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2005年04月25日(月曜日)

こととことの間

スタイリスト 城素穂

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 先週ほど、人に助けられたことはなかったように思う。
 ある仕事で、漆喰風の3*6(90センチ×180センチ)の天板と、朽ちた感じの木の長板を用意しなければならなかった。あるデザイン事務所からいただいた仕事なのだが、質感や色味、板のサイズ、細かいニュアンスまで、その要求は細部にまで渡る。先方のイメージが明確にあることは、大変仕事がやりやすいが、反面、ズバリのものを用意しなくてはならないプレッシャーがあった。

 やっとの思いで見つけた都内の古材屋さん。「そのサイズの古材は難しいなあ」と悩みつつ、おじさんが頭をひねってくれた。左官屋さんが使っている渡し板がいい、と提案してくれた。早速、おじさんと、の左官屋へ、板探索。サイズの良い板を見つけたが、色が悪い。おじさんは、その板をぬってやると、言ってくれた。夜、閉店後のお店の中で、おじさんと2人、板塗りが始まった。私の「こんな色がいい」との要求に、おじさんが頭をひねり、オイルステインを塗る。乾くまでの小一時間、おじさんが煎れるコーヒーを飲みながら、おじさんの身の上話しを聞く。本業はテーラーだとか、古材の魅力に取り付かれ、全国を廻って収集していたが、最近はブローカーなるものがいて、良い板は全部持っていかれ、骨董品屋などで高値で売られているのだとか…。一時間経った頃、板の色味を確認する。もう少し濃い色がいい、と要求すると、おじさんは頭をひねり、色を塗り重ねる。そしてまた、小一時間、おじさんと談話。次は、濃い粉茶(お寿司屋で出てくるような)を煎れてくれる。若かりし頃、ロッククライミングが趣味だったとか、娘を2人亡くし、人生観が変わって、ヨットをするようになった、とか…。一時間経った頃、板の色味を確認する。そんなことの繰り返しが、夜遅くまで続いた。一体、何杯のコーヒーやお茶をいただいただろうか。

 恵比寿のとあるアンティーク屋さんのベランダに、板が沢山たてかけてあるのを思い出した。センスの光るオーナーの目利きで拾われてきた板達である。あそこに行けば、何か見つかるかも、と期待を寄せてお店を訪ねる。案の定、いいサイズの板がある。おそるおそる、板は売り物か聞いてみる。オーナーは気前よく、あげるよ、と言ってくれた。調子にのって、「もうちょっとこんな色がいいのですが…」と要求してみると、「魔法の薬があるんだ」と得意げに薬瓶を取り出した。粉状の薬品に水を加えると、真っ赤な色の液体が出来る。それを刷毛で板に塗る。まるで、赤ワインを机にこぼしてしまったように、みるみる液体が木に浸透していく。私はやや心配になって、板の様子をうかがっていると、オーナーがチャイをおごってくださった。甘いけれど、スパイスの聞いたチャイを飲みながら、少しの間、板探しに張りつめた緊張をゆるめることが出来た。

 その間、自宅では、補修の仕事をしている友人が、3*6の板を塗装してくれている。私が、見様見真似で下地を塗り、見様見真似で色を重ねた天板が気に入らず、その友人に助けを求めたのだ。友人いわく、「塗装は下地が一番大切。下地さえきれいにやれば、色はきれいに塗れる」と。まず、下地を整えるための、ヤスリかけから始まった。3*6の天板の全面に、手でヤスリをかける。かなりの力と、途方もない精神力が必要である。ヤスリかけに数時間、その後、もう一度下地を塗って、2時間の休憩。その間、お茶とお菓子と談話。せっかちな私にとって、この時間は気が気でならない。2時間後、ようやく着色。その時間は、ほんの数分、そしてまた、2時間の休憩。これを数回繰り返し、夜、きれいな平面ができあがった。


