いました。
素朴で力強い益子焼を代浮キる陶芸家といえば、濱田庄司。益子の町のいたるところで、彼の作品や、彼の薫陶を受けて作られたものに遭遇します。
移築保存されている旧濱田庄司邸は、江戸時代後期に建てられた民家です。どっしりと量感のある家の中に入るなり、人の住まなくなった古い木造家屋特有の匂いと、ひんやりした空気に包まれました。ぶあつい茅葺屋根が日射しをさえぎるせいでしょうか。太い梁が組まれた天井裏あたりに、なにやら美しいもののけでも潜んでいそうな気配が漂います。
よく知られているように、濱田庄司が柳宗悦とともに進めた民藝運動の精神は「用の美」。日常づかいの器の中に、用いてこその美しさを追究しました。その彼の文章の中に、こんな一節があったのです。
…(前略)…
夏の朝の畑に立ってみて、
胡瓜、茄子、かぼちゃ、
みんななったままの自然で鮮やかで、
私の焦点に関係なく、立派なのには参った。
焼き物でも作ったというより
生まれたというような品がほしい。
~濱田庄司 1969年~
朝露に濡れて光る茄子の見事さ。それに通じるものを生み出すことが彼の理想だったようです。
現在の益子には、アーティストたちの活動拠点となっているカフェが幾つかあります。それらのカフェの魅力的なこと! 空間の美しさはもちろんのこと、地元で育った無農薬の素材を用いて、丁寧に手作りされる食べものの健やかさ。生きた命をいただくという視点。ロウソクをともして過ごす夜。
そんな姿勢は、自然の豊かな場所だからこそ実践できるものなのかもしれません。濱田庄司の言葉を借りるなら、作ったようなカフェではなく、益子の土から生まれたようなカフェたちでした。

2005年08月05日(金曜日)
水の匂いのする一日
東京カフェマニア主宰 川口葉子
たまらなく蒸し暑い日、街なかでふと、水の匂いを感じることがありませんか。いったいどこから漂ってくるのか、ゆらゆらと首筋にまとわりつくような、ぬるい水の匂い。
通りを歩きながら、匂いの源を想像してみます。重なり合うビルの向こうに川でも流れているのでしょうか。あるいは足もとの地面を暗渠が通っていて、地下の川が熱をおびているのでしょうか。
東京の最高気温が35℃を記録した日、真昼に外を20分ばかり歩いたら汗がしたたり落ちました。まるで世界がぬるま湯の中に浸っていて、その中を半分泳ぎながら歩いているようです。街角を曲がるごとにゆらりと、水の匂い。
奥沢にある中国茶館で友人たちと点心の昼食をいただいたあと、そのまま何煎もゆっくり中国茶を楽しみ、夕方になってから別れたのですが、大気にはまだ熱の名残りがありました。
自由ヶ丘駅前へ戻る途中で、にぎやかな提灯の列が目に飛び込んできました。ちょうど盆踊りの晩だったのです。浴衣の襟を控えめに抜き、きりりと帯をしめた踊り手さんたちは、若い女性も年配の女性も清潔感を漂わせて涼しげ。
ここ数年、盆踊りに行っていなかった私は、小物の進化に目をみはりました。帯の背中にさしたうちわが、赤や緑に光っているのです! 20人ばかり、揃いの浴衣に揃いのうちわをさした女性たちが東京音頭を踊り始めると、背中のうちわが暗がりのなか、深海を漂う美しい発光クラゲの群れのようにも見えました。
ああ、今日の水の匂いは、この夢のようなクラゲたちにもつながっていたのかしら。そんなことを思い、一人で屋台のビールを飲みながら、淡く光るクラゲたちの回遊を眺めました。

2005年07月29日(金曜日)
フィリップ・スタルクのビール
東京カフェマニア主宰 川口葉子
最高気温が30℃を越えるようになったこの季節、お風呂上がりに冷蔵庫を開けて飛びつくビールときたら格別ですね。この一杯の感動をより高めるために、帰宅後はわざと水分を我慢していたりして。
ぴしりと冷えた苦い液体ときめ細かな泡が、一気に喉を通過する瞬間。
オトナになってよかった! 再び夏がめぐり来てよかった! ときどきうんざりすることもあるけれど生きているって素晴らしい! 強烈な喜びが全身をつらぬきます。人生をわざわざ複雑でややこしく考える癖のある人は(私も調子が悪いとそうなりますが)、冷たいビールのシンプルな感動に身をゆだねてみるのもいいかもしれませんね。ポイントは本人の、ばかばかしいことにも感動できる力なのですけれど。
品川のDEAN&DELKAで面白いビールをみつけ、ボスウォーターといっしょに購入しました。涼しげなガラスのボトルに淡い銀色のフタ。このフタがまるでビールのジョッキに注がれた泡のように見えるのです。フランスの大手、クローネンブルグ社のビール「1664」。会社創業の1664年に由来するプレミアムビールです。
「1664」のボトルデザイン担当はフィリップ・スタルク。鮮度を保つためにちょっと珍しいキャップ式を採用しています。泡のように見えるキャップをくるりと回すと、内部の金属のフタが自然にねじ切られます。スタルクといえば金色の雲を象ったアサヒビールの本社ビルのデザインでもよく知られていますね。不思議とビールにご縁のあるデザイナーのようです。

2005年07月22日(金曜日)
器の眼
東京カフェマニア主宰 川口葉子
どこか特別な印象のあるカフェは、くつろげる、おいしいといったありきたりの感想のほかに、少しばかり変わった感想を抱かせるものです。
三軒茶屋にオープンしたばかりのカフェで、窓際の小さなカウンターに座ったときにそんなことを考えました。昼間はクラシック、夜はジャズの流れる美しいカフェです。この空間のために造られた赤褐色のアメリカンウォールナットの長テーブルに、イギリスの修道院で使われていたという古い椅子がしっくりなじんでいました。
きんとき豆のたっぷり入ったキッシュと、ポットでサーブされる深煎り珈琲。窓の外には強い日射しが照りはえ、白いカップの楓ハに並木の緑が映りこみそうなほど。スプーンがカフェのペンダントライトを反射して、カップに小さな光を与えていました。その様子が、「うつわに眼がある」と思わせたのです。学生時代に読んだ詩が頭をかすめました。
この器物の白き瞳にうつる
窓ぎはのみどりはつめたし。
白いうつわの眼に映りこんでいる夏の緑、屋内のほのかな光。朔太郎がこのカフェの窓際でコーヒーを飲んだら、上の詩はもう少し違ったものになったかもしれません。
メニューの中に「白樺樹液珈琲」という珍しい一行をみつけました。白樺の樹液を熱して、挽きたてのコーヒー粉の上に注ぎ、コーヒーを抽出するのだそうです。季節が変わる頃に再び「うつわに眼があるカフェ」を訪れるときは、白樺樹液珈琲を注文しようと思っています。ひと夏のあいだに、コーヒーカップはたくさんの光景を眼にすることでしょう。良い夏を、と白いカップに心の中で呼びかけました。