 「じっくり時間を置かないと、板と塗料が定着しない。ドライヤーなんかで乾かしたって、楓ハが乾いただけだから、重ねて塗っても、うまく発色しない。」という友人の言葉を思い出す。人と人の関係も同じような気をする。何かに常に焦りを感じ、じっくりと人と向き合うことを無意識に避けてきた自分に気が付く。板と塗料がなじむ間、古材屋のおじさんと、アンティーク屋のオーナーと、友人と…、ちょっとは向き合うことが出来たのかな、と思う。そして、そんな時間にはやっぱり、お茶があるのだな、と感じる。

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2005年04月18日(月曜日)

焙煎のとき。

スタイリスト 城素穂

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先日、打ち合わせで、あるコーヒー屋さんに入った。遅めの朝の打ち合わせ。
まだハワイぼけがぬけきらない私にとっては、ちょうど良い活動開始時間だ。

打ち合わせ相手は、まだ来ていないようだ。
奥の4人がけのテーブルにはサラリーマンが2人、カウンター席には、芸術家っぽいちょび髭の男性が座っている。私は、カウンター席の、その男性の横の席を勧められた。私は、その男性と、喫茶店のマスターの、カウンター越しのやりとりを観察することとなった。会話はいたって普通の話し。マスターはその話しに、ただ寡黙にうなずいている。途中から、あまり真剣に聞く話ではない、と判断したのか、コーヒーの焙煎を始めた。焙煎器に生豆を入れ、ゴロゴロとハンドルを回す。ザザッ、ザザッと、焙煎器の中で、豆が移動する音が一定のリズムで聞こえる。どんな茶々が入ろうとも、そのリズムは一定である。しばらくすると、香ばしい香りが、店一杯に広がり始めた。香りと共に立ちこめる薄い煙が、窓から差し込む心地よい日の光に照らされて、渦を巻くのが見える。

「遅くなりました」と、打ち合わせのお相手がいらした。そこから、焙煎についての記憶はない。

打ち合わせを終えて、喫茶店を出る。なんだか気持ちが良く、活動的に動けるような気がしている。しばらくして、ふっと自分にコーヒーの芳しい香りが付きまとっていることに気がついた。そうか、これが気持ちよい原因か!


5月は新茶の季節である。中国茶でも、凍頂山熟烏龍茶や特級縉雲毛峰など、冬の寒さを耐えぬいた新鮮なお茶が出ている。ついつい、そちらの新しいものを賞味したくなる。が、自宅の茶棚には、だんだん香りの抜けてきた古い茶葉が残っている。買った当初はあんなに好んで飲んでいた味にも、そろそろ飽きてきた頃である。そんなときは、茶葉を焙じてみる。いわばオリジナル焙煎茶である。お茶用の焙じ器がなくても、コーヒー用の焙煎器やごま炒り器、普通の鍋(ただし、きれいなもの!)だっていい。古くなった茶葉を、ごまを炒る感覚で、鍋を火にかけ、絶えずを左右に振る。しばらくすると、煙と共に、香ばしい香りが漂ってくるはずである。

お休みの日の、朝と昼の間に、じっくり茶葉の焙煎タイム。そんなのんびりスタートの日があってもいいな、と思う。

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2005年04月11日(月曜日)

夜のお茶のお供に。

スタイリスト 城素穂

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先日、ハワイのオアフ島にあるハレイワという町へ行ってきた。
そこには2年前に訪れたときに見つけた小さな手作り石けん屋さんがあり、今回もそこに行きたいと思った。しかし、以前あった場所には跡形もなく、「小さいお店だったし、無くなってしまったのかな、」と半ば諦めかけた頃、ダメもとで聞いたお店の定員さんが、「あっちの方へ移転したらしい」と情報をくれた。そちらの方へ行ってみると、店のドアの隙間から、なにやら良い香りを漂わせている、かわいらしいお店を見つけた。「ここにちがいない!」と確信し、中に入ると、石けんだけではなく、あらゆる香りに関するグッツが、所狭しと並べられている。店の奥は工房になっているらしく、天井まである古い木の棚には出来たてのカラフルな石けんが積み重ねられ、アメリ似の女性が一人、裸足で黙々と作業をしている。その様子があまりにも圧巻で、私はつい、工房の方へ入れさせていただくようお願いした。作業台の上には、様々な大きさの型が置かれ、今まさにロウソクの制作中である。「2年前はもっと小さなお店で、ロウソクなんて作っていませんでしたよね」と、興奮気味に、つたない英語でしゃべりかけると、彼女はうれしそうに「これだけ大きなスペースになって、色々出来るようになったの」と教えてくれた。それから、香りのブレンドはすべて彼女が考えるのだとか、一日に数個しか作れないのだとか、ラッピングの紙もすべて彼女のセンスで選んでいるのだとか、細部に渡って、彼女のこだわりがあることを教えてくれた。最後に、アロマオイルの並んだ戸棚から、おもむろにひと瓶取り出し、「これは、私が一番好きな香り。気持ちがリフレッシュするの」と、首筋に塗ってくれた。ペパーミントの香りが、すーと顔全体を覆った。「でも、寝る前はダメよ、興奮しちゃうから。寝る前は、カモミールがいいわ。」とも教えてくれた。

せっかくなので今回は、ロウソクも買ってみよう。

その夜、寝る前の微睡んだ時間に、お茶を一杯用意して、石けん屋で買ったロウソクを付けてみた。すると自然と、皆が思い思いの飲み物を持って集まってきた。一つの光を囲んで、お互いの顔がぼんやりとしか認識できない距離で話しが始まった。まるで、修学旅行で、就寝時間後に、懐中電灯の明かりを囲んで、ひそひそとお互いの恋愛話しとか一歩踏み込んだ話しをしたときのようなワクワク感が、そこにはあった。

ロウソクの火がだんだんと頼り無くなった頃、時計はすでに午前4時をまわろうとしていた。お土産で買ったロウソクを使ってしまったわけだが、まったくもったいない気持ちにはならなかった。むしろ、一日に数個しか作れないロウソクの一つが、あんなにも良い時間を提供したことは、きっと彼女にとって本望だろう、と感じた。

ちょっと深い話しをしたい夜に、カモミールティーとロウソクの明かり。香り好きなハワイの一女性からの提案である。

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2005年04月04日(月曜日)

不快な朝に

スタイリスト 城素穂

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 昨日、連日の食べ過ぎが祟り、ついに体調を崩した。朝、許容範囲をオーバーした胃の不快感で目が覚めた。
 気持ち悪いが、何か食べたい。冷蔵庫を開けると、お土産にもらった紫野和久傳の「鯛味噌茶漬け」が目に入った。おひつには、昨日炊いたごはんがそのまま入っている。「よし、これなら食べられる」と、お湯を沸かし、お茶碗を用意する。お茶碗に冷やごはんを盛り、「鯛味噌茶漬け」を2つほどのせる。お茶漬けのお茶は、濃い目のほうじ茶と決めている。急須にスプーン2杯分の茶葉を入れ、ゆっくり熱湯を注ぐ。ほうじ茶の香ばしい香りを感じながら30秒ほど待ち、お茶碗に注ぐ。
 箸で、ごはんと具材をお茶の中にほぐし、それらの割合を調整しながらさらさらと口へ運ぶ。胃が弱っているはずなのに、受け付けられるのは、やはりお茶のおかげだろうか。

 日本人はお茶漬けが好きである。お茶漬けの起源をたどれば、平安時代までさかのぼる。冷えたご飯にお湯をかけて食べる、湯漬けというものだという。この湯漬けの白湯の代わりにお茶が用いられるようになり、お茶漬けとなった。なるほど、そんな昔からお茶漬けがあるならば、日本人のお茶漬け好きは、DNAに組み込まれているに違いない。お茶とごはん粒が最強コンビであることを、日本人の舌は知っている。

 どこかの飲んだくれの朝ごはんに、お茶碗に少しのご飯と、梅干し。あとは、丁寧に煎れたほうじ茶を添える。コップ一杯の水と胃薬より、心の栄養は満たされるだろう、と思う。

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2005年03月28日(月曜日)

蓮花茶

スタイリスト 城素穂

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 先日、久しぶりに学生時代の友人に会った。彼女と私は似たような触手を持っており、彼女と会うたびに、何かしらの「発見」というお土産が付いてくる。

 「トランジットで寄った、中国で買ったの」と、おもむろに出してきたのは、乾燥した黄色い花のつぼみが規則正しく詰められた密閉容器であった。「蓮花茶」と書いてある。緑茶に蓮の香りを付けた「蓮茶」はよく見かけるが、花部をまるまるお茶にしているものは、初めてである。「これは、ぜひ一緒に賞味してみたい。」とお願いして、台所へ行って器を物色。きっと、お湯を注いだら、花びらがふあーと開いて、お茶の中に花が咲くに違いない、とそんな光景を確信し、透明なボウル状のグラスを探す。ちょうど良い器を見つけ、つぼみを一つづつ入れて、期待に胸ふくらませ、ゆっくりをお湯を注ぐ。が、そのつぼみはあまりにも軽すぎて、花を開かせるどころか、つぼみのまま水面に横たわって浮いてしまう。あら、ちょっと期待はずれ・・・と思いつつ、
立ちこめる香りの方に気持ちをそらす。蓮茶らしい甘い香りに、生っぽい花粉らしさをプラスした感じ。味は香りほどではなく、すっきりとしている。
 一口目を飲み終えて、話は、彼女の旅へ。旅先で撮ったビデオを見ながら、彼女の撮影秘話が語られる。「何しゃべっているかわからないんだけどね!」と彼女のいう画像の中の人々は皆、いきいきとカメラ(彼女)にしゃべりかけている。


 ふっと、蓮花茶に目をやると、中途半端に浮いていたつぼみが、幾重もの花びらを開いて、ややぬるくなったお湯の中で、きれいに咲いていた。時間をかけて、水分を十分に吸収して初めて、きれいな花が咲いたのだ。しかし、その花びらはとても薄く、お茶を飲みきってしまうと、お互いがベタッとくっついてつぶれてしまう。その様子がなんだかかわいそうで、ついお湯を注いでしまう。そうやってもう5~6杯は飲んでた。


 この春、彼女はいままでの仕事をやめ、長年の夢であるシナリオライターの勉強を本格的に始める。夢を抱きながら自立のために仕事をしたこと、旅先での見知らぬ人との関わり、彼女のふれてきたすべてのものが、じっくり時間をかけて吸収され、きれいな花を咲かせるのだろう、と確信している。

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2005年03月21日(月曜日)

小分け術

スタイリスト 城素穂

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 インドへ旅行に行ったときのこと。
「インドといえば、紅茶!」と思い、欲張りな私は、色々な茶葉を買い込んだはいいものの、インドというお国柄、ティーパックになっているものなどほとんどなく、小さくても500入りパック。毎日お茶を飲む家でも、数カ月は保つ量である。どうせだったら、いろんな味を楽しんでもらいたい。そこで考案したのが、自作ティーパック。多種類のお茶を1セットにして差し上げることができ、「わたし」セレクトのオリジナル土産の完成である。
 今では大変一般的なティーバック。およそ100年程前、紅茶の飲まれていた欧米で、初めて登場したという。あわただしい時や旅行先など、お手軽に飲めるのが最大の魅力であると同時に、お茶の味自体にはあまり期待を寄せられていない面もある。
 しかし、おすすめの茶葉で作られたティーバッグは、「手軽さ」と「中身の味わい深さ」を兼ね備えた一石二鳥な代物になる。
 よくスーパーなどで売られている「お茶パック」に、一人前分(だいたい2g)の茶葉を入れ、木綿糸でしっかり留める。ここで注意したいのは、袋を茶葉ギリギリで縛りすぎないこと。茶葉が袋の中で踊るように、少し余裕をもって。そして、もう一方の糸の先には、何の茶葉のティーパックか分かるようにタグを付ける。こちらのタグも、現地で実際に使用したチケットや、行ったレストランの名刺などを使うとお土産らしい。「そうそう、この列車に乗り合わせたおばさんがね…」「このお店で食べた○○が…」なんて、お土産話しに花が咲いて、いいお茶受けになること、受け合いである。

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2005年03月14日(月曜日)

お大事に。

スタイリスト 城素穂

20050314joh .jpg ついにやってきてしまった…。気が付かないふりをしていたが、先週の、急に暖かくなった日に。

 くしゃみ、鼻水、目のかゆみ…、花粉症の何が辛いって、これらの諸症状に伴うボーッと感と、くしゃみが出そうになる鼻や取り出して洗いたくなるほどかゆい目玉に意識がいってしまって、他の事が考えられなくなるところだ。なんだかイライラしてしまう。
 花粉症と私のつきあいは、長い。「物心付いた時から」というのは大袈裟だが、小学生のときにはもうすでに腐れ縁だった。その頃の花粉症対策といえば、むれるマスクと眠くなる薬と、咬みすぎると鼻が荒れるティッシュ。最近では、立体マスクやゴーグルのようなメガネなど、花粉防御対策の商品は色々あれど、もうすでに花粉感度300%の私にとっては、防御策よりもむしろ、花粉症とうまくつきあっていく策を練りたいものだ。
 その策の1つとして、ここ数年はやっている「甜茶」は、お気に入りである。甜茶自体に、その効力があるのかどうかはよくわからないが、マグカップに甜茶の葉を入れ、お湯を注いだときに立ち篭める甘い香りの湯気を顔全体に感じながら、お茶をすすると、鼻や目玉を刺激している花粉たちが静まるようだ。
 今年の花粉症対策の新顔は、ペパーミント飴だと何かの雑誌に書いてあった。それを読んで、ふっと思い出したのは、風邪の時にいつも登場するヴェポラップのお湯割り。その名の通り、ヴェポラップをお湯で溶いて、その湯気を鼻から思いっきり吸う。ハッカの香りが、詰まった鼻の通りを良くするのだ。ペパーミント飴も、きっとそんなスーッと感を得られるのだろうと思う。

 それならば、いっそのこと、ペパーミントティーだったら、先の「甜茶」のような楽しみ方ができるのでは?と、鼻をすすりながら、ミントの葉を大量に買って帰り、耐熱ガラスのコップに入れて、お湯を注いでみる。ミントの葉がクルクルと回転しながら、徐徐にハッカエキスがお湯に浸透していき、薄い緑色のミントティーが出来上がる。その光景に見入っている間、そういえば、鼻のむずつきや目のかゆみは気にならなかった。

 もし私が、花粉症に苦しんでいる友人を見舞うなら、この季節を少しでも心地よくやり過ごせるアイテムをあげたい。もちろん、ティッシュペーパーを付けて…。


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2005年03月07日(月曜日)

箱入り娘

スタイリスト 城素穂

07joh.JPG我が家はお茶が大好きで、親戚が集まっても、家に人を招いても、お酒よりお茶を出してしまう。そんなわけか、どこへ行ってもとりあえず、お土産にお茶葉を買う傾向がある。試飲できるときは気に入った味を見つけて買うが、試飲できないことが結高る。そんなときは決まって、外箱で判断している。万が一、お茶の味が気に入らなくても、外箱が何かに使えれば損した気持ちにはならない。いわゆるお茶の「ジャヶ買い」。そうやって溜っていくお茶葉の棚にふと目をやると、なかなか洒落たケースが並んでいることに気が付く。どこかのお国のちょっとした箱入り娘たちだ。
右は、カナダのお土産でいただいたもので、メイプルの木で作った茶箱。メイプルの木の成分が、茶葉の保存に良いとか何とか‥。中央は、上海の怪しいお茶屋で買ったジャスミン茶。ただの段ボールで作った箱にお中華っぽい紙が貼ってある。蓋の側面部分の柄が逆さになっていて、そこがまたモノ好きの心をきゅっと掴む。
左の二つは、日本橋のお茶屋で見つけた茶筒。缶に千代紙を唐チたもので、缶の継ぎ目で蓋と胴体をカチッと閉めると、お見事!絵柄がぴったり合う。さすが江戸前の職人技である。
‥‥と、外見にうっとりしながら、「今日は、どこの娘を堪狽オようか‥‥ウッシッシ」と、怪しいおじさんな気分。

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2005年02月28日(月曜日)

最高のお茶ギフト

スタイリスト 城素穂

茶杯と聞香杯最高のお茶ギフト
 
 先日、初めてチンシャンさんのショールームにお邪魔した。こちらの商品を使って、何かギフトの提案ができないものか、と訪れたのである。グラスや茶器が品良く並んだショーケースが大変綺麗で、モノ好きな私はそちらに目を奪われ、挨拶もままならず見入っていると、背後から「粗茶ですが…」という声が聞こえた。振り向くと、机の上に、これまた品よく置かれた、2つの杯。(陶然皆様、ご存知でしょうが…)背の高い方が、聞香杯。低くて丸みがある方が茶杯。打ち合わせでやってきただけなのに、この2つの杯を前に、聞香杯のように背筋がピンと伸びる思いがした。
 打ち合わせの途中で、席を立ち戻ってくると、また新しいお茶が置かれていた。「こちらのお茶もおいしいんですよ。」と薦められたそれは、少しぬるめのやわらかい味がした。「これは、茉莉白龍殊と言って、ジャスミン茶の一種なんです。少し冷ましたお湯で入れると、お茶の苦味が出ないで、まろやかになるんです。」と、うれしそうなスタッフのお話に、とても気持ち良く感じた。

ガラス茶器で入れるジャスミン茶 そんなおもてなしを受け、ある料理家からうかがった話しを思い出した。彼女の旦那さんのご実家に、お盆に里帰りをすると、嫁の仕事として必ず言い渡されるのが、ご先祖様へお茶を出すことだそうだ。ご先祖様と、そのお付きの2人、それと邪鬼を5匹も連れてくるそうで、合わせて8杯分用意し、しかも、冷ましてはいけないので、絶えず入れ替えなくてはいけないという。この話しを聞いた時は、「面倒くさいなあ?」と思ったが、チンシャンさんでの体験を通し、これこそ、「おもてなしの心得」なのだ、と気付かされた。気持ちの良いおもてなしを受ければ、5匹の邪鬼も悪さはしないだろう。

 例えば、お家に人を招くとき、どこそかの高級お菓子や豪勢な料理と、ついつい特別なことを考えてしまいがちだが、気持ちの良いタイミングで、丁寧に入れたお茶をお出しすること、お出しするもののグレードではなく、おもてなしをする姿勢がどうであるか、が大切だろう、と感じる。決して押し付けでなく、「あなたのことを気遣っていますよ」というおもてなしのサインこそ、最良のギフトなのではないだろうか。

 そんなおもてなしを、陶然のようになさっているチンシャンさんの商品にも、きっと「あなたのことを気遣っていますよ」のサインが沢山隠されているに違いない、と、チンシャンさんの営業マンにでもなってしまいそうな今日この頃。 

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2005年02月21日(月曜日)

おいしいお茶の秘密

スタイリスト 城素穂

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 以前、上海へ旅行に行ったときのこと。
一日中、市内観光&ショッピングを終え、極め付けに、夕食に上海蟹をたらふく食べ、もうふらふらになってホテルの部屋に帰ってきた。コテコテの中華料理に、やや胃がもたれ気味だった私は、部屋に備え付けの一人前の湯沸かしポット(結香Aこれって便利!)に、うがい用に備え付けられたミネラルウォーターを入れ、備え付けのほうじ茶のティーパックで、お茶を入れて飲んだ。チンチンに湧いたお湯に立ち篭めるほうじ茶の香りと、親しみのある味にホッとし、胃がスーと洗浄されていくように感じた。
 たかが、ティーパックのお茶なのに、いつも飲むお茶より数倍おいしく感じたのは何故だろう?

 あとで聞いた話によると、お茶に適した水は、軟水だ、ということ。そういえば、このホテルに備え付けてあった水は、エビアンだった。「煎れる水で、お茶の味が全然違う」とはよく聞く話だが、なかなか家で実践できない私にとっては、よい体験だった。特に舌が肥えている方ではないが、水の「味」がせず、お茶の味がきちんと感じられたのは確かである。


 人に自慢したくなるほどお気に入りの茶葉を見つけたときは、「このお水で煎れてね」と、茶葉と一緒に水をあげたら、御丁寧かも。

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